第3話 信じられると、ようやく思えたのに…… その5
1回目も2回目も、している時は長い時間のように感じられたけど、実際はあっという間だったのだろう。息を止めている間に終わっていた。
だけど、3回目の今。呼吸のタイミングを必要とする程の長い時間、樹さんにキスされている。樹さんは、時折唇を軽く離しては
「大丈夫?」
「もっとしていい?」
などと声をかけてくれるのだが。やはり、私よりもずっと経験があるからなのだろう。
私は、樹さんが唇を離すタイミングで呼吸をすることでいっぱいいっぱいで、樹さんからの問いかけには頷くことでしか答えられなかった。
だから、正直樹さんが何を問いかけているのかまでは、気にしている余裕はなかった。
「……したい……」
樹さんのこの問いかけに、私は内容をきちんと確認しないまま頷いてしまった。すると、一瞬樹さんの動きが止まった。だがその後すぐ、樹さんは私の服の裾から手を入れてきた。 あろうことか、樹さんが触れているのは、空気を入れた風船のようにぱんぱんに膨れた、私のお腹部分。
声を出そうにも、樹さんの唇が私の唇を食べるかのように貪っていて、息だけが樹さんの体内に吸い込まれてしまう。さらに、樹さんの手がどんどん私の体の上の方まで伸びていき、同時に樹さんの舌が、呼吸をしようと無理やり開けた私の口の中に入ってくる。
私の口からは、変な声が時々漏れてしまっている。
嫌われないだろうか、などと不安になりながらも、樹さんの舌が私の口の中を掻き回すのを頑張って受け止めるので精一杯。
それからすぐだった。樹さんの手が、私のおろしたてブラの中に入ってきたのは。
「きゃっ!!」
氷室さんの冷たい手が、自分でもあまり触れない場所にと声をあげてしまった、と同時に私の足がびくっと反射で動いてしまい、今まで無音だったテレビから、急に大音量が流れ始めた。
私の足元にリモコンが落ちているのが見えた。私が間違えて足でスイッチを押してしまったのだろう、と容易に想像ついた。
「ご、ごめんなさい……!」
私は急いで足でリモコンを自分の手の位置まで手繰り寄せて、テレビを消そうとした。
「いいよ、そのままで」
「でも、うるさいですよね」
「いや、大丈夫だから」
「でも……」
「優花」
樹さんは、軽くパニックになった私を宥めながら、私の服の裾を丁寧に整えてくれ、さらにはゆっくりと私を起き上がらせてくれた。
「今日は、これ以上はやめよう」
「えっ……!?」
私はこのタイミングで、ようやく樹さんの
「したい」
の意味に合点がいった。同時に、不安にもなった。
樹さんが私の体に触れてから、やめようと言ったから。
「あの……樹さん……ごめんなさい……」
「どうして、優花が謝る?」
「だっ……だって……私の体が……その……」
綺麗じゃないからですよね、と続けようとしたけど、言葉がうまく出てこない。いつもなら自虐ネタとしてすぐに出てきたはずなのに。
どうしてだろう、樹さんに言ってしまい、頷かれてしまうことが怖かった。樹さんが、そんな私の本音に気づいたのかはどうか分からない。だけど
「優花、聞いて」
私を抱き寄せながら、樹さんはこう言ってくれた。
「俺は、君を早く抱きたいと思ってる」
あまりにもストレートな告白に、私はまたもやどう答えていいか分からなかった。なので、そのまま樹さんの胸に頭を埋めておくことにした。
樹さんは、くすっと笑ってから、私の頭を1回、2回と撫で、それから私の耳元で
「ちゃんと、特別な日にしよう」
と、囁いてきた。その瞬間、私の体の中心から、ぶわっと熱いものが込み上げてくる感覚がした。
初めての感覚に私が戸惑ったまま黙っていると、樹さんから「返事は?」と催促された。
気持ちだけでも伝われ、という思いを込めて、目眩がするほど大きく頭を縦に振った。
すると樹さんがまた、笑ってくれたので、私も釣られて笑ってしまった。
「お茶、入れ直しましょうか」
「ありがとう」
キッチンに向かうために私が立ち上がった時、美しいエメラルド色の海がテレビに映し出された。かと思えば、次々とハワイの名産らしき食べ物が映し出され始めた。
私は、ハワイでパンケーキを食べるのは、死ぬまでにやりたいことの内の1つにこっそり入れている。
「わあ!ハワイの料理……美味しそうですね……!私、パンケーキが気になるんですよね」
いつもなら「そうだね」とか「俺も気になってた」といった何かしらの反応が返ってくる。
ところが、樹さんは見たこともない程の険しい表情でテレビを見つめているだけだった。
「い……樹さん……?」
「えっ……?」
「あの……どうか、したんですか?」
「え?」
「テレビ見てる樹さんの顔……」
とまで言えたけど、この先どう言うべきか悩んでしまう。まさか、怖かったなんて言えるはずがない。
「……大したことじゃないんだ」
「大したことじゃなければいいですけど……」
明らかにさっきの表情は、大したことあります、と言っているかのように、私には思えた。
「樹さん……もしかして、ハワイに行ったことあるんですか?」
樹さんは少し考え込んでから
「昔、ちょっと……」
とだけ言った。何か、あったのだろうか、くらいは、さすがに私でも察することはできた。
ハワイの話題はここで切り上げるべきだ。そう思った私は、改めて立ちあがろうとした。
いい加減、お茶のお代わりも用意しなければならないし。
ところが、樹さんがすかさず私の手首を掴んできた。
「樹さん……?」
樹さんは、ほんの少し間を空けてから私に尋ねた。
「優花は……ハワイ、行きたい?」
「急に、どうしたんですか?」
「優花、ハワイの映像、涎垂らしそうな顔で見ていたから」
「よっ!?」
私は急いで口周りを拭いた。
「違う違う、そう言う風に見えただけだから」
「……からかわないでくださいよ」
「ごめん。でもさ……どう?ハワイ……行きたい?」
「そりゃあ……行けるなら……」
私の実家は、そこまで裕福とは言えない。だから、家族旅行はせいぜい国内の温泉がいいところ。友人がハワイに行ったのが羨ましくて、1度だけ行きたいと母に駄々をこねたこともあった。
「ハワイなんて、ハネムーンで行くところ!将来の旦那様に連れていって貰いなさい!」
と突っぱねられて終わりだったが。ちなみにうちの両親のハネムーン先こそがハワイで、そこで私ができたらしい。
そこまでを樹さんに話すと、また考え込んでしまった。だけど私の手を、樹さんは離してくれない。お茶のお代わりを作るのを諦めた私は、座って樹さんが話すのを待った。
数分後、ようやく樹さんが口を開いた。
「特別な日を、ハワイにしよう」
「……え?」
今、このタイミングで出てくる特別な日というのは、あれのことだろう。
「ハワイで……するということですか?」
「ダメ……だろうか?」
「……いつ頃ですか?」
まずは、時期の確認が必須。
ハワイ旅行ということは、来年の夏くらいが妥当な線だろうか?それまでなら、このだるんだるんボディを少しでもよく見せられるな、と考えた。
もちろん、旅費も貯めなくてはいけない。ホテルと飛行機代を考えれば、20万円くらいは必要だろう。少し大変になるかもしれないが、今後のことを考えると副業を始めておいた方が安全かもとは思っていたので、丁度いいな……と言うところまでのシミュレーションはできた。
ところが。
「優花の誕生日はクリスマスイブだよね」
「あ、そうです。よく覚えてましたね」
「忘れられないからね」
まだメッセージでやりとりするだけの関係性だった時期に、遊び半分でこんな相談をしたことがあった。
「40歳になる瞬間、クリスマスイブでもあるんですけど、何したらいいですかねぇ?」
ちなみにこのタイミングで、樹さんが私と同い年だというのも聞いた。まあそれは、雑誌とかで読んでたから知ってたんだけど。
「確かに、覚えやすいですよね、私の友達も私の誕生日は忘れないんですよ」
「違うよ、優花」
「え?」
「好きだと思った人の誕生日は、いつだったとしても、忘れることなんかできないってことだから」
斜め上の爆弾を投下してきた。
「そ、それは……どうも……」
私は、顔をリンゴのように赤くしながら答えるしかできなかった。
「その日にしよう」
「……はい?」
私の空耳だろうか。
「すみません、今私……聞き逃したみたいで……」
わざとらしく言ってしまったため、樹さんには私の意図が透けていたのだろう。樹さんはまた耳元で、誤解をする余地もないくらい、どストレートに伝えてきた。
「優花の初めてを、ハワイで貰いたい」
正直、まだ今はちょっとだけ怖かった。
けれど、さっき知ってしまった気持ち良さの先を知りたいという気持ちも上回った。
「よろしくお願いします」
私は、勇気を出して、深々と頭を下げた。
「今から飛行機のチケットとかホテル、取れるんですか?あと、休みとかも……」
「チケットは問題ない」
「おお……」
何か、秘密の方法でもあるのだろうか。
「ホテルについては、すでに当てはある」
「おおお!」
これも、樹さんの秘密ルート、だろうか。
「休みについては無理やり取る」
「大丈夫ですか!?それ!」
「俺はともかく……君はどうだ?」
「え?」
「俺としては……その……早く君を抱きたいというのもあるから……極力この時期にしたいんだが……」
「……はい……」
樹さんは、一度振り切れると躊躇わないタイプなのだろうか?抱きたいという言葉を頻発されてしまい、とてもいたたまれない気持ちになってしまう。
「ただ、君は……派遣と言っていたから……」
「ああ、その件でしたら、きっと大丈夫だと思います」
「どういう意味?」
「たぶん私……12月は長ーくお休みを取ることになると思いますから」
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