13限目 仲直りは計画的に

 義人は部屋から千紗の手首を握り、二階の部屋から一階の玄関へ連れ出した。


「いきなりこんなところに連れてきてどうしたのかな? もしかして、ボクをくすぐりたくて我慢できなくなったとか? も~う。だったら、そう言ってくれればいいのに」


 鬼の形相で睨む義人に臆するどころか、両腕を一文字に広げて何かを期待する表情を見せる千紗。


 いつもなら「どうしようもないヤツだな」と呆れて済ますが、今はそんなところではない。


 まさに怒髪天をつく寸前なのである。


 義人は千紗の両肩をガシッと掴む。


「おい。さっきのはなんだ?」


「何のことかな?」


「すっとぼけるんじゃねえよ。お前、俺と遥香の仲を取り持つって言ったよな?」


「なんだい、改まって? ああ言ったよ。だから、みんなでゲームをしようと提案したわけさ。楽しい時間を共有すれば、自然と怒りも収まるというものなのだよ」


「そこまでは理解できた。なんならお前を見直したぐらいだ」


「お褒めにあずかり光栄です」


「だが、問題はその後だ。罰ゲームはくすぐりってなんだ」


「罰ゲームがあればスリルがあって面白いでしょ?」


「その内容が“くすぐり”だっていうのが問題なんだろうが! ただお前がくすぐられたいだけだろ!」


「それは否めない」


「そんなあっさりと……つうか、大切な親友を自分の性癖に巻き込まないのがお前たちの掟なんだろ? 矜持なんだろ? 完全に巻き込んでんじゃねぇか」


 千紗が“くすぐり”と口にしたときの遥香は忘れられない顔をしていた。


 しばらく表情を変えず固まっていたが、徐々に顔を真っ赤にし、口をあわあわと動かし始めた。


 義人は遥香の思考が停止したところで、千紗を強引に引きずり出したのだった。


 義人自身、遥香の気持ちがよく分かる。


 今まで何度も千紗の体をくすぐって慣れてきているとはいえ、遥香の体をくすぐる自分の姿を客観的に妄想しただけで今にも頭が沸騰しそうになった。


「あれれ~? 義人君、もしかしていやらしい想像でもしちゃった? 君は皆川さんのどこをくすぐろうとしているのかな~?」


「う、うるせえ! とにかくお前の提案はなしだ!」


「あのね。ボクがただそれだけの目的であんなことを言ったと思っているなら、それは大きな間違いだ。見くびらないでほしい」


「どういうことだ?」


 千紗は人差し指を立て、得意げな表情で説明を始める。


「いいかい? 確かに一緒にゲームをすれば君たちの仲が改善するかもしれない。しかし、その可能性は高く見積もっても三〇パーセントぐらいだろう」


「めっちゃ低くない?」


「義人君はそれだけのことをしたということだよ。じゃあ、その30パーセントをどうやって百パーセントに近づけるか。ここで“くすぐり”の出番だ!」


「…………意味が分からん」


「人は笑うことによって心の緊張がほぐれて、自然と怒りの感情が抑制されていくんだ。それはくすぐられて強制的に笑わされている時も同じこと。ここまでは理解できた?」


「まあ、理屈はなんとなく分かった。つまり、お前が毎日無駄にテンション高いのは俺に毎日のようにくすぐられることで怒りの感情がめっちゃ抑えられているからか」


「その仮説はあながち間違いではないかもね。もしかしたら怒りっぽい君を毎日くすぐってあげれば、心穏やかな日々を過ごせるかも……」


「お前が落ち着きが出るんだったら、くすぐるのやめようか?」


「どうしてそんな悲しい結論にたどり着くんだ! いや話が逸れたから戻すけど、ボクが言いたいのはくすぐることで皆川さんの怒りの感情を抑え込み、冷静になったところを改めて君が謝罪する。どうかな?」


「なるほどな……」


 確かに、ただゲームをするだけよりは効果はあるかもしれない。


 やってみる価値は十分にある。


(別に俺が遥香をくすぐる必要はない。千紗を一位に、遥香を最下位になるよううまく誘導すればそれでいいんだ。問題は……)


 千紗の得意げな顔を見る。


「ゲームって具体的に何をするんだ?」


 そう。ゲームの内容によっては、順位調整がむずかしくなる。


 とても大事な点だ。


「ツイスターゲーム」


「……遥香には俺は帰ったと言っといてくれ」


 一目散に玄関に向かって歩みを進める。


 そんな義人の手首を千紗が慌てて握って止める。


「冗談だよ、冗談。君には遊び心というものがないのかな? 同年代の男子がいる中ツイスターゲームだなんて本気でするわけないだろ」


「状況を考えろ。それにお前から言われると、冗談も本気に思えるんだよ」


「心外だな。君の中のボクのイメージってどうなってるんだい?!」


「今までの自分の言動を振り返ることだ。で、ゲームは何をするんだ?」


「ふっふっふ。実は最近流行りの“Gritchグリッチ”を手に入れたんだ。せっかくだからそれを使おう」


「“Gritch”って、先月出たばかりの家庭用ゲームのことか? 確か人気がありすぎて、今でも売り切れ必至なんだろ? よく買えたな」


「買ったというよりは貰ったっていう方が正しいかな? お父さんの知り合いにゲーム業界の人がいてね。その人から日頃のお礼にって一台渡されたらしいんだ。まあ、うちにはゲームをする人はいないから持て余していたんだけど、ちょうどよかった」


 千紗の父親とはどんな人物なのか?


 普通、最新の人気ゲーム機をもらえるほどの人脈があるほどだ。ただ者ではないことは確かだ。


「以前Gritchのソフト“マリアカート8”に興味があるみたいなことを皆川さんから聞いたことがある。きっと彼女も飛びついてくれるさ」


 確かに遥香にはミーハーな一面がある。


 中学のときに“Willウィル”が発売されたときのはしゃぎ様はいまでも思い出す。


 そういえば、その時に遥香に誘われて何度も対戦させられたソフトは“マリアカート6”だったか。


「さて、皆川さんをこれ以上放置するのはよくない。早く部屋に戻ろう」


「待て。最後に聞かせてくれ」


 階段を上がろうとする千紗を引き留め、この計画を成功させる上で最も重要な点を確認する。


「お前の腕前ってどの程度なんだよ?」


「ん? どういうこと?」


「ゲームの腕前のことだ。いいか。今回の作戦は遥香を最下位にしないと意味が無い」


「それぐらい理解してる。わかった上での提案だよ」


「俺は“マリアカート”の旧作を飽きるほどしている。三年間のブランクはあるが、アイツよりやれると思う」


「おお。すごい自信だね」


「しかし、俺が遥香に勝っても、お前が最下位だったら意味が無い。本音を言えば、お前に一位になって、遥香をくすぐって欲しいと思ってる。お前にそこまでの腕前があるのか。そこだけ教えてくれ」


 千紗の両肩を掴み、真剣な目つきで尋ねる義人。


 一方、千紗はそんな彼に呆れたかのように大きくため息をつくと、義人の右腕を自分の右手でポンポンと軽く叩く。


「君、ボクを誰だと思っているのかな? 自他認める“才色兼備・文武両道・完全無欠JK”の島原千紗さんだよ」


「自惚れがすごいな、おい」


「確かにゲームは数えるほどの経験しかない。“マリアカート”も今回が初めてだ。その点では、君たちに遅れをとっていることは認めざるを得ない。けど、何でも器用にこなすことができると評判のボクにとって、テレビゲームなんて児戯も同然だ。最初は操作に慣れるために練習させてもらうけど、二、三回対戦すれば君たちと互角、いや、それ以上に使いこなして見せるさ。なんならあたしの望む結果が出るよう調整することも可能だよ」


「お前、なんで初めてするゲームにそこまで自信が持てるんだ?ある意味、尊敬するわ」


「何をするにしても“初めて”は避けられないもの。だからって、恐れてたら何もできない。だから、大事なことは挑戦することなんだよ」


「根拠のない挑戦心は不安要素でしかないんだが……まあ、今はその自信に賭けるしかないか」


「君のその賭け、絶対に勝たせてあげるよ」


 互いに頷き合った二人は、遥香の待つ部屋に向かっていった。






 ーーー






「入るよ」


 千紗が陽気に声をかけながら自分の部屋のドアを開けると、彼女に続くように義人が部屋に入る。


 そこにはさっきまで“くすぐり”という言葉に顔を真っ赤にしていた遥香が、何事もなかったかのようにクッションの上に脚を崩して座っていた。


「ごめんごめん。一人で待たせてごめんね」


「気がついたら二人がいなくなったから、びっくりしちゃった」


 どうやら遥香は数分の間、本当に意識が飛んでいたらしい。


「それで、どこに行ってたの?」


「義人君と一緒にこれからするゲーム機を探しに行っていたんだ。けど、探している途中で、この部屋に置いていたのを思い出してね」


「もう。千紗は本当そそっかしいんだから」


「あはは。楽しみ過ぎて、つい先走っちゃった。今取り出すから、ちょっと待てて」


 千紗はクローゼットを開けて、その中に積まれている段ボール箱をあさり始めた。


 その間に義人はテーブルを挟み、遥香の右斜め前に腰を下ろす。


「いや~本当そそっかしいよな、あいつ。巻き込まれる俺の身にもなれって……」


「ふん!」


 義人が少しでも関係を修復しようと遥香に声をかけてみるが、鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまった。


 なぜ遥香がこんなにも怒っているのか、何が彼女の気に障ったのか、今更ながら義人には理解できていなかった。




「皆川さん。ごめんだけど、ゲームを取り出すの手伝ってくれないかな? 結構奥の方にあってとりづらいんだ」


 四つん這いになり、頭をクローゼットの中に突っ込みながら千紗が呼びかけてきた。


「じゃあ、俺が手伝おうか?」


「君はダメだ!」


 義人が立ち上がろうとしたら、千紗が間髪置かず義人の提案を拒否した。


「なんでだよ。結構重いやつがあるんだろ? それだったら遥香より俺がいった方が……」


「君の優しさはありがたく受け取っておくけどさ……」


 すると、千紗がクローゼットからゆっくり頭を出し、ニヤッと笑いながら義人を見つめる。


「女の子の部屋のクローゼットにはね、男の子に見せられない秘密がいっぱいあるんだ。君はそんな乙女のブラックボックスを覗くつもりなのかな?」


 クローゼットには彼女の衣服だけでなく、下着も入っている。


 もしかしたら、それ以上に異性に見られては困るものがある可能性だってある。


 いくら下心が無いとはいえ、そこに踏み込もうとするのは余りに配慮に欠く行為だ。


「す、すまん」


 義人は黙って、再びその場に腰を下ろした。


 そんな彼に対し、遥香が氷のように冷え切った目で「エッチ」と呟く。


「この変態の代わりにあたしが行くわ」


「よろしく~」




 義人に代わり、遥香が千紗のもとへ近づいていく。


「それであたしはどうすればいいの?」


「ゲーム機がそこの一番奥にあるんだけど、どうしても手前の箱が倒れて邪魔してくるんだ。だから、ボクの隣でこの箱が倒れないように押さえておいてくれるかな?」


「わかった。ちょっと隣失礼するわね」


 遥香は千紗の左隣にしゃがむと、千紗と同じように四つん這いになってクローゼットの中に頭を入れる。


 端から見れば、二人の女子のお尻が突き出された状態になり、滑稽でもあり、義人を含む思春期真っ盛りの男子にとっては少し刺激的な光景だった。


「これでいいの?」


「そうそう。重くないかな?」


「体勢がキツいけど、大丈夫。それにしても段ボール箱多すぎない? これは女子にも見せられないわよ。少しでいいから捨ててみたら?」


「あはは。昔から物が捨てられない性分なんだ。だから、こうして詰め込んで……あ、もうちょっとで出せそう!」


「本当だ。頑張って、千、ひにゃーーーー!」




 遥香の甲高い悲鳴と同時に、ガタガタと物が倒れる音が響いた。


「大丈夫か、遥香!」


 心配になった義人は急いで駆け寄り、クローゼットを覗き込む。


 すると、十数個の段ボール箱が盛大に崩れていた。


 幸いにも遥香と千紗は生き埋めになるのを逃れていた。


 千紗に至ってはニコニコと笑いながら、ちゃっかりとGwitchの箱を抱えている。抜け目のないやつだ。


 しかし、遥香の方は両腕をバタバタとしながら慌てふためいていた。


「どうしたんだ? 頭でも打って、おかしくなったか?」


「違うわよ、バカ! 背中に、背中に何かが入って!」


「背中?」


 遥香の背中に目線を向けると、彼女の体操着の一部が僅かに盛り上がっていた。


 どうやら遥香の言うとおり、何かが体操着の中に侵入しているようだ。


「なんだこれ? 虫か?」


「虫?! も、もしかして、ゴキ……いやーーーーーー!」


 遥香の顔が一気に青く染まり、長年の付き合いの中で聞いたことのない悲鳴を上げる。


 そして、体操着の後ろの裾口を広げて、背中を義人に見せる。


「義人! とって! 早く、早くとって!」


「お前、一回落ち着けって! 下着が見えるって」


「こんな状況で落ち着ける訳ないじゃない!」


「おま、ふざけんな! 服の中に手を突っ込めって言うのか?!」


「仕方ないでしょ! それ以外に方法はないんだから!」


「だったら、俺じゃなくて千沙に頼めば……」


「いいから早、あ、あはははははは!」


 いきなり笑いだす遥香。


 彼女の背中を見ると、服の中にある何かがゆっくりと下に移動していくのが見えた。


「いひひははははは! ちょっと待、くしゅぐ、せ、背中は弱、あはははははははははは!」


 背中に得体の知れないものがいることへの恐怖と、背筋をすーっとなぞられるくすっぐたさで、遥香の冷静さを失う。


「あはははは! もう、ゆ、許し、て……ガクッ」


 恐怖のせいか、くすぐったさのせいか、突如遥香は気を失い、正面に倒れた。




 初めて目の前で人が、しかも幼馴染が気絶したことに驚きを隠せずにいた。


「おい、遥香、遥香!」


 何度か名前を呼びながら体を揺すってみたが、全く起きる兆しが見えない。




「くそ、どうして遥香がこんな目に……ん?」


 体を揺すった拍子に彼女の体操着の裾から何かが出てきた。


 間違いなく遥香を苦しめた元凶だ。


 しかし、それは義人や遥香が想像していた忌まわしき黒光りした昆虫ではなく、桃色の毛でおおわれた小さな球だった。


 謎の球をつまみ上げ、いろんな角度から観察する。


 しかし、初めて見るもので、名称や用途が一切見当がつかない。


「まったく失礼だな。虫が湧くほどボクの部屋は汚くないのになぁ」


「なぁ、これは何なんだ?」


「ん? ボクの愛用しているおもちゃの一つだけど?」


 義人の問いに千沙はきっぱりと答えた。


「この中に小さな機械が入っていてね。電源を入れると、不規則に転がるんだ」


「なんでこんなもの……」


「一人でくすぐりプレイを楽しむために買ったんだよ。これをお腹の上に乗せて電源を入れるでしょ。すると、思いも寄らない動きで体をくすぐってくれるから、もう最高で……」


「……まさかお前、遥香にいたずらするために!」


「勘違いしないでよ。今回のは完全なる事故。いつもは上の棚に置いてあったんだけど、何かの拍子に落ちてきて、それがたまたま皆川さんの服の首元から中に入ったんだね」


「やっぱお前が元凶じゃねぇか!」


「まあ、悪意がないとはいえ、簡単に落ちるところにそれを置いて、その下に皆川さんを誘導してしまったボクにも少しは過失がある。申し訳ないことをしたと思っているよ」


 千沙は倒れている遥香に両手を合わせ、「ごめんね」と語尾に音符マークがついていそうな軽い謝罪をする。




「まったく。どうするんだよ。これで遥香との関係修復計画が頓挫しちまったじゃねぇか」


「大丈夫だよ。一時間も経てば皆川さんも起きるだろうし、それからゲームを始めればいい」


「確かにまだ午前中だから、十分時間はあるな」


「それに皆川さんには申し訳ないけど、これは好機かもしれない。今のうちにゲームの練習をしておけるからね」


「そうだな。俺も一応練習するか」


 義人と千沙は床で倒れている遥香を両脇から支え、千沙のベッドの上に寝かせた。


「でも、これで皆川さんを打ち負かすモチベーションができたなぁ」


「モチベーション?」


「だって、皆川さんを最下位にすれば、あの笑い悶える皆川さんをもう一度見られるじゃないか。義人君も楽しみでしょ?」


 ベッドの上で寝息を立てている遥香を眺める千沙は、顔を紅潮させながら息を荒立てていた。


 その時、千沙がド級のくすぐりフェチなんだなと改めて実感した義人なのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る