去年自殺した先輩との最後の想い出

「死にたいって思ったことはある?どうしようもなくここに居たくなくて、誰かに望まれることも望まれないことも苦しくて仕方がない、そう思ったことはある?」

 何を言っているのか、あまり分からなかった。

 誰もいない二人きりの図書室で、彼女はまるで世間話でもするように口を開いた。

 俺が答えに窮していると、彼女は苦笑いを浮かべた。俺はきっと彼女の期待する反応が出来なかったのだと、なんとなく悟った。

「ごめんね。意味わかんないでしょ」

「いや…………まぁ、そうっすね。すみません」

「ううん、別に君が謝ることじゃないよ。今まで私、こんなこと誰にも話したことなかったの、困らせちゃうってのは分かっていたから」

 とん、と軽く彼女の指が机を叩く。静謐な図書室に、木魂するみたいに残響がこびりついていく。

「でもね。嫌じゃなかったら聞いてほしい。変だってのは分かってるんだけど、それでも私が此処に居て、何を考えているのか、誰かの記憶に残していてほしいのかも」

「え、先輩まさか――」

 嫌な予感がした。セーラー服のリボンを揺らしながら、彼女は頬杖をつく。綺麗な黒髪が先輩の手首に絡みついた。

「うん。私ね、自殺するって決めてるの。もうすぐ卒業でしょ。だからまぁ、キリがいいかなって」

「冗談でも言ってほしくないこと、マジな顔で言われたの初めてです」

「あはは、うん。お世辞だと分かっていても嬉しいものだね」

「俺は本気ですけど」

「そっか、じゃあ猶更受け取れないな。その気持ち。受け取ったら、生きなくちゃいけないみたいになるから。使命感を背負って生きていくのはつらいもんだよ」

「……そうですか」

 掛ける言葉が見つからないというのは、きっとこういうことなのだと。僕は14歳にしてようやく理解した。これが早いのか遅いのかは分からないけど、とにかく苦しく絶望的な心地だというのは考えるまでもなく分かった。

「義務教育とされているものを一生懸命受ければ何か生きる理由が掴めるとは思ったのだけれどね。人生は上手くいかないな。期待と失望でできているよ。この世界は」

「そんなこと――」

 ない、と言ってしまっていいのだろうか。物憂げに揺れる瞳が、僕にその先を口にしないでくれ、と懇願しているように思えて。あるいはこれは僕のエゴで、恵まれた者の理想論であるような気がして、続けるのは憚られた。

 先輩はふっ、と笑んだ。

「言わないでくれて有難う。まったく、嫌になってしまうね。急に自分の暗い話をしておきながら、励まされることに拒否感を覚えてしまうなんて。優しい言葉も厳しい言葉も、全部が重荷なんだ。励まされたら立ち上がらなければいけない。厳しくされたら努力しなければいけない。謝られたら許さなければならない。笑われたら無視しなければならない。その全部に疲れてしまったんだ」

「……じゃあ、俺のせいでもあるんですね」

 俺が期待してしまったから。傍に居て時間を共有したいと思ってしまったから。

「違うとは言わないけれどね」

 溢した言葉に即答でぴしゃりと返事が返ってくる。心が抉られるような気分だ。

「けれど、君は一番私の居場所になり得る人だと思ったんだ。自分を中心に動いている。私を過剰に気に掛けることもなく、無視することもなく。ニュートラルな存在というのはなかなか得難くてね。一緒に居て楽しいと思ったのは君が初めてだ」

「そんなこと、言われても」

「困るだろう。分かってるとも。でもいいじゃないか、私は先輩なんだ。それもどうせそのうち死ぬ抜け殻みたいな女。だったら少しくらい我儘をさせてくれよ。大好きな人にこの先私で悩んでほしい、そんな些細な願いだよ」

「好きとか言うなら、一緒に悩みましょうよ。これから、一生」

「プロポーズかい。それは魅力的で困ってしまうね。ますます未練が湧いてくるよ。もし私の幽霊が成仏できなかったのなら、それはきっと君のせいだからね。君のように純粋で私のことを大事にしてくれる、心優しい後輩が居たのなら。もしかすると私は『幸せでいられたのかもしれない』と考えてしまうから」

 僕は思わず立ち上がっていった。凪いだ水面に石を放るように、椅子の倒れる音が波を打つ。

「俺が……幸せにします」

「もう幸せだよ」

「違う、そうじゃなくて」

「うん、違うね。分かっているとも。でもこうじゃなきゃだめなんだ」

 座りたまえ、と切ない表情で先輩は言葉を零した。

「君と一緒に居られたらそれは幸せなことだと思う。こんな妙な人間を先輩と呼んで慕ってくれるだけでなく、幸せにするとさえ誓ってくれたのだからね。だけど、形があるものはいずれ朽ち果てる。怖いんだよ、私は。君を喪うのが。幸せになってしまったら今度はそれを喪わないように一生懸命にならなくちゃいけない。家族が増えたらもっと必死になる。もしそうなってしまったら、それは自信をもって幸せだと主張できるものなのかな」

 先輩はもう、決めているのだ。

「さっき君は『俺のせいか』と尋ねて、私が『そうだ』と答えたよね。アレは君が想っている意味とは違う」

 先輩は荷物を持って立ち上がる。去ってゆく背中を僕は目で追うことしかできない。息を呑んだまま立ち尽くしている。

 扉が閉じきる直前に、先輩は楽しそうに続けた。

 これが俺が知っている先輩の最期の声。

 細い三日月みたいな横顔を、未だに夢に見る。


「――君が私を幸せにしてくれた。だから私は死ぬんだよ」


 だからやっぱり、先輩が死んだのは、俺のせいだ。

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