第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その9

それからの俺は、実家の病院に戻り、再び救命医として忙しい日々を過ごしていた。ただ、自分で判断する業務……特にトリアージは……俺の判断では出来なくなっていたので、俺は言われたことをする仕事に専念することができた。実家の病院では、それが許されたから。

 この時期、黒い何かを見ては、当時を思い出しては胸が苦しくなってしまうようになっていた。それでも、医師としての仕事は、深呼吸さえすれば、一通りはこなせるようになるところまでは、どうにか自分を戻すことができた。

 それは、あのハワイでの出来事と、その後に貰ったケビンからのメッセージがあったから。

『君は、1人じゃない。奇跡は、必ず起きる』

 俺は、ありがとうとだけ返した。それ以来、向こうからの連絡が途絶えてしまった。

俺は、自分勝手だと分かっていながらも、寂しさを感じていた。でも、俺は自分からは近況を聞けずにいた。それもまた、俺の選択ミスであったと、後で思い知ることになるのだが。

「そろそろ、身を固めてくれないか?」

 両親から、見合いの話が出たのは、ハワイから帰国し、実家の病院で勤め始めてから2年目の春。

 製薬会社の令嬢で、SNSのインフルエンサーとしての活動もしているらしい。すでに相手からは、俺との結婚を本格的に進めたいと連絡があったらしい。

 この時の俺は、結婚どころか、女性と付き合うことにすら、興味は無くなっていた。

そして、俺の人生は、元々親が決めた道を歩くために造られたものであるという自覚も、やっぱりまだどこかにあった。

 1度は、自分の思う通りの選択をしてみようと頑張った時期もあった。けれど、それによって死人が出た。それだけではなく、失いたくなかったはずの絆を、自分の選択によって断ち切った。

 俺が選択することでは、結局誰も幸せにはならない。それならばいっそ、誰かに俺の人生を選択してもらいたい。

 そうして俺は、令嬢との見合い結婚を、最終的に承諾することにした。しかし、これが隠れていた真実が無理やり暴かれてしまうきっかけとなってしまった。俺ですら、まだ知らない悲しい真実。

 それが見合いの相手から届いたのは、それから数ヶ月後。結婚式まで、あとわずかという日だった。

「どういうことだ、樹!!」

 仕事中、急に怒鳴り込んできた父親の剣幕は、俺が初めて見るようなものだった。面倒だと思いながらも、着実に結婚式や新居の準備をこなしていた。

 そんな時期だったにも関わらず、急に相手から


「婚約はなかったことにして欲しい」

 と言われたらしい。その原因として、渡されたのが興信所の封筒だったとのこと。

「見てみろ」

 特に悪いことをするような心当たりもなかったが、父親に言われたので仕方がなく中身を見た。

 目を疑った。こう書かれていたから。

 『氷室樹には、ハワイに隠し子がいる。名前はマナ・桜・ミラー。母の名は、マオ・ミラー』

 俺は、甘くて酔いそうになる、ココナッツの香りを思い出してしまった。


「本当に、すまなかった……イツキ……」

 前に会った時よりも、ずっと白髪が増えてしまったケビンに頭を下げられた。

「こんなこと、すまないでは済まされない」

 と、俺は言いたかった。怒鳴りつけたかった。過去の身勝手さを棚に上げてでも。

 だけどとても、言えるような状況じゃなかった。

 俺が数年ぶりに訪れたハワイは、景色も街並みも変わらなかった。だけど、俺が最も長く見ていた景色だけが、がらりと変わっていた。

 リビングには、ケビンのような笑顔を持つ小さな女の子が、絵本を読んでいた。その一角には、小さな祭壇のようなものが作られていた。マイタイが置かれている横に、写真立てが2つ。

 1つは、ケビンの奥さんである日本人の女性。そしてもう1つは、いつもマイタイを楽しそうに飲んでいた、マオだった。

 話を聞いてすぐ、俺はケビンに連絡を取った。子供の事を聞きたい、と。

 ケビンからは数十秒後くらいに、返事が来た。直接話そう。チケットは送る、と。

 その速さは、まるで俺から連絡が来るのを知っていたかのようだった。

 そうして、再びホノルルに辿り着いた俺を迎えてくれたのは、ケビンともう1人。

 かつては、そこにはマオがいた。だけど、この時そこにいたのは、身長が1mくらいの小さな女の子。

 俺はすぐに分かった。この女の子こそが、俺の子供だと指摘されたマナであると。

髪の毛と肌、大きな目は、母親であるマオに瓜二つ。そして、眉毛と口元あたりが自分の幼少期に少し似ていた。

 本当に、俺に娘がいるのか。

 彼の家に到着して早々、ケビンから頭を下げられた。さらに、そこから衝撃の事実を次々と聞かされた。

 マオは、すでに余命宣告を受けていたらしい。俺が、最初にこの地にやってきた時には。

ケビンも、それを知っていた。だからケビンは、マオが少しでも穏やかに生活できるようにと、奥さんを亡くした後も日本の病院には戻らず、ハワイに残った。

 マオは、ずっと気にしていたらしい。ケビンを残して、死んでしまうことを。

 だから、願うようになった。ケビンに家族を残して、逝きたいと。

 子供を産む。それが、マオにとって最後の希望となってから、マオはまず相手を吟味し始めた。

 日本人がいいと、マオは最初から決めていたそうだ。ケビンは日本が大好きだから。

そんなマオが目をつけたのが俺。理由は、ケビンが息子のように可愛がっていたから。

 俺との子供であるならば、ケビンはきっと寂しくなくなる。何故か、マオは……それが真実だと信じきっていた。

 だからマオは、自分の排卵日に、無理やり俺と繋がり、必要なものを手に入れた。

 ケビンがそれを知ったのは、マオがマナを産んですぐ、息を引き取ってから。ケビン宛の遺書に、全て書かれていた。

 マオ・ミラー、享年41歳が最期にした選択は、それからの俺の人生を大きく狂わせた。

 隠し子が発覚した俺は家の評判を落とすと、俺は氷室家を追い出された。俺の代わりに、弟が後継になった。

 氷室家は、医学界ではよく知られた家。だから、そんな家から追い出された氷、室の名を持つ俺を雇ってくれる病院はなかった。

 そんな俺に、開業を選択するようにアドバイスをしてくれたのも、ケビンだった。

 氷室の家を継ぐ以外の、全く想像したこともない未来だったが……もう……俺は疲れてしまっていた。

 自分以外の人間の選択が、どうせ自分に作用してしまうならば。やはり自分は何も選択しない方がいい。

「お前が選ぶことはもうない」

「お前は、ただ求められたら答えればいい」

 それを、俺の人生の軸にした。そして、ぬるま湯に浸かったような、穏やかな日々を手に入れた。それで良いと思ってしまったはずなのに、運命は俺の目の前に優花を連れてきてしまった。

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