僕に付きまとってくるよく知らない後輩

「邪魔です。言ってる意味わかります?」

 狼狽する目の前の女に向かって、私は人差し指を突き付けた。腐ったような甘い香りのする、茶髪ボブの女。愛嬌だか何だか知らないが、気持ち悪くて仕方がない。

 私の先輩に向かって馴れ馴れしい時点で評価は最悪だ。どんなに上辺を綺麗に取り繕ったところでそれは覆せない。

「先輩が嫌がってるの分からないんですか?先輩は優しいから貴方の言葉や好意を無碍にできないだけで、今耐え難い苦痛に晒されているんですよ」

 言いながら私は先輩に絡みついていた汚物を取り除いた。本当は触れるのも嫌だったけど、それよりもそんなものが先輩に纏わりついているという事実が何倍も不快だった。こんな害悪な生き物がいるから世界は一向に良くならないし、先輩は私のことをただの後輩としか扱ってくれないのだ。こういう輩さえいなくなれば、先輩は私のことだけを見てくれるはずなのに、余計なことをするから全部が上手くいかないんだ。

「先輩、貴方の後輩が助けに来ましたよ。これでもう安心ですね」

 先ほどまで他の女が居座っていた先輩の隣のスペースを奪還。暖かくて心地いい場所なのに、吐き気のする香水の匂いが立ち込めている。

「おうちに帰ったらまず一緒にお風呂に入りましょう。このままではよくない匂いが染みついてしまいます。全身私が丁寧に洗って差し上げますから、先輩はただ楽にしているだけでいいんですよ」

 先輩の腕にしがみつくと、どこか先輩の身体が強張ったような感触が伝わってくる。さっきまで怖い思いをしていたから当然と言えば当然だ。既にトラウマになりかけているのかもしれない。もしそうだとしたら、ちゃんと私が先輩の呪いを解いてあげないと。私が傍にいればきっと大丈夫。楽になるまで、ううん、楽になってもずっと、いつまでも一緒にいてあげよう。それで先輩は元気になって救われる。そうに決まっている。

「いつまで見てるんですか。害虫はよそへ行ってください。先輩が魅力的なのは分かりますし、其処に気が付いた点だけは評価してあげます。でも、それ以外は万死に値します。先輩は私のもので、私は先輩のもの。この関係性の中に貴方が入り込む余地はありませんし、次入ってきたら殺します」

 名残惜しそうにこちらを見つめている女に向かって、振り返りざまに中指を立てる。先輩は前を向いて歩いているから、多少ははしたない振る舞いをしても大丈夫。

 そのままその女が見えなくなるまで中指を立てていた私に、先輩は話しかけてくる。どこか上擦ったような、余裕のない声だ。可哀想に。震えている。

「あ、えっと……さっきの人は……」

「あぁいえいえ、全然お気になさらず。先輩が浮気なんてするわけないじゃないですか。もししていたのなら何か弱みを握られていたに決まっていますし、先輩には私という可愛い彼女がいる、と知っていながら手を出してくる方がどう考えてもおかしいです。先輩は優しいから人の好意を否定するのが苦手なんですよね。私は知っています。大丈夫ですよ、そうお気になさらないでください」

「違う……彼女は、あの子で……君のことは僕、全然知らな――」

「なんですか?よく聞こえません」

 言いながら、私は先輩の靴を思いっきり踏みつけた。こんな腑抜けた冗談を言う人間だっただろうか。

「もう一度言ってみてください。誰が彼女で、誰のことを知らないんですか?まさか私のことを彼女だと思っていない、などと口走るおつもりではないですよね?こんなに献身的で一生懸命先輩のことをお守りして、毎日大好きだと愛をささやいて、そんな私を差し置いて他に彼女がいるわけがないですよね?いい加減目を覚ましてください。あんまりおもしろくないですよ、その冗談」

 先輩の顔は青ざめている。

「本当は困っていたんですよね?知らない女に馴れ馴れしく肩を寄せられて、不快な匂いをふりまかれて、気分を害してしまった、というのが実際のところなんですよね。だったらそう仰ってください」

「それは……えっと」

「なんですか?」

 問い詰めると先輩は、何かを諦めたように息を吐いた。私はその息を吸った。

「困って、た……うん、そう、君の言う通り……だから、その、痛くしないでほしい。君の言ってることが、全部正しい、ごめん」

「……うん、よく言えました!」

 しどろもどろになりながらも、先輩はそう言ってくれた。やっぱりそうだ。先輩の身体にちゃんと誰が先輩の彼女なのか教え込んでおいてよかった。苦しいことも痛いことも、互いの認識をすり合わせるためには必要なのだ。

「偉いですね先輩、本当は怖かったんですよね。私こそ先輩にごめんなさいしなくちゃいけないです。先輩はあんなに怖い思いをしていたのに、私は先輩を責めるようなことばかり言ってしまって……自分が恥ずかしいです」

 さっきの痛みを埋め合わせるかのように、私は先輩の腕に頬ずりをする。ちゃんと頑張った先輩にはご褒美をあげないといけない。

 立場を理解させるにはちゃんと飴と鞭を使い分けなくちゃいけない。


「私以外に行ったら、先輩でも殺しますからね!愛してますよ!」


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