第16話 お出かけ

「……私も、何かしてあげた方がいいのかな?」


 落ち着きを取り戻した月姫が、僕の下半身に手を添える。


「……僕たちは恋人でもないし、お返しは必要ないよ」

「でも……これって、してほしいってことなんじゃないの?」

「それはそうだけど、お返しなんてしてもらったら、僕がそのために月姫さんに体を捧げてるみたいじゃない?」

「あれ? 違ったの?」


 心底不思議そうな、取り繕った口調。僕は少し笑って。


「違うよー。僕は月姫さんに幸せになってほしいだけ」

「そんな心優しい高校生男子がいるとは思えないのだけど……」

「僕は特殊な訓練を受けているからさ」

「……そう。黒咬君が乗り気じゃないなら、もういっか……。それが黒咬君の線引きってことなんだろうし……」

「まぁ、そういうことかも」


 月姫の手が離れる。

 それから、月姫はもうしばらく僕を抱きしめた後に、体を起こした。


「……私たちって、変な関係だね」

「そりゃねぇ、不死人と人喰い吸血鬼の組み合わせなんて、地球上では初めての事例だろうし。既存の言葉では現せないものはあるでしょ」

「それもそっか。えっと……ショッピングの前に、軽くシャワー浴びても良いかな? 汗かいちゃったし」

「いいよー」

「……一緒に入る?」

「おお、いいね。でも、それも今日はなしで」

「そ。徹底してるんだね」

「今日くらいは誠実さを装っておかないとね」

「……これからどう変化していくのやら」

「乞うご期待!」

「……本当に期待しちゃったりして。なんて。えっと、とにかくシャワー浴びてくるね!」

「……おう」


 月姫が浴室に向かう。僕はそれを見届けてから体を起こす。


「月姫とは、どういう関係になるのかなー? 僕と恋愛する気なのか、そういう関係は望まないのか……」


 まだ交流が始まって間もないし、気持ちがはっきりするのにはもう少し時間が必要だろうな。

 それから、三十分程経って。

 僕たちは、ショッピングのために電車で都心まで向かった。徒歩十分、電車移動二十分、というところ。

 十一時過ぎの都心には人がたくさん集まっていて、改札を抜けた駅構内で月姫はそわそわしている。


「月姫さん、大丈夫? 普通に歩けそう?」

「うん。大丈夫。でも、先に血を飲んできて正解だったかな。少しだけ、変に刺激されちゃうところがある……」

「そっか。じゃあ、いつも外出の前には満腹にしておくことにしよう」

「そうだね。……なんかすごく太りそうなんだけど、大丈夫かな?」

「脂肪に変換される栄養じゃないから、大丈夫だと思うよ?」

「それもそっか」


 並んで歩く。距離は近すぎず、離れすぎず。友達というには近いし、恋人というのは遠い。ちょっと手を伸ばせば、手を繋ぐこともできる。

 ふと、高校生くらいの女の子とすれ違った際、月姫の視線がその子を追った。可愛らしい子だったけれど、同性を引き付ける感じではなかったと思うが?


「あの子、何か気になる?」

「あ……その……無意識に目で追っちゃった」

「というと?」

「……美味しそうだな、って」


 恥じるように、悔やむように、月姫はこぼす。


「そっかぁ。僕ではもう満足できないのかぁ……」

「そ、そういうわけじゃなくてね? ほら、チョコとホワイトチョコじゃまた美味しさが違うでしょ?」

「ふむ。確かに。それじゃあ、惹かれちゃうのも仕方ないね」

「……うん」

「ちなみに、美味しそうっていうのは、血? それとも肉?」

「今のは、血、かな」

「処女の血は美味しいのかな?」

「……たぶんその違いは関係ないと思う。その人の体質とか、栄養状態とかの問題。今の人は、すごく健康的な匂いがした」

「なるほど。あ、もしかして、血を舐めるだけで病気を発見する、みたいなこともできるかな?」

「できるかも? やってみないとわからないけど」

「おお、それはいいね。一瞬で終わる健康診断ができたら、応募者殺到だ」

「……無差別に色んな人の血を吸いたいわけじゃないかな。それに、これは無理って思うのも実はある」

「それ、生理的に受け付けない男性とか?」

「ううん。じゃなくて……たぶんだけど、薬を常用してる人。病気の治療薬でも、もっと良くないクスリでも。あと、酒臭い人もダメみたい」


 クスリをやっている人が見分けられるなら、それはそれで重宝されそうだ。思っていた以上に、人喰い吸血鬼は有用なのかもしれない。


「酒臭いのがダメだと、闇咲さんの血はアウトかな。鳳仙花さんはたまにしか飲んでないはず」

「お酒が抜けてるといいんだけどね」

「なるほどねぇ。アルコールは消化の過程でアセトアルデヒドっていう毒になるらしいし、毒物は受け付けないってことなんだろうね」

「そうかも」

「じゃ、僕も将来お酒は飲めないな」

「ごめんね」

「構わないよ。まだお酒の美味しさも知らないし、最初から飲まなければ惜しいとも思わない」

「……それでも、私のせいで黒咬君の生活を縛ってしまって、ごめん」


 月姫が申し訳なさそうにうなだれる。


「全然大したことないよ。多少の縛りがついても幸せにはなれるから、なーんにも問題なし」

「そう……。黒咬君って、ポジティブだよね」

「能天気野郎と罵ってくれ。さぁ、早く!」

「何でいきなり興奮してるの!? 罵られたい人なの!?」

「はは。じょーだん」

「もう……」


 おしゃべりしているうち、駅前のショッピングモールに到着。

 月姫の先導で、服、アクセサリー、雑貨などを見ていく。月姫も女の子だから、ショッピングに時間がかかるのはご愛敬。何か買いたいわけじゃなく、色んなものを見て回るのが楽しいらしいので、僕は大人しくつき従うのみ。

 途中、雑貨屋を見ているとき。


「月姫さんに何かプレゼントしようか?」

「欲しいものは自分のお金で買うよ」

「そう。なら、いっか」

「逆に、私から何かお礼はできない? 私、黒咬君には助けられっぱなしだし……」


 お礼が欲しくて月姫のご飯を引き受けているわけではないが、お礼をしたくなるのも人情か。


「んー、強いて言えば、靴でも買ってくれない? 今すぐ新しいのが欲しいってわけでもないけど、靴って消耗品だし、買ってくれたら助かる」

「わかった。いいよ」


 月姫が嬉しそうに微笑む。世の中にはひたすら与えられることを喜ぶ女の子もいるみたいだけど、月姫はお返しをしたいタイプのようだ。ずっと付き合っていくうえではありがたいことだな。

 月姫の買い物を一旦切り上げ、先に僕の靴を見にいくことに。

 二人であれこれ言いながら僕の靴を選び、ついでに月姫の靴を見て回った。

 購入したのは僕の靴だけで、月姫の分はまたいずれ、となった。

 それから、十三時を過ぎたので食事をすることに。僕の紹介で、女の子が好きそうな、可愛らしいカフェに連れて行く。店内はパステルカラーで統一されて、柔らかくも明るい雰囲気が楽しめる。

 二人席に着いたところで、月姫は妙に深い溜息。


「……黒咬君って、本当に女慣れしてる感じだよね」

「溜息はそのせい? まぁ、それなりに、ね」

「全然それなりじゃないよ。二人で歩いてても平然としてるし、長いショッピングにも文句言わないし、それどころか楽しそうに笑ってるし、お店選びもそつなくこなすし……」

「浮気性だと、経験値はよく溜まるんだ」

「ふん。私ばっかり変に意識して……なんか、ムカつく……」


 拗ねる月姫。ぷいっとそらされた横顔が綺麗だ。

 のんびりと見とれていると。


「あれ? 夜謳ぉ? ……その女、だぁれかなぁ?」


 カフェの入り口付近から、聞き慣れた甘ったるい声。ちょっと、気まずい状況だ。

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