第3話 信じられると、ようやく思えたのに…… その6
樹さんに心配かけたくなくて、黙っていたことがある。佐野さんの件だ。
結局、真夏の婚活中座事件から、私は佐野さんと1度も会話をしていない。オンライン上でも、だ。
一緒に仕事をしている別の社員から、佐野さんが急遽別部署に異動になったことまでは聞いている。だけど、佐野さんがもし私の事についてクレームをつけて、人事部がそれで私を使えない判定をしていた場合、契約が切られるのが11月末となる。
その宣告がされるとしたら、あと2週間後というわけだ。
私はすでに知っていた。望みの薄い期待をするくらいなら、望みがないと割り切って、次を考えた方が良いと。そのうちの1つが、副業。
すでにいくつか登録はしてあり、ポートフォリオも複数社に送っている。面接をしたいと言ってくれている企業もある。
正直に言えば、やっぱり不安で仕方がなかった。職が無くなるかもしれない、ということが。だけど、佐野さんのせいで今の安定を失ったとしても、樹さんがいない時代にはもう戻りたくないと、強く思っていた。
「優花、大丈夫?」
心配そうに聞いてくれる樹さんに、そっと聞いてみた。できる限りの笑顔で。
「もしかしたら私、12月から一時的に職無しになるかもしれませんが……それでもいいですか?」
樹さんは、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
「力になれることは、なんでもするから言って」
私は変なことを言ってしまいそうになる前に
「嬉しいです」
とだけ、返事した。
それから樹さんが帰るまで、私はハワイの豆知識をいろいろ樹さんに聞いた。
おすすめのパンケーキ屋さんのこと。
パンケーキ以外のハワイご飯のこと。
それにパワースポットや神話のこと、など。その中で、私が特に気になった話題はハワイの神社の話だった。
「川越も縁結びで有名だけど、実はハワイにも縁結びにご利益がある神社があるって知ってた?」
「え!?そうなんですか!?」
「俺も行ったことはないけど、知り合いが教えてくれたんだ」
「そうなんですね……」
「行ってみようか」
「そうですね。御朱印とかありますかね?」
「御朱印なんて集めてるの?優花」
「はい!結構集まったんです!見ます?」
「ありがとう、それじゃあお願いするよ」
「はーい」
私は、樹さんに見せるため、自分が集めた過去の御朱印帳を本棚の中からかき集めながら、考えてしまっていた。樹さんとハワイの繋がりについて。
ハワイの知り合いって、誰?樹さんはどうして、ハワイに行った?誰と……行ったのだろう?
樹さんが私に話さないのは、何か理由があるかもしれない。もしくは、話す必要がないと思っているのかもしれない。
どちらにしても、樹さんが話したくないと思っていることを、無理に話させてはいけない。
私は自分で自分に念押しをしてから、頑張って笑顔を作った。
御朱印帳を樹さんの前で広げた後は、ハワイの話を私たちは一切しなかった。
樹さんが御朱印に興味を持ったから、というのもあるが。
「ごちそうさまでした」
帰り際、慣れたように私の唇にキスをして去っていく樹さんを見送りながら、初めての幸せに酔った私は、そのままカレンダーの12月24日にハートマークを描き、そこまでの日付に全て「ダイエット」という文字を記載した。
今は9月下旬。約3ヶ月あれば、少しはマシになるだろう。
私は早速昔買って放置していた運動着に着替えて、今食べた分を消化するために、近所を走ることにした。
前は、なんとなくで始めたダイエットも、今回は成功するかもしれない。樹さんが好きだから。樹さんに好きと言ってもらえてるから。
そんな樹さんに相応しいと、誰からも思ってもらえる女になりたいと、思えるようになったから。
だけど私はこの先で、もうちょっとだけ、考えるべきだったと後悔することになる。
想像するべきだった。立ち止まるべきだった。
あのハイスペックすぎる樹さんの、過去のことを。
自分と樹さんの釣り合いの取れなさを。
そうすれば、もうちょっとだけショックは少なかったはずだっただろうから。
「よしっ!昨日の夜より500g痩せた!」
樹さんと付き合うという、恐れ多い状況になってから増えた、朝のルーチンがいくつかある。
まず、朝起きてすぐ。トイレに入って体内に溜まったものを出す努力をするようになった。寝る前に下剤を飲むと、目が覚める頃に丁度良い時期に出したくなることに気づいてからは、ルーチンとしてそれを徹底するようになった。
トイレから出てからは、すぐにパジャマや下着を脱ぎ捨て、体重計に乗る。今日は、前日の夕飯を抜いたこともあり、一気に体重を減らすことができていたので、気分が良い。
そうして、自分の前日の成果をきちんと確認してから、ネットで買ったサウナスーツの機能も兼ね備えているジャージに着替えてウォーキングに出かける。
在宅勤務をするようになってから、下手をすれば1日1度も外に出ない、100歩も歩かないような生活に慣れ親しんでいたというのに。
自分が1番、自分の変化に驚いている。きっと数ヶ月前の自分だったら、寝ている方が楽だと思った。無駄なことだと、切り捨てていただろう。
私は、今日もジャージに着替えながら、スマホを見る。時間はAM6:15。メッセージが1件入っている。
開かなくても分かる。こんな時間に私なんかに送ってくれるのは、1人しかいない。
私が急いで開くと、そこにはいつものように
「おはよう優花。今何してる?」
という文字と、ゆるキャラスタンプが送られていた。
私は、ついついにやけてしまいながら
「おはようございます。樹さん。これから朝ごはんを食べるところです」
いつものように挨拶と、ほんの小さな嘘を打ち込んで、ぱぱっと送信した。
実は樹さんに、ダイエットをしていることは黙っている。
ダイエットを始めたばかりの時期に、樹さんとカフェに行ったのだが、その時にダイエットをしていることを話したら、病気の心配をされてしまったのだ。
それまでは、樹さんの前で普通に可愛くて甘いケーキやお砂糖とミルクたっぷりのロイヤルミルクティーなど、大量のカロリーを接種していた。ついでに夜中にそれをやると、朝は確実に胸焼けコースだ。
そんな私が、急にノンカロリーのアイスティーとサラダしか注文しなかったので
「体調悪い?」
と、樹さんに真顔で心配されたのが始まり。
「ちょっと、ダイエットでもしようかなと思って……」
「健康診断、引っかかった?」
「……はい?」
「何か肝臓の数値引っかかった?」
「え?」
「それとも肝臓?血液?尿?」
「ええっ!?」
樹さんは医者。それも、テレビに何度も出るような。だからなのだろうか。
「検査結果、俺にも見せて」
執拗に私の健康状態を気にしてくる。
その結果、私は次のカフェデートにて、自分の体重がありありと書かれている診断結果の紙を樹さんに提出する羽目になった。
「肥満のところはCがついているのか」
樹さんは、私の診断結果を隅から隅まで確認した。好きな人に体内の数値まで知られるなんて……何の拷問だ。
「他が全部Aなら、今すぐどうこうってわけじゃなさそうだ」
「はぁ……」
「規則正しい生活を心がけていれば、大丈夫だろう」
「はぁ……」
「他に気になることある?」
「いえ、特に、元気です」
「それなら……はい」
「へ?」
樹さんは、私にメニューを渡してきた。パスタやオムライスなど、ガッツリ系の食事の写真が載っているページを開いたまま。ぶっちゃけ大好きなものばかりで目移りした。
「ちゃんと、食事しよう」
「いや、だから私ダイエットちゅ」
「規則正しいの意味には、ちゃんと食事を取ることも含まれてるから。はい、どれ?」
「どれと言われても……」
渡されたメニューには、
「樹さん、私コーヒーだけで」
「ダメ」
「えええ……」
それから5分ほど、頼む頼まないの応酬をした結果、かろうじて、まだマシそうに見えた、たまごサンドウィッチで手を打ってもらった。
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