第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その7
一体、どこを評価できると言うのだろうか。
失敗ばかりして、判断をする事に怯えるのが俺だ。そんな俺のどこに、評価をする要素があるというのだろう?
「君は、とても冷静だ。それに手際も良い。知識も豊富だ。きっと、頭がとても良いんだろう」
「そんなことは……ないかと……」
俺の返答に、ケビンは少し悲しげに微笑んだ。
「君は、患者とどう向き合っている?」
治さないといけない。でも怖い。それが俺の本音。そんなことを、この人の前で言う事は、とても躊躇われた。
「そうか……君は、余計な事を考えすぎているのかもしれないね」
「余計な事……ですか?」
「イツキ。医師たる者、考えるべきことはただ1つで良いんだ」
「1つ………」
「ああ」
「それは……何ですか?」
「患者のために、何をしてあげたいか。そうじゃないかい?」
「…………え?」
それが、ケビンが教えてくれた大事なこと。聞いてすぐは、意味が分からず、首を傾げてしまったが。
「君が分かるようになるまで、私が助けてあげよう。思いっきり頼りなさい。そして努力しなさい」
ケビンはそう言うと、俺の頭を撫でてくれた。実父ですら、してくれたことはなかった。気恥ずかしさと嬉しさが俺の中に同居した。
そうして、俺は変わった。
ケビンに言われた通り、余計なことは考えなくなった。今、目の前の患者のためにしてあげたいこと。それだけを考えて、行動に移した。
その結果、判断が早くなった。それと同時に、救命救急の仕事に、やりがいを感じるようになった。
そんな俺が、救命救急の道を選び、ケビンからトリアージの極意を教わることになったのは、きっとごく自然の運び。
トリアージ。それは、災害や事故など、多数の傷病者が発生した時に、傷病の緊急度や重症度に応じて治療優先度を決めること。
瞬時に赤、黄色、緑、そして黒のタグを使い、患者を振り分けていく。まさに、命の砦とも言える役割。日常生活の中でも常に必要とされる考え方でもあると、ケビンは俺に重要さを都度叩き込んでくれた。
俺は、そんなケビンの下で働きながら、災害現場や事故現場でトリアージのスキルを磨いた。そして、トリアージと日常的な医療に関する論文も、ケビンに見てもらいながら作成し、無事学会に認めてもらうこともできた。
こんな日々を過ごしていく内に、俺は実家の病院を継ぐことよりも、救命救急医としての道を確立していくことを夢見るようになった。自分で、初めて選択した進路だった。
そんなトリアージで、俺はある日、大失敗をした。ケビンがハワイに戻り、救命救急の腕を磨くため、別の救命救急センターに転職してしばらく経ってから。大規模な通り魔事件が起きた日だった。
その日の朝、ナイフで刺されたという患者達が、次から次へと運ばれてきた。現場が小学校の通学路ということもあり、被害者の多くは小学生の子供たちだった。俺は、この事件でトリアージの責任者として、現場を回した。
誰もが皆、自分や自分の大事な人を助けて欲しいと、俺に懇願した。でも俺はその声の全てに応えることはできなかった。
トリアージとは、あくまで医学的な判断でのみ行われるべきもの。感情は捨て去らなくてはいけないからだ。
このの日のトリアージで、後に問題になったのは、自殺を図ったという犯人が重篤を意味する赤の判定をつけて、即治療させ、一方で犯人に刺された子供を黄色判定をつけて治療を待たせてしまったこと。さらに、黒……治療不可能の判定をつけた子供もすでに複数いた。
トリアージのルールを考えれば、これは正しい選択だ。きっとケビンも、そう言ってくれるだろう。
だが、俺はこの日、ミスをした。犯人に赤判定をしたからではない。たくさんの子供に黒判定をつけたからでもない。ある子供に、黄色の判定をしたことだった。
実はその子供は、見た目では分からない、致命的な怪我を負っていた。でも俺が黄色判定をしたことで、治療が遅れ、結果として命を落とすことになった。もし、俺がその子供に赤判定をつけていれば、助けられたかもしれない命だった。
その日から、俺は夢を見るたびに、うなされた。
「どうして助けてくれなかったんですか!」
「先生のせいでこの子が死んだんです!」
次々と子供たちの親御さんたちに責められたから。
「あれは仕方がない」
「俺でも見分けがつかない」
同僚の医師たちからは、励ましの声をもらった。
ありがたい、と思った。でも同時に、申し訳ないと思った。苦しいと思った。
自分がトリアージ係じゃなければ、もしかしたら違った結果になったのではないだろうか、と、何度も考えた。考えて、うなされて……そして眠れなくなった。
結果、俺は救命救急医として役立たずになり、退職を余儀なくされた。これは、俺が30歳になったばかりの話。
家に引きこもっている日々が続いてた。朝と夜、暑い寒いも分からない、そんな日々だった。当時何をしていたかも、覚えていない
久々に、ハワイに帰ってしまったケビンから連絡をもらったのも、まさにそんな時。その内容は、単に俺の近況を聞くものではなかった。
『ハワイに来なさい』
なんの前触れもない、急な誘いだったが、さほど驚きはしなかった。きっと、何らかの方法で俺の状況を知り、心配してくれているのだろう。とは言え、もちろんハワイになんて行ける心持ちではなかったので、最初は「お気持ちだけありがたく」と断った。
ところが、3回程断ってから。これまた、どこから聞いたのか、俺の家に急に訪ねてきて
「はい!パスポートだけで良いから!」
ほぼ拉致に近しい形で、ハワイに連行された。
「ガハハハハハ、いやあ、愉快愉快」
ますます貫禄が出たケビンに、十数時間かけてつれてこられたのは、1階建の戸建……ケビンの自宅だった。
こちらの時差ぼけなどおかまいなしに、ケビンは俺を、大きなソファが置かれているリビングにひきずりこんで、ワインを勧めてきた。
俺はちっとも愉快ではない。もちろん、ワインなど飲めるはずがないと、俺は顔をしかめてしまった。
それに、ここにいるのは、ケビンだけではなかった。
「パパ〜笑ってる場合じゃないでしょう。怒ってるみたいよ」
「違うよ、マオ。彼は元からこういう顔なんだ」
「何だそっかー!」
ケラケラと、楽しそうに笑う、ケビン譲りの笑顔を持つ黒髪と大きな瞳が特徴的な女性が、パイナップルを頬張りながら
「それで、この可愛い男の子、誰なの?パパ。」
と興味津々に俺を見つめてきた。目尻の笑い皺が、彼女がどれだけ幸せな人生を過ごしてきたかを伝えてくる。
「彼はイツキ。私の日本での子供みたいなものだ」
「そっか。じゃあ私の弟みたいなもんか」
ケビンとマオと呼ばれた女性は、またお互い顔を見合わせると、同時にガハハハと笑った。俺は、ケビンの言葉に泣きそうになるのを堪えるのに必死だった。
このマオこそ、後に俺の遺伝子を継いでしまった子供……マナの母親になる女性。
当時の年齢は、40歳。
俺の日本への帰国便は、ちょうど1ヶ月後。その間、やりたいことは全てマオがサポートする。だから、何でも好きなことをしなさい。そんな風に、俺はケビンに言われた。でも、漠然とやりたいことをやれと言われても、何をやっていいのか、分からなかった。
与えられたベッドルームで、俺はただただ横になった。眠っては起きて、排泄を済ませる。日本での生活と、まるっきり一緒。ただ、空気と外の景色が違うだけ。
そんな、人から見ると贅沢すぎるハワイの過ごし方をして、ちょうど1週間経ってからのこと。急に扉が激しくノックされた。
「イツキー!出かけるぞー!」
ケビンとマオが、水着にタオルという格好で部屋に入ってきた。
彼らが俺を連れ出したのは、徒歩5分程で着くビーチだった。呆然と2人がビーチの上にビニールシートを敷いている様子を眺めている俺の格好は、ハワイのコンビニで売られている、HAWAIの文字が入ったTシャツと水着。どちらもここに来るまでの間、ケビンが勝手に購入したもの。
「さあ、食べましょう」
マオがビニールシートの上に置いたのは、コンビニで調達したサンドウィッチやフルーツ、ポテトチップスなどのお菓子を片っ端から並べ始めた。それにココナッツジュースやグアバジュース、ミネラルウォーターなどの飲み物。
「ごめんね〜ハワイはね、公共の場でお酒飲めないから」
そう言いながら、マオは俺にココナッツの形をしたパッケージを渡してきた。
「ケビン?」
「何だね?」
「何をするんですか?」
「何も」
「は?」
ケビンとマオは、にかっと笑う。2人の笑顔は、本当によく似ている。
「今日は、陽が暮れるまでここで丸一日ゴロゴロする!」
「あ、海に入りたかったら、いつでも入って良いからね。私たちここで読書してるから」
そう言うと、2人はさっと慣れたように横になりながら、サンドウィッチやポテトチップスを頬張り始めた。
一方で、俺は取り残された。ゴロゴロするにしても、久々の眩しい太陽の下。すっかり目が冴えていた。仕方がなく、エメラルドグリーンの海にぷかぷか浮いてみたり、言われた通りゴロゴロしてみた。
久々に、ちゃんとした外の空気を吸ったせいだろうか。体の奥底に、じんわりと酸素が染み込んでいくような気がした。
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