第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その5
「私、飛行機初めてなんですよね」
「そ、そうなんだ」
それは、前にも聞いた。旅行の打ち合わせをカフェでした時に。
「この路線、創作ハワイアン料理が機内食で食べられるんですって!楽しみですね」
「ああ」
それも、聞いた。初めての飛行機で興奮しているだけだろうか?普段はあまり矢継ぎ早に話してこない優花が、饒舌だった。
「ええと……この画面を触ると、映画が見られるんですね」
「うわー……機内サービスのドリンクに、ハワイっぽいカクテルもあるんですね……ちょっと挑戦しようかな。ココナッツ好きだし」
さっきから優花は、俺の返事を待たずに、独り言を繰り返す。
一方で俺は、何とか会話を試みようとした。あの子、マナの事を黙っていた件について謝ろうと思ったから。少しでも早く。
「優花ごめん、俺……ちゃんと話そうと……」
「あ、樹さん見てください。今映画館でやってる映画も見られるんですね、面白いですね」
何度俺から話しかけたとしても、優花は、俺の話そのものを、聞こうとはしてくれなかった。
そんな優花の独り言のような語りかけが落ち着いたのは、離陸してからしばらく。彼女が楽しみにしていたという、創作ハワイアン料理の機内食を食べ終わった後。
彼女の皿には、ほんの少しだが食べ残しが残っていた。ハワイアンのカクテルをCAさんに頼み、1杯だけ飲むと、そのまま目を瞑ってしまった。
眠っているかは、分からなかった。俺の方に顔を見せてはくれなかったから。
あっという間に機内は暗くなり、ほとんどの乗客が寝静まった。俺は、隣にいる優花の寝息を聞きながら眠ろうと試みるが、なかなか夢に落ちることができないでいた。
CAが俺の横を通りがかったので、赤ワインを注文し、一気に飲み干した。
少しでも酔えば、眠れるかもしれない。それを期待して、飲み干してみるが、ちっとも酔えない。
ふと、カクテルのメニューを見ると、見たことがある名前があった。
マイタイ。ポリネシア語のタヒチ方言で「最高」という意味だそうだ。
それを俺に教えた女性こそが……マナの母親のマオ・ミラー。健康的に焼けた肌と黒髪を持つ、生まれも育ちもハワイの女性。
俺は、彼女とは恋愛関係では決してなかった。でも恩人だ。もし、彼女に出会ってなければ俺はこの地で命を落としていたかもしれないから。
「すみません」
俺はCAを呼び、マイタイを注文して一口飲んだ。
「……甘い……」
ラムの香りが鼻腔をくすぐると、封印したいと思っていたかつての記憶が蘇ってきた。
それは、医学の天才ともてはやされた、未熟で、傲慢だった俺の愚かな姿。
俺の家は、代々続く大病院。祖父も、父だけではなく、弟や妹、親戚みんなが医師の家系。
こういう家だと、家督争いというものが起こりうると思われている。実際、父や祖父の代にはあったらしい。でも、俺の代ではそれが起きなかった。
何故なら、争う余地すら与えないように、手を回されていたから。長男である俺が継ぐように。
後継者だと宣言されたのは、俺が難関中学の受験に合格してすぐ、氷室家の親戚が一同に集まる場でのことだった。その難関中学というのは、日本でも最高峰の学校と言われるところ。歴史が長く、将来のエリートが揃う場でもある。そして……氷室家の人間は必ずその学校を受験し、落ち続けてきた。
とはいえ、別日に受験する、ほぼ同じレベルの中学校に受かってはいたので、氷室家の頭脳レベルは日本国内では最高レベルと言えるのだろう。それでも、俺が今回合格した中学校へ、子供を入学させるのは氷室家の悲願だった。成し遂げた俺を、次の後継にすることで、一族の大人たちが全員納得したそうだ。
俺にとっては、中学受験はさほど苦ではなかった。教科書や問題集を1度やれば、すぐに知識や解き方を覚えることはできたから。
そんなことも知らない大人たちによって、くだらない、クソすぎる理由により、俺の氷室家での人生は定められてしまった。選択権は、俺にはなかった。
医師になり、病院を継ぐ。
そう運命づけられていた俺と違い、弟と妹には、医学以外の道も選べる教育がされた。
そのため、彼らは中学受験も無理強いはされなかったし、部活などの課外活動も自由に選ぶ事ができた。
弟は陸上。妹は吹奏楽部。どちらも平日は部活三昧だった。
それに比べて俺は、氷室家が悲願とした日本最高峰の医学部入学に向けた受験勉強の日々。塾と家庭教師によって時間を拘束される。決められた通りに、決められたことをこなす。淡々と。そんな、工場の商品のような、つまらない日々が繰り返された。
結果として、俺はきちんと両親が望んだ通りの大学の医学部に、現役で合格することができ、医師としての第1歩を歩む事ができた。
しかし、皮肉なことに。そうやって家族に受験勉強ばかりを強制された俺と、自分でやりたいこと……部活も、学校も、友達も選ぶ事ができた弟と妹とでは、進路が全く同じになってしまった。彼らもまた、医師の道を選び、俺と同じ大学に進んだのだった。
医学部に入った俺は、初めて自分で選ぶということを強制された。必修以外は、どういう教養科目を受けるのか。
バイトはするのか。サークルには入るのか。どこでお昼を食べるのか。そして、誰と共に過ごすのか……。あげればあげるほど、キリがない。
当時の俺は、牢獄から急に解き放たれた囚人のように、世界の中で迷子になっていた。
何故なら、何を基準に選ぶべきかの指標が、分からなかったから。
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