第一章 5 『出発前夜』 ①

 空腹の俺からすれば、漂う料理の匂いは凶器のようにも感じた。

 【国境アーラルディア】に来るまでの間、まともな食事など摂っていないから、俺の腹の虫は限界だと叫んでいるのだ。


 木剣の姿に変身する、可憐な美少女に空腹などあるのか?

 それがあるから、二人分の食費を稼ぐのは脚が折れる気持ちだ。


 荷車を見に行く前に、どこかで空腹を満たしたい。

 今はそれに尽きる――


「直ぐそこに酒場宿があるのよ!ふたつも付いてるのに、その目は節穴かしら?」


「寝てたんじゃないのかよ?……ったく、食べる事となればこれだもんな?」


「とっとと早く人気のない所に連れて行くかしら?」


 酒場宿のテーブルに着いた瞬間、木剣が少女の姿に変わるとこなんて人には見せられない。

 契約と誓約によって、俺はこの木剣の世話をしてやらないといけないらしい。本当か否かはさておきだが――


 腹の虫が鳴ると、こうして俺の脳内で小言を発してくるのだ。

 ちゃんと一日三食与えないと、小言の勢いが増す仕組みだ。

 

 だから今、しっかりと五食分の小言が降ってくるという訳なのだが――空腹のあまり、威勢を無くした獣みたいである。


 そんな木剣の脳内小言を綺麗にかわしながら、人気のない裏路地に着くと、いつも通りに閃光を放っては美少女の姿に変わるのであった。


 やはり可憐な容姿で、寝起きを表すように目の周りを薄紅にしてじと目で俺を見上げて、口を尖らす。


 うん、いつも通り――

 通常運行である。


「さあ、目一杯食べてやるかしら?」


 そう言うなり、俺とこの美少女は吸い込まれるようにして酒場宿に向かって行く。

 皮肉と嫌味たっぷりな美少女なのだが、こうして並んで歩く時だけ、この容姿そのものの可愛さを俺に訴えてくるのだ。


 手を繋いで歩くにしては、少々届かない。

 だからなのか、俺の袖口を小さな手で引っ張っては、時折小走りになって俺に追い付こうとする。

 袖口の引っ張る力が強くなるから、俺はそれを察知して歩く歩幅と速さを調整する。


 口を閉じておけば完璧だ――


 カランっと、客が来たのを知らせるベルの音。

 愛嬌よくウェイトレスが俺たちを出迎える。


「いらっしゃいませ、お客様!ご宿泊ですか?それともお食事ですか?それとも……両方ですか?」


 久々の女性らしい愛嬌のある表情に目を奪われたが、俺の視線は物騒なショートソードをテーブルに載せて、注文した料理を待つ黒いマントを羽織った団体客の面々と、亜人族を思い浮かばせるまるで動物と人間のハーフのような容姿の面々だ。


 社交辞令だとしてもうっとりとしてしまいそうな微笑みを浮かべるウェイトレスは、俺の視線が酒場宿の奥へと向けられているのが確認できたようで、

 俺と同じ視線の先を向いてはまた俺の方に向き直して、先程よりも満面の笑み(面倒くさいから早くしてくれよの笑み)で顔を近づけて来たのが俺の視界に入って、慌てて口を開いた。


「ああ?えと……その……両方でお願いします。一応、フタヘヤ……?」


 そう言い残すと、袖口を引っ張っていた自称グティーの手は離れ、俺の後ろでもじもじと憤慨しながらも頬を赤くして、下を向いているのが確認出来たから、


「やっぱり、ひと部屋で……それと食事――?」


 そう告げると、目の前のウェイトレスはパチりと瞼を動かして、出迎えた時と同じくらいの微笑みを返しては、俺たちに気を遣ったのだろうかと、酒場宿手前の窓際の空いてる席を指して、


「お部屋はひと部屋で宜しいのですね?かしこまりました。お食事を摂られるのでしたら、あちらの空いてるお席にどうぞ」


 幾つもの視線を感じながら、少し強張った感覚でそのままウェイトレスに席まで案内されるがままに、円卓を囲む木の椅子に腰を掛けた。


「楓の宿にようこそ!本日のおすすめは――シャドーラビットの頬肉の唐揚げとトノサマオオサマガエルのもも肉入りシチューに、カイソウクラゲのサラダになります!――ご注文は如何いかがします?」


 トノサマオオサマガエル?

 カイソウクラゲ?


 シャドーラビットは流石に分かるのだが、後の他は全くもって分からなかった。

 こいつはどんな反応をしてるんだ?と言わんばかりに、俺はしっかりと外野の注目を浴びている美少女の方に目を向けてみると、


 見なかった方が良かったかもしれない――


 じと目ではなくて、完全に俺を睨んで(どうでもいいから早く食わせろの目)いて、再度の憤慨が伺えた。

 

 それを見るなり、


「そ?その今言ったおすすめを全部2人前下しゃい!それとバタービーリュもふたつ――」


 舌を噛んでは裏返った声が無駄に、酒場宿の端まで響いていた。

 俺の失態は、ウェイトレスが声を抑えながら、手で口元を隠しながら薄ら笑いをしている様子を見て、すぐさま気づいた。


「かしこまりました。おすすめを2人前……バタービールをふたつですね?お料理は出来た順からお持ちしますね」


 そう言って、俺たちを後にしてキッチンに入って行くのを見送った。


 うん。

 久々に目の保養になった――


 今の俺には反則的な、あのウェイトレスの華やかで健気な微笑みを思い浮かべては薄ら笑みをこぼしながら、


 そんな俺の妄想を遮るかのように、不穏な空気に変わるのが分かった。


 変なオーラを出している犯人は?


 形相を一変させて、眉間にしわを寄せながら釈然としない態度の自称グティーだと直ぐに答えが出た。


「なにか見られてるかしら?にしても、殺気を消すのが下手なのよ!なめられたものかしら」


 殺気――?


「殺気って誰からだよ?」


 俺は真っ先に黒マントを羽織っている団体客に目を配っては、しかめっつらにじませながら、容貌とは全く似合わない眼光でまばたきひとつせず、俺を凝視する自称グティーだ。


「もう消えたかしら?グティーの空間支配能力と空間認知能力……力の差ってやつに気付きやがったのよ!憎たらしいニンゲンかしら」


「そ……そうか?まあ、消えたんなら良いんじゃないか?うん――」


 大層なおこりっぷりだ――


「消える前に半殺しにしとくべきだったのよ。向こうは既にグティーの存在には気付いてる事だし、今度またグティーの空間認知に引っ掛かったら今度こそ、メチャクチャにしてやるかしら」


 すごーく重大な事を発言してしまっているのだけど、これ以上深入りすると俺にまでとばっちりが来るので、ここはひとつ静かに見守る事にした。

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