14限目 作戦決行

 ある小学校にいつも孤立していた男の子がいた。


 別にいじめで無視されているわけではない。


 彼は周囲から恐れられていたのだ。


 特に、何か悪さを働いたわけではない。


 生まれ持った威嚇するような目つきとツンツンと尖った髪、そしてぶっきらぼうな口調が子どもだけではなく、大人たちまで遠ざけてしまっている。




「なんてかわいそうなんだろう」


 ある日、ひとりの女の子がそう呟いた。


 そう思うことがどれだけ相手に失礼なことか、幼い純粋な彼女には分からない。


 それゆえ悪意や傲慢などはない。ただ思ってしまったのだ。




 彼女は知っていた。


 彼が他人と比べられようもないほど努力家なのだと言うことを。


 彼女は知っていた。


 彼の鋭い視線は人を傷つけるためでなく、人を気遣うために向けられていることを。


 彼女は知っていた。


 彼のいびつな口調で分かりづらいけど、その言葉には確かな優しさがあることを。




 もっとそのことを知れば、周囲の人々も彼に接してくれるはずなのに。


 残念ながら、一歩を踏み出して距離を縮めたがらない。


 だったら、自分が架け橋になればいい。男の子のいいところを自分が広めればいいんだ。




 けど、女の子にはそれができなかった。いや、したくなかった。


 彼の優しさをみんなが知ってしまうのが嫌だったから。


 彼の魅力に気付いて、彼の周りに人が集まるのが嫌だったから。


 彼が自分以外のものになってしまうのが嫌だったから。


 彼のために何をしなければいけないのか分かっているのに、自分の都合のために何もしない。


 そんな自分がどうしようもなく嫌だった。




 彼女がその矛盾した感情の名を知るには、まだ多くの月日を得る必要がある。






 ーーー






「……ここ、どこ?」


 皆川遥香がゆっくり目を開けると、視界の先には天井があった。


 背後には柔らかいクッションの感覚。


 どうやらベッドの寝かされているらしい。


 しかし、どうして自分がそのような状態にあるのか、遥香はまだ理解できていなかった。




 とりあえず、朝目覚めてからの流れを順を追って思い出していく。


「えっと。確かテニス部の朝練に行ったら、いきなり千紗が来て、家に連れて行かれて、そこで義人と会って…………は!」


 突如として、身体にある感覚が襲う。


 自分が気絶する前、背中を這い回る正体不明の物体。くすぐったくて、怖くて、不快な感覚。


 そう。彼女はその物体との格闘中の末に気を失ったのだった。


 遥香は急いで身体を起こし、背中全体を手のひらで確認する。


「もういない、よね……ふぅ。よかった」


 恐怖の対象が既に姿を消していたことに、肩をなで落とす。




「もう。あれは一体何だった、ひにゃ!」


 安堵していたつかの間、いきなり背筋に鋭い刺激が襲う。


 今度は恐怖の記憶が生み出した幻覚ではない。確かに自分の背中をなぞった何かがいる。


 背中を両腕で押さえて、全身を九〇度回転させる。


 すると、そこには人差し指を立てて、無邪気なにやけ顔で見つめる実行犯の姿があった。


「ち、千紗! あんた何してくれてんの!」


「ごめんごめん。皆川さんの背中を見ていたら、無性になぞりたくなってついね」


「人の背中を見てなぞりたくなる衝動がよく分からないんだけど」


「いや~。想像以上に可愛らしい反応が見られてよかったよ。なぞった甲斐があったよ。今度学校でもやってみようかな?」


「もしやったら、問答無用で絶交だからね」


「絶交は嫌だからやめておくね」


 反省しているのかどうか分からない千紗の返事では、背中の警戒を説くことができない遥香はとりあえず背後をとられないよう、壁に身体を預けた。




「おお。起きたか」


 千紗の一挙手一投足に集中していると、ドアが開き、義人が入ってきた。


「さっき変な声が聞こえたんだけど、何かあった……みたいだな」


 訊ねている間に遥香と千紗の姿を見て、義人は大体の状況を察したらしい。


 「まったく」と小さく呟いて、千紗を睨みつける。


「お前、何やってんだよ」


「君も皆川さんに言ってやってくれよ。可愛い女の子の無防備な背中を見れば、なぞりたくなるのは仕方のないことだって」


「なぜそんなしょうもない証言をしないといけないんだ? 俺はそんなこと一度も言ったこともなければ、思ったこともない」


「わかり合える同志だと信じていたのに。この裏切り者!」


「勝手にお前のような変態の同志にすんな」


「なんだ。つれないな」


 口を尖らせる千紗を横目に、義人は床に置いてあるクッションに腰を降ろす。




「それで、調子はどうだ? 痛みとかないか?」


 義人は目線を下げて、頭を掻きむしりながらそう訊ねる。


 話の内容からすれば、遥香に向けての言葉だろう。


「大丈夫よ。別にどこかを打ったわけじゃないし」


「そうか。だったらいい」


 さっきまでの千紗とのコミカルなやりとりから一変、言葉数少ない応答をする義人。


 それにつられてか、遥香の返事も素っ気ないものになってしまう。


 いつもならもっと激しい言葉の応酬が繰り広げられるはずなのに、今は次に繰り出す言葉が出てこない。




 このようになってしまった原因は分かっている。


 遥香が気を失う前に義人と一悶着があったからで、その空気が未だに解消されていなかったからだ。


 いや、一悶着というのとはちょっと違う。


 遥香が一方的に義人へ苛立ちを覚えてしまい、その感情をダイレクトにぶつけてしまっただけだ。


 義人が千紗の恋人になっていたこと。その理由が二人きりで勉強を教えてもらうための理由付けのためだったこと。自分ではなく、まだ出会って間もない千紗に頼ったこと。そして、頼って欲しいという気持ちを純粋に理解してくれなかったこと。


 今思い返せば、どれも怒りを覚える理由としては不十分なものばかり。


 義人が誰とつき合おうが関係ないし、どうこう言えた義理もない。


 勉強にしたって、学年内で中の上ぐらいである遥香よりトップに君臨する千紗に頼むのは当たり前のことだ。


 けど、無性にイライラしてしまう。


 人は理屈ではなく、感情を優先してしまう生き物なのだ。仕方ない。


 しかし、それを表に出してしまったのはマズかった。


 そのせいで今まさにこれまで築き上げた関係が崩壊しようとしている。


(別に、義人との関係を壊そうだなんて、これっぽっちも思っていないのに。むしろ……)




 二人の間に築かれた目に見えない分厚い空気の壁。


 歩み寄れば、触れ合うことは簡単なはずなのに、当人たちには難しいことだった。


 であれば、壁を打ち壊すことができるのはこの空間でたった一人である。


「ちょっとやめてよ~、他人の部屋で変な空気作るのは。一番キツいのは部屋主であるこのボクなんだからね?」


 互いの顔を見ながら、必死に陽気な自分を演じる千紗。


 いつもは周りのことなんて気にしない自由奔放な千紗であるが、自分の行動で幼なじみの関係にひびを入れてしまった責任感に押しつぶされそうになっていた。


「そんなことよりさ、早速ゲームを始めようよ! ほら、皆川さんが眠っている間にGwitchの準備を終えているんだ。しかも、今回のソフトはマリアカートだ!」


 千紗が指し示す先にはテレビへ配線しているGwitch本体と三人分のコントローラーがあった。


「皆川さん、前から気になってるって言ってただろ? 」


「確かに言ったけど……」


「じゃあ、いい機会じゃん。一緒にプレイして、互いに歩み寄ろうじゃないか!」


「千紗がそう言うなら、せっかくだし……」


 遥香は頬をかきながらベッドから下りて、コントローラーの前に移動する。


「さあ、義人君も。そんな怖い顔してないで早くこっちに来るんだ」


「俺、そんな怖い顔してるか?」


 義人も促されるまま、尻に敷いていたクッションを持ってコントローラーの前に移動する。




 テレビの前に座る三人。


 右から遥香、千紗、義人の順である。


(どうして二人とも離れて座るんだ! ボクを間に挟んでいちゃ仲直りする機会を失っちゃうだろ! いや、気まずいのは痛いほど分かるけど!)


 無理矢理ひっつけることも考えたが、さっきまでの重い空気を感じた後にそこまで強引な行動に出ることができなかった。


(まあいい。初動は失敗したけど、まだ許容範囲内。作戦はここからだ)




 千紗は一つ咳払いをすると、右手の人差し指を立てる。


「さて、ゲームを始める前にルールを確認しておこう」


「ルール? それってゲームのってこと? それなら歴代のシリーズは一通りやっているから大丈夫よ」


「そっちじゃなくて、今回独自のルール、つまり最下位になった人への罰ゲームのことさ」


「え? それ本気だったんだ」


 遥香が露骨に嫌な顔を浮かべる。


「その反応を見ると皆川さんもちゃんと覚えているみたいだね。改めて説明すると、最下位になった人は一位になった人にくすぐられるんだ。もちろん手加減ぬきでね」


「ねえ、それって義人が一位になったときもやるの?」


「ああ。義人君だけ特別扱いするのは不公平。男女で区別するのは、この現代にそぐわないからね」


「そこは男女平等じゃなくてもいいんじゃないかな! 想像してみて。男に自分の身体を触られるんだよ? 嫌だと思わないの?」


「別に。ボクは義人君の恋人だし?」


「形式上だよね?! 本気でつき合ってるわけじゃないんだよね?!」


「それに嫌なことされなかったら罰ゲームじゃないから。安心して。義人君の場合は手じゃなくて、道具を使ってもらうから」


「それはそれでいやらしいような……」


「そこは紳士である義人君の倫理観を信じてあげようよ。ね?」


 突然話を振られて、顔を真っ赤にしながら「ああ」と答える義人。


 遥香は正直その反応を見て、懐疑心を抱いたが、なんとなく「義人なら大丈夫か」と思ってしまった。


 さっきまで彼を節操なし呼ばわりはしたものの、内心はそんなことをする人間ではないと信用していた。




「もっと詳しく説明するね。競技はもちろん“マリアカート”。最初の三回は操作に慣れるための練習、四回目から本番だよ。一試合ごとに罰ゲームを執行する。最下位になった人はベッドに寝っ転がり、一位の人に一分間くすぐられる」


「ちょっと待って。一分間って長くない? せめて一〇秒ぐらいで……」


「何を言っているんだ! 一〇秒で満足できるわけないだろ! 一分間でも時間を惜しんで短く設定したんだから! 本当なら一〇分……」


 突如として何かのスイッチが入ったかのように熱の入った演説を始める千紗。


 そんな彼女の肩に義人が手を置き、「千紗」と呼ぶ。


 彼の呼びかけに我を戻したのか、千紗は両手で自分の頬をパンパンと叩く。


「ど、どうしたの、千紗? あたし何か気に障ること言った?」


「いや、ボクが悪かったんだ。皆川さんのせいじゃないよ。軽い発作みたいなもんだと思ってくれ」


「発作、ね。だったら一度病院で見てもらいなさい……」


 初めて見る千紗の荒ぶる姿に少しだけ恐怖を感じた遥香であった。


「けど、確かに皆川さんの言うとおり、素人に一分間のくすぐりは酷かもしれないね」


「素人って何? くすぐりのプロなんているの?」


「そこは気にしなくてもいいよ。仕方ないから、今回は間をとって三〇秒にしよう」


「三〇秒でも長い気がするけど。まあそれでいいわ」


 本当はもっと短くしたかったが、これ以上粘ると最悪ここで千紗がくすぐって来かねないと思い、妥協することにした。




 一通りの説明を終えると、千紗はテーブルの上に置いていたリモコンを取り、テレビを付ける。そして、身を乗り出して、Gwitch本体と自分のコントローラーを駆使して、設定をする。


 すると、テレビにカラフルなデザインのタイトル画面が表示される。


 それを見た遥香は徐々に目を輝かせていく。


 状況はどうあれ、以前よりプレイしたかったゲームだ。それを今からプレイできる喜びがフツフツとわき上がっていく。


 


 マリアカートは一〇年以上に渡り愛されている、人気ゲームシリーズだ。


 登場人物が全員お姫様という設定で、プレイヤーは彼女たちの一人になって個性豊かなレースカーを乗りこなし、到着順を競い合う。簡単に言えば、アクションカーレースゲームである。


 なぜお姫様がカーレースをするのか、それを問うのは野暮である。


 その独特でポップな絵柄でありながら、手に入れた道具を駆使して、一時的に速度を上げたり、ライバルの邪魔をしたりと、戦略的な要素も含まれているため、老若男女誰もが楽しめるゲームとなっている。


 当然のことながら、義人たちの世代にも親しまれており、特に遥香はこのシリーズの大ファンだった。




 千紗が操作を進めていくと、テレビとコントローラーの画面に、一六人の女性キャラと、それぞれのレーシングカーが並んで表示される。


「じゃあ、プレイするキャラを決めようか。それぞれのコントローラーの画面を見ながら選べるらしいから。選び終えたら、Aボタンを押してね」


 千紗と義人がコントローラーの画面を覗き込んだ三秒後、遥香の方からピコンとキャラを決定した時の音が鳴る。


「え? もう決めちゃったの? 随分早いね」


 テレビ画面上には“テレシア”と呼ばれる氷をイメージした白髪のキャラの枠に、二番の印がついていた。


「お前、昔からいつもテレシア選ぶよな」


「いいじゃない。この子の車は他の子のと比べて軽いから操作しやすいのよ。なにより可愛いじゃん、あ、被せたらダメだからね。訳わかんなくなるから」


「別に被せねえよ。俺、テレシア推しじゃねえし」


 義人はコントローラーに目線を戻し、“フレイル”という炎をイメージした髪のキャラを選んだ。


「あんたもいつもフレイルじゃない。その子の何がいいの? スピードあんまり出ないじゃない」


「その分、いざというときのパワーが違うだろうが。急激な坂道で他の奴らを追い抜かす爽快感は半端ねえんだぞ。石とか投げたときの威力が二倍になるし」


「そういえば、あたしの背後について、よく石を投げられたわね。あれ、地味に腹立つんだからやめなさいよ。あたしのテレジアをいじめないで」


「ゲームなんだから仕方ないだろ」


「というか、あんな気の強そうなのがいいの? 頭ツンツンしてて可愛くないじゃない。それより繊細でしおらしいテレシアの方が魅力的じゃない。お姫様度でいえばダントツよ」


「俺のフレイルを馬鹿にすんな。それにな、祖国を守るため、強気な姿を見せないといけなかった、彼女の健気さこそお姫様度高いだろ。何処ぞの氷の城で閉じこもっている引きこもり娘と格が違うんだよ」


「誰が引きこもり娘よ! テレシアはね、自分の力が暴走するのを抑えるために長い間孤独と戦ってきた心の強い女の子なの! 野郎どもと戦場駆け巡る青春送ってたお転婆と一緒にしないで!」




「ふふふ……」


 義人と遥香の口論に拍車がかかってきた途端、二人の間に挟まれていた千紗から笑いがこぼれる。


「な、何よ。急に笑い出して」


「だって、おかしくてさ」


「何がおかしいのよ? あたしのテレジア愛がそんなにおかしいの?」


「いやそっちじゃなくて。さっきまで言葉が出てこなかった二人が、一瞬でここまで言い争いができるようになるだなんて」


「「!」」


 千紗に指摘されて、当の本人たちが今の状況に気付く。


 二人は顔を紅潮させると、ゆっくり腰を下ろしていく。


 そして、再び沈黙の時間に突入してしまった。


「いや、せっかく仲が直りかけていたというのに、どうしてまた黙るのさ。ほらほら、もっとバチバチやり合いなよ」


「千紗がいけないんじゃん。余計なこと言うから、変に意識しちゃったじゃない!」


「あれ? ボク、余計なことしちゃった? あのまま放置してた方がよかった?」


「い、いいから、さっさとキャラを選びなさいよ!」


(う~ん。人の心は難しい。これじゃ義人君のこと言えないな……)


 自分の未熟さを自覚しながら、千紗はこのゲームのメインヒロインである“マリア”に枠を合わせるのだった。

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俺の彼女は笑いたい 広瀬みつか @hijikata1081

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