第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その6

 ただ、奇妙にも俺の周りには常にたくさんの人がいた。同学年だけでなく、先輩や教授も頻繁に俺のところに来ては、話かけてきた。女性の割合が多かった気がする。

 その人達と行動を共にしていく中で、俺は気づいた。身近な人が選んだものを、自分も選ぶことで、全て丸く収まることに。

 例えば、授業。

「氷室くん、一緒に受けない?」

 と聞かれれば

「いいよ」

 と答える。すると、必修以外の科目はすぐ埋まる。

「氷室くん、一緒にお昼にしない?」

 と聞かれて

「いいよ」

 と言う。すると、昼食の場所もすぐ決まる。

 本当に大事なことは、ちゃんと指示が来る。その指示通りにこなせば、きちんと評価される。指示をどうこなすかだけを、考えればいい。それ以外は求められたら、応える。そうすると、周りの人が喜んでくれる。

 家族も、そうだった。だから、そういう生き方こそが俺にとっての正解だと思った。

 そう開き直ってからは、苦痛だった大学生活が少しだけ楽になった。

 一方で。どうしても上手くいかなかったのは、女性との付き合い方。

「氷室くん、好き、付き合って」

 そう言われるから

「分かった」

 と頷き、求められた通り、付き合った。同時に複数の女性と付き合ったことはない。行きたいと言われたら、デートに連れて行く。したいと言われたから、体の関係も持った。そうやって、その時の彼女が望むことを、できる限り選んだつもりだった。

 だけど、ほんの3ヶ月で、女性たちは皆去っていく。理由を聞くと、ほぼ全員が同じ答えだった。

「本当に、私のことを好きか分からない」

 俺だって、別に誰でも良かったわけではなかった。話をしてみて、何となく一緒にいると楽かなと思える女性を選んでいたつもりだった。けれど、最初はいつもニコニコ微笑んでいた女性たちは、最後には怒りと悲しみに満ちた表情で、俺に別れを告げていった。

例外なく、全員。でもそれに対して、俺はこうも思っていた。また、誰か来た時に、選べばいいだけだ、と。俺にとって、付き合うというのは……その程度の話だった。

 大学での問題は、せいぜいそれくらい。あとは、着実に単位を稼ぎ、実習をこなした。国家試験にもすんなり通り、無事に医師の資格を得た。

 医師免許を取ることを選ばされた俺にとって、手段である大学での思い出は、結果、ほとんど記憶には残らなかった。

 そうして始まった、医師としての人生。そのまま大学の病院に残り、研修医として経験を積み、内科を極めてから実家の病院で勤務をする。そして、親が決めた相手と見合いをし、結婚する。

 それが、親から求められた人生。親が選んだ、俺の人生。そしてその人生を、俺が選んだ。それで、良いと思っていた。

 そんな俺の考えが変わったのは、初期研修医時代。そこで俺は、生涯の恩師と呼べる存在と、救命救急の世界に出会った。まさかそれが、俺の人生に大きく影響することになるなんて、この時は夢にも思っていなかった。


 初期研修医時代、初めて俺は挫折という2文字が頭をよぎった。

 先輩医師の話は、全く分からない。たくさん知識は入っているはずなのに、それを滑らかに使えない。必要な器具の場所も、分からない。指示を出す相手の看護師にすら、まともに話せない。先輩医師からの叱責は数知れず。

 そして、最も俺を困らせたのは自分で判断しなくてはいけない数の多さ。

 医師の仕事は、全てが判断でできている。そう言っても過言ではないだろう。

 目の前の患者に何を聞けば良いのかを判断する。そこから、患者の病名を判断してから、治療法も判断する。そこには看護師への指示も含まれている。

 判断とは、物事の真偽を見極めて、自分の考えを決めるという意味だ。つまりは、自分の責任で選択をすることだ。

 俺は、自分の軸で選択してきたものが何もなかった。だから、選択の仕方を知らなかった。

 そこそこ、できていると思っていた。それなりに、ちゃんと生きていけると思っていた。

でも、この時期初めて、自分の中に大きな欠陥があることを知った。

 そんな自分を救ってくれた恩師の名は、ケビン・ミラー。ハワイからやってきたという、救命救急の専門医で、俺が勤める大学病院に技術と知識を教えに来てくれた人。

 救命の現場が過酷であることは、覚悟はしていたつもりだった。だけど、そこがいかに激務であるかは、とても想像なんかでは補う事ができない。

 あと1分、治療が遅れれば死ぬ。判断ミスは死に直結する。そんな患者ばかりが、次々と運ばれてくる場所だ。それも、交通事故や突発的な心筋梗塞や脳梗塞など、その都度患者の状況がまるで違う。いくら脳が、手足があっても足りない。

 しんどい。きつい。辛い。医師を辞めたい。初めての、俺自身の選択だった。

 俺の変化に真っ先に気づいてくれたのが、ケビン・ミラー。すでに60代半ばらしいが、俺が知ってる60代よりずっと元気な人。

 日本語がとても流暢だったので、ケビンと他の医師との間のコミュニケーションはとても活発に行われており、皆がケビンを慕っていた。でも俺は、自分から近づくと言うこともした事がなかったので、遠回しに見ているしかできていなかった。

 そんな中だったのだ。ケビンに急に声をかけられたのは。

 あまりに突然の事で、フリーズしてしまった俺を

「ちょっとおいで」

と、どこかへ連れていってしまった。

「さあ、好きなものを頼みなさい」

 連れて行かれたのは、彼の故郷であるハワイの料理が堪能できるレストラン。ロコモコやガーリックシュリンプといった、ハワイではよく食べられているメニューが売りらしい。

「君はステーキは好きかい?」

「…………あの…………」

 直前に治療していたのは、大火傷の患者だった。

「ハワイのステーキはね……大きいんだよ」

 ケビンはステーキを頼む気満々だった。タフな人なんだな、と羨ましかった。

 これくらいの人だから、あんな悲惨な現場でも落ち着いていられるんだろうか。そんな失礼なことを考えながら、俺は、サラダと烏龍茶だけ頼んだ。

 それは正解だった。何故なら、ケビンの食べっぷりに、胸焼けしそうになったから。

「何か、飲むかね?それともデザートでも?」

「いえ、結構です」

 この疲労と体調で、アルコールを入れてしまえば、明日起きられる自信が全くない。

「そうかい。それじゃあ、私は1杯もらってもいいかな」

「どうぞ」

「ありがとう」

 この時、ケビンが頼んだカクテルはマイタイ。

「ハワイにいる娘がね、これを好きでよく一緒に飲んでいるんだよ」

 そう話すケビンは、子供を愛する父親の顔をしていた。

「調子は、どうだい?」

「……そこそこです」

「そうかい」

 そう言うと、ケビンはまた一口マイタイを口に含む。とても、美味しそうだと思った。

「イツキ」

 彼は、アメリカ人ということもあり、俺たちのことを名前で呼ぶ。俺は、彼に名前を呼ばれるのが嫌いじゃなかった。

「君は……医者という仕事をどう思うかい?」

「え?」

「いや……君の目には、迷いがあるように思えてね……」

 俺は、親の言いなりになって医学を選んだ。それで良いと思っていたけれど、最近になって違和感を覚えた。こんな自分は、医師になるべきではないのでは、と考えるようになっていたのだ。

 ケビンは、とても聞き上手なのだろう。気がつけば、俺の心に巣食っていた悩みを全て、彼に打ち明けてしまった。

「そうか。辛かったな」

 ケビンはそう言ってから、続けて俺にこう言った。

「私は、君をとても評価しているんだよ」

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