第3話 信じられると、ようやく思えたのに…… その12

 私は急いで、周囲を見渡した。樹さんがここに来たら、洒落にならない。佐野さんは、樹さんを狙っていたから。

「こんなところで一体何をしてるの?」

 佐野さんは私の行動を気にも留めずに聞いてきた。

「旅行ですけど」

「そうなの」

 佐野さんは、私が誰と旅行に行くのかを聞かなかった。佐野さんにとって、私が誰といようがどうでも良いだろうから。

「私、ダーリンと一緒にフランスでバカンスに行くのよ」

 このような自慢をする方が、佐野さんにとってはずっと価値があることなのだろう。私は、心の耳だけ閉じながら

「そうですか、お元気そうで良かったです」

と、にこやかに社交辞令で返した。佐野さんは、私がさほど悔しがらないので面白くないと思ったのだろう

「森山さんも、食べ歩きでお腹壊さないと良いわね」

捨て台詞のように、的外れな事を言ってから

「行きましょ」

 と去っていった。

「ふう……」

私が無意識に溜め込んでいた息を、思いっきり吐き出した時、コツコツコツと、ハイヒールの音をいやらしく鳴らしながら佐野さんが戻ってきた。

「な、何か用ですか……?」

「あなたに1つ、感謝しなきゃいけないことがあるのを忘れていたわ」


「優花…………!!」

 樹さんが、息を切らせて走ってきてくれた。大きいスーツケースを持って。

「心配した。スマホに連絡しても、ちっとも出ないから」

「……ごめんなさい」

 私はここで、ようやくスマホの存在を思い出す。たくさんの着信が残されている。時刻はもう、19時になっている。

「とにかく、無事で良かった」

 樹さんは、私に手を差し伸べてくれた。私は、その手を取ろうとした。

 でも……ごめんなさい。もっと早く来て欲しいと思った。どうして早く来てくれなかったのと、思ってしまった。そうすれば、私はあんなことを知らずに済んだのに。

「樹さん、ごめんなさい」

 私は、差し伸べてくれた手を取ることができなかった。

「私……ダメかもしれない……」

「ダメって……どうしたんだ、一体……」

 樹さんは、私が急に泣き出したので狼狽えている。ごめんなさい。ちゃんと自分の心をコントロールできずに、ごめんなさい。

「樹さん……」

 聞くな、と私の理性が叫ぶ。でも、聞かなくては、と私の本能が叫ぶ。

「樹さんって……子供……いるんですか?」

 それを言った瞬間の樹さんの顔を見て、私は確信してしまった。樹さんには子供がいる。それこそが、樹さんが前に私に言っていた彼の秘密なのだと。

 こんな形で、知りたくなかった……。私の心は、一気に地獄へと突き落とされていた。佐野さんによって。

「あなたに1つ、感謝しなきゃいけないことがあるのを忘れていたわ」

「感……謝……?」

「あなたのおかげで、とんでもない中古物件を引き当てずに済んだんですもの」

「中古……物件?」

「氷室樹のことよ」

「……え?」

「ほんと、騙されるところだったわ」

「騙されるって……?」

「あの医者、ハワイに隠し子がいるんですって」

「隠し……子?」

「しかも、それが理由で、ご両親から勘当を言い渡されたそうよ。そんなやばい物件だって知ってたら、最初から目をつけなかったのに……。でもまあ、神様は私に味方してくれたのね。おかげでとっても素敵なダーリンを捕まえられたんだもの。だから、あなたにも、一応感謝してあげるわ。じゃね」

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