ボロボロになりながらバンドやってる姉ちゃん
「バンドメンバーってのはね。家族みたいなものなんだ」
姉が珍しく家に帰ってきた。上京して一人暮らしを始めた姉は、大手広告代理店で働きながら忙しい合間を縫ってバンド活動をしているらしく、休みの日もほとんど実家には帰ってこなかった。久しぶりに会う姉は、どこか格好良くなっていたけれど、悲壮感にも満ちていたからどう声を掛けたらいいのか分からなかった。
「バンドはね。誰かが欠けて簡単に補えるものじゃない。おんなじ楽器が出来ても、たとえ前に居た人より上手だとしても、出来上がるのは違う形なんだよ。だから代わりは何処にもいない」
「姉ちゃん、さっきから一体何の話を」
「ベースがね、自殺した」
「……っ」
目を伏せたまま、絞り出すように姉は言った。ロックのウイスキーを眺めるばかりで、姉はほとんど動かない。いつもご飯を食べている食卓なのに、なんだか見慣れない場所にいるような気がして眩暈がする。
「原因はスランプ。ベースを握ると何もかも分からなくなるんだって。担当してた作詞作曲も何もできないみたい。いつも狂ったみたいに曲作ってたのにね」
姉のバンドはベース、ドラム、キーボード、ギターボーカルの四つの担当がある。姉はちなみにギターボーカル。ライブ映像を少しだけ一度見せてもらったことがある。知らない姉がそこにいて、音楽に疎い僕でも格好いいなと思ったのを覚えている。
「そっか……残念だね」
「ねぇ、アンタはさ」
「……僕?」
「そう。アンタは、音楽とかやらないでね。アレは命を削るから」
「姉ちゃんは?」
姉は机に突っ伏したまま首を横に振った。
「やめない。音楽はやめようと思ってやめられるものじゃない。もう同じ形が手に入らないって分かってるのに、性懲りもなく歌おうとしてる」
「命を削るんでしょ」
「うん。見ての通り」
「だったら」
「自分が変なこと言ってるのは私だってわかってるよ」
僕が言おうとすると、姉は静かにそれを手で制した。
「でも、創り上げたあの瞬間を追いかけちゃうんだ。人間って。多分お酒とか薬物と一緒なんだよ。だけど、不意にそれが上手にできないことがある。全部が全部うまくいくわけじゃないし、むしろそういうときの方が多いかもしれない。上手に声が出ないとき、演奏が上手くいかないとき、演出や楽曲の構成で揉めるとき。よくバンドが『方向性の違い』で解散することってあるでしょ。あれはね、当たり前なんだ」
姉はようやくウイスキーに口を付けた。
「当たり前なんだよ。方向性が同じ人間なんていない。ただみんなで集まって同じ方向を向こうとしてるだけ。それでも、もし少しでも角度がズレていたら。時間が経てば経つほどそのズレは取り返しのつかないものになる。完成したと思っていたバンドが嘘みたいに解けて解散することなんて珍しいことじゃない」
「じゃあもう、この機会にやめなよ。姉ちゃん。どんどん違う人みたいになってるよ。格好いいけど、それより、辛そうだ」
「うん、辛い。アンタが死んだときとおんなじくらい辛い」
「それを背負ったままやるの」
「ロックってのはそういうことだよ。誰かが死んだくらいでロックを辞めるのは、ロックを殺すことと一緒。自分たちで息の根を止めるんだ。だけど、誰かが死んだ誰かの心を受け継いで演奏していれば、まだ生きてる」
病気だと思った。魅入られているといってもいい。何かに熱中していて、それが自分の心を蝕むと理解していてもなお、逃げ出せないでいるのは狂っているのと同じだ。
「そんなの……おかしいよ」
「そうだね。アンタの言う通りだ。音楽やってる人ってのは大概どこかがおかしいんだよ。だから急に死ぬ。馬鹿みたいな理由でね。死ぬくらいなら音楽を辞めればいいってのは正論だけど、そんなの分かってみんな死んでいく。音楽が出来なくなることは、人生を辞めたっていいと思えるくらいに苦痛なんだよ」
「だって変だよ。死んだらもう音楽できないじゃん。今できなくても、いつか元気になって――」
「違うよ。今やりたいんだ。世間の流行りも自分のテンションも感覚も、全部明日にはちょっとずつ違うものになる。やらなければやらない分、どんどんひたすら音から遠ざかっていく。それを感じながら『いつか音楽が出来るかもしれない』ってどれだけの人間が思えるんだろう。才能は消費期限が早いんだ。情熱はもっと早い。だから今やらなくちゃだめなんだよ」
「分からない……」
「分からないままでいい。こんなものは知らなくていい。呪いだよ、音楽は」
姉は暗い瞳でこちらを向いた。僕を見てi
るようで、その実、何かを重ねて見ているのかもしれない。その瞳は光の差さない闇のようで不気味だった。
「いつか私も音楽に殺されると思う。そしたらみんなに今日私が話したことを伝えてほしい。みんなに伝えると死ぬ準備してるみたいで嫌だけど……遺書とか書くのもそれはそれで不穏。だからアンタにこの言葉は預ける。音楽を知らないアンタなら多分――私を殺した音楽を、口汚く罵ってくれると思うから」
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