第4話 乗り越えられると思ったんだ、君がいてくれるなら その2

 秘密は、秘密のまま。それがお互いにとって、1番良い。だから、隠し続けよう。

 そんなモヤモヤしたしこりを抱えたまま、優花の家に行く日になってしまった。

 俺は手土産を選ぶために、約束の時間よりもだいぶ前に、彼女が住むマンションの最寄駅に着いた。すでに店の目星はつけていたので、向かうだけ。

 ところが、そこで思いも寄らない人物が俺を待っていた。

「よぉ……氷室先生」

「橘……」

 さして仲良くもなかった、高校時代のクラスメイト。そして、あの事件とあの子の事をどこかから嗅ぎつけて、俺を脅してきた男。

「何の用だ」

「おうおう、冷たいねぇ……。せっかくまた良い案件来たから依頼してやろうと思ったのに、ちっとも通話に出やしない。メッセージにも返信しない」

 それは、彼女とのメッセージに夢中だったからなんて、この男には口が避けても言いたく無い。

「お前に、関係ないだろう」

「ふーん……そんな事言って良いんだ?俺に」

 橘は、含みがある笑みを浮かべて、俺に近づいてくる。手は胸ポケットに入れたまま。

 嫌な予感がした。

「なあ、氷室ぉ……お前随分と女の趣味悪くなったんだな」

 橘は胸ポケットから1枚の写真を取り出し、俺にちらつかせた。優花の笑顔が写っていた。

「お前……!」

「これ、どうしようかなぁ?なあ、氷室?」


 

「何故……」

「別にホテルでしっぽりしてる訳じゃねえんだから、撮ろうと思えば簡単だろうが」

「そういう事じゃない!何で彼女の写真を撮るんだ」

「あぁ?お前の付き合いが一気に悪くなったんだから、原因探りたくなるっていうのは……普通の感覚じゃねえの?」

 何が普通の感覚だ。そうやって、この男は俺の過去を、次々と貪ってきた。

 こいつは、普通じゃない。少なくとも、俺にとっては。

「何が目的だ」

 俺は、優花の写真を橘から奪い取ろうと手を伸ばす。だが、ひらりと橘に交わされる。

 この男に、優花の存在を知られたのは誤算だった。何をされるか、分からない。

「人が金払って貰った写真だからなぁ……簡単に渡すわけには、いかねえんだよな」

 橘は、優花の写真をゲスい目で見ながら

「見れば見るほど、ブスだなぁ……!こんなんの横にいたら、俺だったら吐き気がするぜ」

「お前に何が分かる」

「へえ……。何にも興味がありません、ってスカした顔ばかりしてたお前を、そんな顔させるなんて……。よっぽど床上手なのか?」

「やめろ……!」

 橘が、優花を愚弄することは、到底許せることじゃなかった。気がつけば、俺は橘の顔を殴りつけていた。


「ってえな……何すんだよ、ああ?氷室先生?」

 橘が、まるでヤクザのように突っかかってくる。俺に恐怖を植え付ければ、思い通りに動かせると、橘は思っている。実際、俺は、確かに従ってきた。だが、それは、恐怖からではない。

 面倒だから、適当にあしらう。それが1番、こういう男には効果があると思っていたからだ。だが、今は……面倒がっている場合ではない。

「その写真を、返してもらおうか」

「冗談じゃない」

「何だと?」

「お前の、数少ない弱点を……みすみす逃すわけにはいかねえからな」

「彼女に……何をする気だ」

「さあ、どうしようか……確か名前は……そうだ……森山優花……だったかな」

「なっ……!?」

「何故、知ってるのかって?……俺をなめんなよ?たくさんの、オトモダチがいるんだから」

 そのオトモダチによって、俺はこいつに過去を知られた。

「何が狙いだ、橘」

「さすが、氷室先生……頭が良い奴は、話が早くていいねぇ」

 橘は、俺に優花の写真をチラつかせながら、耳元でこう言った。

「俺の知り合いの女と、寝てくれねえか?」

「は?」

 てっきりまた、テレビに出ろということだと思った。それであれば……不本意だが……時間を空けてもいいと思った。それで、優花を守れるのなら。

 だけど、この男は俺の予測の斜め上の提案をしてきた。

「断る」

「そんなこと言わないで、頼むよぉ。俺の女のダチが、お前のファンでさ。1回お相手願いたいって言ってんのよ。胸がでかくて、あそこはきゅっとしまって……男にはたまらん体してる女だからさぁ。絶対、後悔しねえから、さ、な?」

「断る」

 後悔なら、もう何度もした。本当に愛したわけでもない女性を抱いて、愛している女性を苦しませるかもしれないという……まさに今、この時も、後悔でいっぱいだった。

「じゃあ、この写真は渡せねえ」

 橘は、優花の写真を懐に乱暴に仕舞い込んだ。ぴりっと破れる音が聞こえた。

「すっかり、腑抜けになっちまったじゃねえの。これはこれで見ものだな。豚に恋する氷室先生。密着取材してみたいぜ。例えば……2人がどんなセックスしてるか……とか」

「これ以上彼女を侮辱してみろ……!」

 俺は、怒りでどうにかなりそうだった。

「そんなこと言ってると……いいのか?」

「……何がだ」

「お前の、豚さんの方が……お前から離れるかもしれないぞ」

「何言って……」

 そこで、ぴんっときてしまった。同じ目をしていたから。最初に、あの子のことで脅しにきた、あの日と。

「まさか……お前……」

「お前……都合の悪いことは絶対隠すよな、絶対」

 確信した。橘か、こいつの息がかかったという、オトモダチが優花に接触するであろう、と。

「彼女には近づくな」

「それは、お前次第だな」

「……失礼する」

 俺は、急いでその場を立ち去った。橘の要望を聞く気は、もうない。連絡先も、すぐにブロックをした。そして橘は、俺を追いかけては来なかった。

 だからこそ……嫌な予感がした。

 もしも、優花にあの子の事や、過去の事が他人から知られたとしたら?

 俺の家族や、かつての患者達のように、優花も……嘘をついたと、俺を責めるかもしれない。

 責められる分には、まだ良い。

 もし、離れたら?

 嫌いだと言われたら……?

 耐えられない……。

 今なら、間に合うだろうか。事情をちゃんと説明すれば、理解して……くれるだろうか。許してくれるだろうか?

 あの事件の後は、他人への恐怖と憎悪に満ちていた。自分勝手に怯えた。距離を、自分から取った。

 でも今回は違う。距離を取られることが怖い。

 話すしか、ないのだろうか。

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