第12棺 てんめい
『目覚めよ、若き力ある者よ』
声がした。男性とも女性とも違う、でも人に近い存在の声。それでいてどこか高位の存在がはっする声音だ。例えば神様が存在するとして、神様が声を出せばこんな感じなのだろうか。
『目覚めよ、お主の覚醒を世界が待っているぞ』
優しく促してくれるがどうにも、僕の身体は言うことをきいてくれない。特に背中に走る痛み。この痛みが僕の目覚めを阻害していた。
『目覚めよ。目覚、めよ』
声の主に感情が乗ってきているのを感じる。しかしながら僕の意識は逆に遠のいていく。背中の痛みが僕の意識さえも奪い始めていたからだ。このまま何者かの声を環境音にして眠ってしまいそうで。
『だからさっさと目覚めろと言うに!』
突然の顔面の痛みに絶叫する。しかし瞬間的な痛みは数秒後には消えて失せていた。
『起きろというのに何故二度寝しようとする。主、どこまで天邪鬼なんじゃ』
「……すみません」
顔面をさすりながら打撃を加えた人物を見やると上から下まで真っ白な人形がハリセンを持って直立していた。驚きなのは顔のパーツである目や鼻や口も全て白一色で、凹凸が一切ないゆで卵のような構造になっていたことだ。
何もかもが白いのっぺら坊は、口もないのに声を発する。
『主、変な奴じゃな』
「……変、ですか?」
『反応が薄いわりには心の中ではしっかりと驚いておる。そういう性分なのか?』
「心の、中」
真っ白のっぺら坊は手に持つハリセンを後方に放り投げると、着地寸前に地面の中に吸い込まれる。
ようやく意識をのっぺら坊から周りに向けることができたのだが、辺りは目前ののっぺら坊と同じくらい白の世界。光源も存在しない世界なのか、影さえも生まれない奇妙な世界だった。
『死んどるぞ。お主』
「へ、しんでる?」
『ここは死後の世界。あの世とこの世の境じゃ』
まるで心を見透かした上での返答。まるで、
『そりゃそうじゃ。なんせ儂、神じゃし』
混乱は一気に僕の許容範囲を超える。目の前ののっぺら坊は心が読める神様。そして一番重要なことは。
「僕、死んだんですか?」
『だからそう言うておる』
あっさりと、真っ白な神様は言い切った。信じがたいことだが、否定するにはあまりに荒唐無稽な出来事が続きすぎる。心を読む真っ白な神様、何もない空間からのハリセンの出し入れ、影も形もない真っ白な世界。数分しか経っていないが、僅かな間で眼前で起きた全てを夢と断じるには無理があった。
『顔には出ていないが混乱しているな? 器用な若者じゃ』
「……平常心でいるほうが、おかしいでしょう?」
『そうでもない。中には落ち着き払い、自身が死んだことを飲み込み、次のことを考える者もいる』
「それ、人ですか?」
『言うのうお主』
自分の死をなんの感情も抱くことなくただ受け入れるなんてありえない。漫画や小説、アニメに登場する主人公たちでもない限り、死は悲哀と恐怖と喪失で彩られる。たとえ当事者が生前不遇の身で、自分の周りに親しい人間が一人としていなくても死は生者にとって恐ろしいものだと本能が働く。僕は両親が営んでいた葬儀屋の仕事を見てそう思った。
『まあ確かに、あやつらを人として見るのは難しいのう。何せ一国とか世界とか救ってたし。救った分多かれ少なかれある程度の数は見殺しにしとるしな』
「僕は普通の学生なんで、そうはいかないです。今でも滅茶苦茶怖いですし、見殺しも、可能ならあんまりしたくないです」
『死んでおると自覚してもなお慌てふためく素振りもないではないか。お前さんくらいの若者なら必ずと言っていいほど泣くか怒るかするんじゃがな』
「それは、両親の仕事の影響ですね。両親は葬儀屋、死んだ人を弔う仕事をしてましたから」
死に慣れている、というと語弊があるが小さい頃から両親の仕事を手伝っていた僕は物心ついていた時には、そうなってしまった人たちをたくさん見てきた。さらに彼ら彼女らを一般の人たちは忌避しがちだが、不思議と僕はそうは思わなかった。生涯の果て、人の終着点を僕は遠ざけず、その姿を神聖視すらしていた。
『葬儀屋。人の死を儀礼化したモノを取り仕切る者たちだな。幼い頃から手伝いを?』
「形だけでしたけどね。生きている間は両親の真似事を必死にやっていたと思います。でも亡くなられた方がたに触れる機会もありましたし、その度に躊躇してたら失礼ですから」
両親さえ口癖のように「私たちから彼らに何かしてあげることはできない」と言っていた。虚しさや悲しさ、どうにもならない感情は当事者ではなく、当事者に近い人間が抱くもの。私たちはそんな感情を受け止め、生者としてできる最大の供養をするしかないとも。
「僕はただ、この世を終えたみんなに安らかにいてほしかっただけなのかもしれません。その手伝いができたこと、両親のもとで生きられたことが今は誇らしい」
『主のような若者は、そう珍しくない。ただ主のような若者が多くいたのは遥か昔、主の国なら数百年、はたまた数千年前にも遡る。当時はそれこそあらゆるものに感謝することを忘れず誰もが感謝のために心と体を育てておった』
「そんなに、昔ですか?」
『今の主の世界にそんな感性を持った若者はおらんだろう? いたとしても死者を神聖視するほどの者はおらんわい』
立って話すのが面倒になったのか、真っ白な神様はあぐらをかいて座り込む。
『いやぁそれにしても、主ほどの若者とここまで会話が続くのも珍しい。さっき言った一国とか世界とか救った奴らは死生観が粗雑じゃからな。とんでもなく冷めとる。「次は何に転生するんだ?」くらいの確認作業で終わるからの』
「普通の、僕くらいの年齢の人だとどうなんですか?」
『そっちはそっちでめんどくての。死んだ理由とかとりあえず何故そうなったのかを聞き出そうとする。聞いたってその者の今後に大きな変更はないというのに』
神様はやれやれと両手を上げる。僕と同い年くらいの人でもその数は世界で見れば何千万、何億となるかもしれない。子どもだけでもそんな膨大な数になるのに世界中の人の死後、こうして一人一人話しかけていたのだとするなら、そんなことをたった一人で受け持つとなると神様でしかできない。
『でだ、主は聞かんのか? 死んだ理由とか?』
「気にはなりますけど、この状況で聞けないでしょう?」
『まあ主には教えても良いが』
「教えちゃダメなんですか?」
『本来ならな。儂は一人、一つの魂を贔屓することができん。この世の全ての魂は肉体との乖離すれば再び次の生を与えられるまで流転する。輪廻転生くらいは知ってるか?』
僕は首を縦にする。死後肉体は滅びるが魂は不滅で、次の生が決まれば新たな入れ物を得て次の生を全うする。その入れ物は人間の時もあるが中には動物や植物の場合もあるとか。
「次の生というのは神様が選択するんですか?」
『それも儂の仕事じゃからな。ちなみに天国とか地獄はないぞ』
衝撃の事実を神様はさらっと口にする。
『簡単に言うと儂のいる界を天界、そうじゃない界は全部血界(ちかい)と呼ぶ。儂は無数ある血界で役目を終えた魂を管理し、準備ができ次第また次の血界に魂たちを流していく。天界は疲れた魂たちを癒やす場でもあるのだ』
驚きのあまり開いた口が塞がらない。だが僕らを創った創造主が言うのだ。間違いはない。
『主らが勝手に作った天国とか地獄の思想は、悪いことするなという戒めのためのもの。死んだ人間が「天国最高だった!」なんて聞いたことないじゃろ?』
「じゃあ、生きている間に善行を積んでも」
『血界のどっかに回されるだけじゃぞ。選び方は結構雑じゃし、ぶっちゃけ血界で何してようと儂知らんほうが多いし』
「聞きたくなかったですそれ……」
『だから生きてる間にイイコトしようが悪いことしようが関係ないわけじゃ。そこんところもお主ら人間が勝手に決めたことじゃし』
「本当に聞きたくなかったです……」
このことを聖職者の人が聞いたら発狂するのではないだろうか。これではあまりに救いがない。
『儂からすればアリもお主らもあり方そのものは一緒じゃ。器が違うだけで魂を持つ存在には違いない。人の命も虫や動物の命も等しく「いっこの命」。そこに不公平が介入することは許されない。たとえ儂でもな』
「どう見えていたんですか、神様の目から僕らは」
『特に。何も感じ取らんぞ。止めたくなったらリセットもできるし、儂は儂のしたいように適当に生と死を与えるだけじゃ。ただ死の場合は一個ではなく血界一つ分じゃがの』
「……なんか神様って感じします。傍若無人さが特に」
『言うではないか、小僧』
「今更なんで」
心が見えるのなら言い訳の余地はない。僕は口で、心で神様に返答する。
『さて、お主とはもっと話していたいが、次々と別の魂たちもやってくるのでな。そろそろお主の”次の話”をしよう。主のこの後の転生先じゃが』
「あれ、さっき疲れた魂たちは癒やしてくれると言ってたような」
『お主別に疲れとらんだろう。それにこうして親しく話した中じゃ。主には特別にやってほしいことがある』
「仲良くなったと言われても今話したばっかりなんですが」
『まあ良いではないか! 多少融通も利かせてやるから』
表情はのっぺら坊なのでわからないが、楽しそうに神様は手のひらサイズの球体をどこからともなく取り出す。色は朱。真っ白な世界によく映える鮮やかな朱である。
『主の次の転生先は剣と魔法の世界。様々な国と民の他にお主がいた世界にはいない生物や理が存在する。まあ、行ってみればわかるわい』
本当に適当だ。せめて大きな問題とか起こらない世界が嬉しいのだが剣と魔法で争いがないことなど、僕の知る限りあまり見たことはない。
『残念じゃが国同士の揉め事とか普通にあるぞ。てかそこらへんはお主の生きていた血界でも同じじゃろ?』
儚い願いは一瞬で散ってしまった。せめて僕が生きていた血界とどっちが危険か教えてほしい。
『圧倒的に今から主が行く血界の方が危険じゃ』
「思ったこと全部読まないでくださいよ! というか危険なんですか!?」
『安心せい。確かに危険ではあるが。さっきも言ったように多少融通を利かせる』
「もしかして滅茶苦茶強くしてもらったり」
『ああ、そういうんじゃない。あれは創作の中だけじゃから。異世界でも主は主のままじゃ』
がっかりだ。別段強くなったからと言って何するわけでもないが、なれたらなれたで楽しそうだとは思った。少なくとも自衛はできたはずだ。
『主には二つ儂から施しをくれてやろう。まず一つは』
言いながら神様は俺に赤い手のひらサイズの朱の球体を差し出す。
『飲み込むがよい。飲み下せば次の血界でもどんな者とも会話が成立する』
「どんな、モノとも?」
『なんの
どうやら相当早くやってほしいことがあるようだ。まだ何をやるとも言ってないのに。
『そう悲しいことを言うでない。主にとっても悪い話ではないのだから』
「また心の中を読んで……」
止めてくれ、と言う前に神様は『何せ』と僕の言葉を遮る。
『お主が死んでしまった理由、お主を殺した相手もお主が行こうとしている血界に向かったのだからな』
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