12限目 釈明と誤解とゲームと

「じゃあ、飲み物とお菓子を用意するから二人とも待っててね」


 そう言い残し、千紗は自分の部屋を去って行った。


 残された義人は置物のように固まっていた。


 義人がこの部屋に入ったのはこれで三度目になる。


 しかし、まだ同年代の女子の部屋には慣れない。


 最低限の家具しかなく、モノトーンで揃えられている。


 その上、本棚には参考書や問題集など、人によってはタイトルを見ただけで頭痛を起こしそうになる本ばかりが並んでいる。


 義人が想像する“ザ・女子の部屋”という雰囲気とはかなりかけ離れている。むしろ、男子のものだと紹介した方が納得がいくかもしれない。


 しかし、義人たち“高校男子の部屋”とは決定的に違うものがある。


 それは匂いだ。


 絶賛思春期の男子から決して放たれるはずもない、フローラルな匂いがこの空間の空気を支配している。


 一度この匂いを鼻孔に通せば、ほとんどの男子は全身を硬直させてしまうだろう。それが女子耐性のない者であれば尚更である。


 下手な薬品よりも効果があるかもしれない。




 しかし、今の義人の体を硬直させる原因は、この空間の雰囲気以外にもう一つある。


 目の前にいる幼なじみの皆川遥香の存在だ。


 意図がよく分からないが、千紗は遥香をこの家に連れてきた。それも部活の練習中だったところを無理矢理引き抜いてまで。


 その遥香は義人と出会ってから現在にかけて義人を睨んでいた。


 いつもなら義人をからかうように声をかけるのに、それがない。ただただナイフのように鋭い視線を義人に送り続けるのだ。それがかなりキツい。


 “蛇に睨まれたカエル”はこの状況の為に作られた諺なのだろう。


(頼む千紗!早く戻ってきてくれ!)


 義人は心の中でそう叫んだ。


「ねえ、義人」


「ひゃい!」


 遥香から呼びかける。日頃の彼女と別人なんじゃないかと思うぐらい低い声だった。


 逆に、義人は上ずった高い声で返事をする。


「何その反応? まさか千紗の部屋に入って、変な気を起こしてるんじゃないでしょうね?」


「そ、そんな訳ないだろ!」


「どうだかね。あんたが鼻の穴広げて、匂い嗅いでるの知ってんだから。あぁ、やらしいやらしい」


「してねえし! 花粉症で鼻の調子が悪いだけだし!」


「最近の中学生でももうちょっとまともな嘘をつくわよ」


「うっせぇわ。つうか、さっきからなんで俺のことを睨んでるんだよ」


「あんたなんか睨んでませ~ん。あんたの後ろの本棚を見て、『千紗ってこういうの読んでるんだ』って思ってただけですぅ」


「嘘つけ。さっき俺の鼻の動きを見てたって言ってたじゃねぇか。お前の言い訳は小学生レベルだな」


「違いますぅ。嫌でもあんたのやらしい顔が視界に入ってきただけですぅ。ほんとキモかったわ~」


「すみませんね。お見苦しいもんを見せてしまって」


 義人と遥香は互いに目線を反らし、沈黙した。


(なんだよ。いきなりつかかって来やがって……でもよく考えたら、遥香とこんな言い争いをしたのは久しぶりだな)


 義人と遥香は小学校の頃からの幼なじみだ。


 生まれもっての顔つきの悪さと無口な性格が相まって、義人は昔から同級生たちに恐れられ、避けられ続けていた。


 そんな彼に友人と呼べる人物ができた。それが遥香だった。


 何かにつけて話しかける遥香に最初は鬱陶しさを感じていた義人だが、月日が経つにつれ、自分の内面を理解してくれる彼女に好印象を持つようになり、そして、中学の頃には互いに心の内を遠慮なく打ち明け合える数少ない存在になった。


 しかし、高校に入学してから何故か二人の関係は以前よりドライなものへと変化していた。


 思春期特有の“異性と話すのがなんだか恥ずかしい”という奇妙な感情が義人に芽生え、それを察した遥香が距離を置いてしまった。


 遥香は義人の顔を見ると「機嫌はどう?」と声をかけ、それに素っ気なく答えるぐらいのテンプレな会話しかしなくなっていたのだ。


 そんな中、内容はどうあれ、これほど互いにぶつかり合ったのは久しぶりだった。


 義人はそれが何故か新鮮だった。そして、このチャンスを逃したくないと思った。


「……すまん」


 義人はボソッとつぶやく。


「それは何に対しての謝罪?」


「ほら。お前、部活の練習だったんだろ? それを無理矢理サボらせたみたいにさせてさ。迷惑だっただろ?」


 遥香は小さく舌打ちをして、「そっちかい」とつぶやいた。


「あ? なんか言ったか?」


「いや何も。というか、あれってあんたが千紗にやらせたの?」


「んなわけないだろ。俺だって千紗がお前を連れてきて驚いたんだからな」


「じゃあ、義人が誤るのは筋違いじゃない?」


「まあ、そうなんだが……」


 義人自身、なぜ自分が誤らないといけないのか分からなかった。


 ただ、遥香に声をかける内容が見つからず、とっさに出た言葉がこれだったのだ。


「別に怒っちゃいないわよ。千紗は日頃からあんな感じだし、毎回振り回されてたから、もう慣れたわ。まあ、部員がいる前で堂々と部長に交渉し始めた時はさすがに『こいつ何やってんだ?』とは思ったけど」


「ああ。なんとなく想像がつく……そういや、いつからアイツと仲良くなったんだよ?」


「一年生の時に席が隣だったのがきっかけかな。いま思い出してもすごかったなぁ。ホームルーム終わって早々クラス中の男子が千紗の机に集まって来て、話しかけるの。中にはいきなり連絡先なんか聞く奴もいたんだから」


「現実離れした話だが、あいつならあり得るな」


「でも、あの子って結構人見知りだから、声をかけられてもずっとうつむいて、黙ってたの。それに見かねてあたしが助けてあげて、それからよく話すようになったんだ」


「へえ、千紗が人見知りだなんて結構意外だな。俺の時はそんな素振りなんてなかったがな。むしろ積極的だったぞ」


「“俺の時”って、どういうこと?」


「何でもない」


 出会ったその日に「自分をくすぐってくれ」と千紗に頼まれた。しかも脅迫されて、なんて遥香に言えるはずがない。義人と千紗、両方の名誉の為にも。


「それはきっと今は人見知りがだいぶ改善されたからよ」


「人見知りは改善されたかもしれないが、その分大事なブレーキを壊してねぇか?」


「だから、今はあたしが千紗のブレーキ役になってあげてるわけ」


「だったら、しっかりアイツを止めろよな」


「あんたに言われなくてもそのつもりよ」


 遥香は目線を落として沈黙した。


 そして、「よしっ」とつぶやくと、丸テーブルに身を乗り出した。


「あのさ、義人!」


「な、なんだ?」


「ずっと前から聞きたかったんだけど、あんたと千紗ってさ……」




 コンコンコン




 遥香の言葉を遮るように部屋の扉をノックする音が響いた。


 二人が扉に目線を向けると、千紗が扉を開けた。


「ごめんね。思ったより時間をとられちゃって……ってあれ?」


 千紗は遥香の身を乗り出した姿を見て、言葉を止めた。


「もしかして、入るタイミング悪かった? なんならもう少し席を外すけど……」


「ううん! いいの! 気にせず、入って」


 遥香は慌てるように腰を落とし、千紗に中へ入るよう促した。


 千紗は「一応、ボクの部屋なんだけどな……」と苦笑いを浮かべながら、ティーポットと三人分のティーカップとクッキーの乗った大皿を丸テーブルの上に並べて、自分も腰を下ろした。


「ところでさ、結構楽しそうな声が聞こえてたけど、何の話をしていたの?」


「え?! 外まで聞こえてた?!」


「うん。さすがにあれだけ大きな声を出されてたらね。内容までは聞こえなかったけど」


「「ご、ごめん……」」


 義人と遥香は頬を赤くしながら目線を下げ、そんな二人に「気にしないで」と声をかけながら、千紗はティーポットに入った紅茶をそれぞれのカップに注いでいく。


 その瞬間、リンゴの甘い匂いが立ち上り、義人たちの緊張をほぐしていった。


「それでさ、何の話をしてたの?」


「お前と遥香が出会ったときのことを聞いてたんだよ」


「え? そんなことであんなに声を張ってたの? 熱入りすぎじゃない?」


「いや、その時はまた別の話をしてたんだけどな……」


「ふーん。ところで、皆川さんはボクのことなんて言ってた?」


「昔は慎みがあって良かったなって」


「ちょっと義人! 変な意訳しないでよ! ただ千紗は昔はシャイで大人しかったんだよって言っただけでしょ」


「元は似たようなもんだろ?」


 義人は目の前のティーカップを手に取り、紅茶を口に流し込む。


「酷いなぁ。それだと今ではじゃじゃ馬娘や暴走機関車みたいだって言われてるみたいに聞こえるじゃないか」


「さすがはクラス一いちの秀才だ。察しがいいね」


「全くもって心外だ。今だって一人の淑女として最低限の慎みを備えているつもりだよ? ほら、こうやってアップルティーとお菓子を出しているじゃないか。これ、結構ポイント高くない?」


「何が淑女だ。だいたい俺がここに来たときは毎回ペットボトルの麦茶で、紅茶なんて上品なもん出されたのは今回が初めてだぞ」


「今日は皆川さんがいるんだ。あんな粗末な対応をするわけないじゃないか」


「俺一人ならいいのかよ!」


「上品な対応をお望みなら、まずその態度を直すところから始めるべきだね。まあ、今更無理かもしれないけど」


「なんでお前に優しくしてもらう為だけに自分を変えねぇといけないんだ。割に合わねぇだろ。だいたい……」




「ちょっと待って!」


 突然に始まった義人と千紗の言葉の応酬が、遥香の一言で終了した。


 ここで遥香の存在を完全に忘れてしまっていたことに義人は気づいた。


 千紗と話していると、ついカッとなってしまう。それこそ周りに気を配ることができなくなるほどに。


 彼女と出会って一週間程度だが、まさかここまで気兼ねなく話せる関係になる。それが妙に怖く感じてしまう。


「あ、ごめん。義人くんがあまりに失礼なことを言うからむかついちゃってね」


「いや、それはいいんだけどさ……」


 遥香は険しい顔で義人と千紗の顔を交互に見比べ、咳払いをした。


「義人、あんたもしかして、この部屋に入ったの今日が初めてじゃなかったりする?」


「……あっ」


 その時、義人は自分が千紗の部屋に何度か来ていたことを口にしてしまったことに気がついた。


 これが男子の部屋だったならまだいい。


 しかし、千紗は女子であり、遥香の親友でもある。


 そんな彼女の家に数度とはいえ、上がり込んでいると知られるのは何かとイメージが悪い。


 他の誰になんと思われようと慣れているが、遥香にだけは悪い印象を与えたくない。


「いや、そんなことは……」


「そうだね。確か今日で三回目になるかな?」


 答えに戸惑う義人を尻目に、千紗はさも当たり前かのようにきっぱりと答えた。


「千紗、お前!」


「本当のことだろ? 別に隠すことでもあるまいし」


「いや、そうかもしれねぇが……」




 千紗に抗議をしていると、邪悪なものを帯びた空気が漂うのを感じた。


 恐る恐る首を正面に回すと、遥香が笑顔で義人を見ていた。


 いや、顔は笑っていたが、しっかりと見開いた瞳から殺気が感じられた。ある意味、睨まれるより怖い。


「義人。あたしはあんたのことをあたし以外の女子と一生話すことのできないヘタレ童貞野郎だと思ってたわ」


「うぐっ!そう思われていると、薄々気づいていたが、面と向かって言われると来るものがある」


「でも、それは勘違いだったみたい。ごめんね」


「ど、どういうことだ?」


「まさか、知り合って数日の女子の部屋に上がり込むほど無節操だとは思わなかったわ」


「“無節操”って、それは言い過ぎじゃ……」


「あら? それ以外の呼び方の方がいいのかしら? “破廉恥野郎”とか“色欲魔”とか?」


「より悪くなってねぇか?」


「それにあたし知ってるんだから。あんたと千紗が昼休みに二人っきりで空き教室に行ってるってこと。これでも自分が無節操じゃないなんて言い張れるのかしら?」


「ぐぬぬ……」


 言い返せなかった。


 義人の心の中にも自分の行動がやましいことなのだという自覚があったからだ。


 いや、それどころではない。会って間もない女子の体をくすぐるなどという、端から見れば変態と見られかねない非常識なこともしている。


 すぐに返事しない義人の顔を遥香は冷ややかな目でジッと見つめる。


(やめてくれ! お前にだけはそんな目で見られたくないんだ!)


 今までコツコツと築きあげてきた遥香との信頼関係が瓦解するのを感じていた。


 その時だ。


「ちょっと待って! 皆川さん、君はとんでもない誤解をしているよ」


 絶望に浸る義人の代わりに、千紗が釈明に入ってきたのだ。


「誤解? それって千紗の部屋に入ったのは今日が初めてじゃないってこと?」


「いや。それは間違いない。今までにも義人くんはこの部屋に来ているし、昼休みに空き教室で二人っきりになっているのも紛れもない事実だ」


(おいー! そこは嘘をついてでも俺をかばってくれるんじゃねぇのかよ! いや、本当のことだけども、否定はできないけども!)


「ふん。やっぱりそうじゃない。千紗も千紗よ。確かにこいつは朴念仁そうに見えるけど、男であることには違いはないの。獣なの!あんたみたいな美人と二人っきりになれば、いつ襲いかかってくるかわからないんだから!」


「それも十分に理解している。けど、義人くんはそんなことができるほどの度胸があると思うかい? それができない男だから今まで彼女ができなかったんだ。長い付き合いの君ならわかるだろ?」


「それはそうだけど……」


(本人目の前にそこまで言う? お前たちは俺を信じているのか? それとも下等に評価してるのか?)


 義人はそうツッコんでやりたかったが、飲み込んで、うつむいていた。


 変に割り込めば、事態は悪い方向へ進む恐れがある。


 不安だが、ここは千紗に任せるしかない。


「じゃあ、千紗は義人と二人で何しているの?」


「それは皆川さんがよく知っているんじゃないかな? だって、この前の昼休み、覗き見していただろ?」


「気づいてたの?!」


「やっぱり皆川さんだったんだ」


(あの時って、俺たちを誰かがつけていたって千紗が言ってたやつか。まさか、犯人が遥香とは……)


「まったく、覗き見をするとは感心できないね」


「それは、ごめん」


「まあ、どこかの誰かさんのことが気になって仕方なくしてしまったんだろうから、今回は許してあげるけど」


 そういいながら、千紗は義人の顔を見て、ニヤッと笑う。


「それでさっきの質問だけど、あの時君が見た光景が答えだ」


「勉強を教えていたってこと?」


「最近勉強がうまくいかないとスランプを抱えていた義人くんが、クラス一の秀才美少女であるこの島原千紗に『勉強を教えてください』って懇願してきたんだよ。人に頼まれると断ることのできない優しいボクは義人くんの頼みを二つ返事で受けてあげたってわけさ。まあ、階段を踏み外したときに助けてくれたお礼も兼ねてるんだけどね。だろ、義人君?」


「あ、ああ。そうだな」


 事実は違う。


 義人が千紗に勉強を教えて欲しいなどと懇願した覚えはない。むしろ、それを提案してきたのは千紗の方だ。


 しかし、千紗の筋書きであれば遥香も納得できるはずだ。


 この場が丸く収まるなら自分が千紗に泣きついたみたいな情けないイメージを持たれても仕方はない、と義人は千紗の説明に同意した。


「でも、それだったらわざわざ二人っきりになる必要はなくない? そんなの周りから変なことをしているって疑われても仕方ないじゃない。実際に学校じゃあんたたちが付き合ってるって噂が……」


「そりゃ、そうだよ。だって、ボクたち付き合ってるもん」


「「はあ?!」」


 義人と遥香はほぼ同時に声を上げた。


 遥香はあくまで噂程度のことだと思っていたことが、当の本人の口から肯定されたことに、一方の義人は千紗の突然のカミングアウトしたことに動揺を隠せなかった。


「それだったら話が変わるわよ! なに?あんたたち、やっぱ付き合ってたの?」


「ぐはっ! ちょ、タンマタンマ!」


 遥香は義人の胸ぐらを掴んで前後に体を揺らし、義人は遥香の手を必死でタップする。


 そんな二人の姿を見て、千紗がケタケタと笑い出す。


「お前、笑ってないで助けろよ!」


「あはは。ごめんごめん。皆川さん、ボクの説明を最後まで聞いて。あたしと義人くんが付き合っている、っていう体をとっているだけだよ」


「え? どういうことなの?」


 千紗の言葉を聞くと、遥香の手が義人の服を離す。その拍子で、義人は後ろに思いっきり飛ばされた。


「『女子に勉強を教えてもらっているところを見られるのが恥ずかしい』って義人君が言うもんだから、人目につかないここや空き教室で教えてあげていたんだけど。さすがに付き合っていない男女二人が一緒の部屋でいるのって外聞が悪いじゃない? だから、あたしたちが付き合っているって風にわざと噂を流したんだよ」


「そ、そうだったんだ。じゃあ、義人と千紗は」


「付き合ってないよ。付き合うわけないじゃないか」


「そう、よね。千紗が好き好んでこんな根暗な目つきの悪い奴と付き合うわけないわよね。あたし、どうかしてたわ。あはは」


「遥香、お前今日一日で俺の心と体にどんだけ大怪我を負わせるつもりだよ……」


「ややこしい真似をした義人の自業自得よ。というか、女子に勉強を教えてもらうのが恥ずかしいって、思春期こじらせてんじゃないわよ」


「うっせ! というか、年齢的には思春期でもおかしくねぇだろ」


「ふんっ。自分で言ってちゃ世話ないわね。でも……」


「ん?」


「困ってることがあんなら、まずあたしにたよりなさいよね。あたしたちは幼なじみなんだから……」


 そう呟くと、遥香は義人に背を向けた。


 義人は床に強打した頭をさすりながら、一つため息をつく。


「お前なぁ……自分より成績の悪い奴に勉強教えてもらっても意味ねぇだろ?」


「くっ、義人のバカ!」


「ぐはっ!」


 ベッドに置いてあった枕を鷲づかみにした遥香はそれを義人へ投げる。


 枕は義人の顔面にクリーンヒットした、彼を再び背面から床に叩きつけた。


「千紗! お手洗い、どこ?」


「玄関の近くだけど?」


「借りるね!」


「ど、どうぞ……」


 遥香は立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。


「いてて。何しやがるんだ……」


「まったくだ。よりにもよって、ボクの枕を君に投げるだなんて。匂いを嗅がれたらどうするんだ」


「そっちの心配かよ」


「投げるなら本棚にある赤本でも投げてくれればよかったのに」


「そんなん顔面に食らったら重傷になるわ! むしろ、わざわざ本棚から取り出して投げてきたら殺意すら感じるわ!」


「君はそれぐらいのことをしたんだよ。言うだろ? 女心の分からないやつは参考書を頭にぶつけて死んじまえ、って」


「聞いたことねぇ。誰だよ。そんな勉強好きと恋愛好きが混ざったイカれた格言言ったやつは」


「by島原千紗」


「お前発信かよ」


 千紗は義人の手から自分の枕を奪い取ると、ベッドの上に置き直した。


「しかし、あんなに感情的な皆川さんを見たのは初めてだよ。君の前ではいつもあんな感じなの?」


「そんなことはねぇよ。今日は特別機嫌が悪かったんじゃねぇの?」


「はあ。そんな訳ないだろ? 君のような無頓着な幼馴染を持って、皆川さんが可哀想に思えるよ」


「ん? 何が言いたいんだ?」


「君は一生モテないと言ってるんだよ」


「意味わかんねぇ……」


「けど、今は君がモテるかどうかはどうでもいい。このままじゃ皆川さんとの仲が悪くなる。最悪、一生話ができなくなる。それぐらい理解してるだろ?」


「それは、な……」


「まあ、今回の件は皆川さんを無理矢理連れてきたボクが発端と言えるし、それで君と皆川さんとの関係が壊れたら後味悪いからね……よし! 君たちのために一肌脱ごうじゃないか!」


「協力してくれるのか?」


「ああ、もちろんだ。ボクには一ついい案があるからね」


「なんだよ、それ」


「それは秘密だ。すべて任せてくれればいい!」


 千紗はニコニコと笑いながら、義人の肩をポンポンと叩いた。


「なんか、不安だな……」


 短い付き合いだが、なんとなく分かる。千紗は何かよからぬことを企んていると。


 しかし、遥香との関係を修復する術を義人は持ち合わせていなかったので、渋々千紗の案に乗ることにした。




 一〇分後、遥香が部屋に戻ってきた、


「千紗、ありがとう」


「いいよ。何か困ったらいつでも言ってね」


「うん。ありがと…………ふんっ!」


 千紗とは普通に話していた遥香だが、義人の顔を視界に入れた途端、再び機嫌を損ねたように顔を背けた。


 全く和解の兆しの見えない状況に不安になった義人は、千紗に小声で話しかける。


「なあ千紗。本当に大丈夫なのか?」


「心配しなくていいよ。ボクに任せて」


 千紗は遥香が腰を下ろしたのを確認すると、一つ咳払いをする。


「さて、皆川さん。今回君をここに連れてきたわけなんだけどね……」


「随分と唐突ね」


「まあまあ、いいから。実は今日、勉強の合間に義人くんとゲームをしようと思ってたんだ。けど、よく考えてみると二人だけでしても面白くないなって思ってね」


「なるほど。だから、千紗と義人共通の知り合いのあたしに声をかけたってことね」


「そうだよ! さすが皆川さん。義人君と違って、勘がいいね」


「当たり前よ。そこのバカと一緒にしないでよね」


「ごめんね。それで、せっかくだからさ、皆川さんもゲームに参加してくれないかな?」


「う〜〜ん」


 遥香は千紗と義人の顔を交互に見て、考え込む。


「まあ、せっかくここまで来たんだし、千紗の頼みなら仕方ないわ」


「ありがとう!」


 千紗は遥香に抱きついて、喜びを表した。そして、義人にウインクを飛ばす。


(なるほどな。ゲームを通じてコミュニケーションをとった後に遥香との間を取り繕うって話だな。まあ、悪くない手だな)


「よし、そうと決まったら早く始めよう。あ、そうだ!」


「ん? なに? 他に何かあるの?」


「ただ遊ぶだけじゃ面白くないから、最下位の人は罰ゲームを受けるってのはどう?」


「罰ゲーム? それはいいけど、何にするの?」


「そうだね〜」


 千紗は人差し指を頬に当てると、ニヤッと笑った。


「最下位の人は一位の人にくすぐられるってのはどうかな?」


「「…………はあ?」」

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