夜のドライブに誘ってくれる文学部の大人びた先輩

「急に夜に誘い出してすまないね。用事なんかは大丈夫だったかい?」

「僕は別にいつでも暇してますんで。なんかこういうのテンション上がりますし」

「子どもみたいだね。でもそう言ってくれて助かるよ。持つべきものは都合のいい後輩君だね」

 深夜の国道。時間は大体23時。遅めのシャワーを浴びてゲームでもしようかと自室の椅子に腰かけたタイミングで僕は先輩に呼び出された。

 要件は深夜のドライブに付き合ってほしいというものだった。

 特にすることもなく、明日も別にこれといった用事が無かった僕は二つ返事でそれに了承し、今先輩の助手席に座っている。

 先ほどコンビニで先輩に奢ってもらったファンタを飲みながら流れる夜景を眺めている。車内の音楽はローファイヒップホップ。心地よい空間だ。

「本当はもっと格好いい車の方が映えたのだろうけど……父が今出張に使っていてね。4人乗りの軽自動車で我慢してくれたまえ」

「そんな……僕は運転免許も持ってないですし、こうして運転してくださってるだけで楽しいですよ。お父様の車は大きいんですか?」

 僕が尋ねると、先輩は視線を信号に向けたまま答えた。

「ん、ベンツだよ」

「絶対その車には乗せないでください。おちおちジュースも飲んでられないんで」

「はは、溢したくらいで誰も気にしないさ。私は幼いころ缶コーラをシェイクしてから開栓したけれど、怒られたためしはないよ」

「溢した犯人が娘であるということを差し引いても器が大きすぎると思います」

 先輩のお家はお金持ちだ。お父様が大手広告代理店の上級役員らしい。

「まぁそんなわけで、こんな軽自動車なんて父がその気になれば毎月新しいのを買い与えてくれる。のびのびと過ごしたまえ」

「スケールがデカすぎて釈然としませんけどね……ちなみに、今日はどこ方面へ向かうというのはあるんですか?」

「特に決めてはいないね。ただ夜に車を走らせて後輩君と話をする。そういう機会が欲しかっただけさ。ちなみに今日は何時までいいんだい?」

「僕は一人暮らしですし、明日は土曜日ですし……何時まででも」

「だったら朝帰りでもしていくかい?」

 先輩は肩を竦めて冗談めかしながら笑う。美人な先輩からそういうこと言われた男子大学生は正直心中穏やかではない。

「もう、揶揄わないでくださいよ」

「揶揄ってなどいないさ。ただ朝までドライブし続けるのもいいと思ってね。……それとも、君の想像していた朝帰りはまた少し違うものだったかな?」

「…………」

「冗談だとも。気を悪くしたならすまないね。こんな私に懐いてくれる後輩なんて君くらいなんだ。許してくれたまえ」

「別に、怒ってはないですけど。童貞を甚振るのは勘弁していただけませんかね」

「おや、童貞だったのかい。それは、可哀想に」

「憐れまれるのが一番しんどいんですよね、これテストに出ますよ」

 可哀想だと思われること自体が一番の侮蔑である、というのは言い過ぎかもしれないが、事実として如何なる侮蔑よりもダメージが入る。そっとしておいてくれ。

「あ、先輩……だいぶ遠くの方まで来ましたね」

 気が付けば設えられているカーナビの位置情報は隣の県を示している。話に夢中になっていると時間はあっという間だ。

「ん……そうだね。もうここまで来れば大丈夫かな?」

「先輩?」

「あぁいや、こっちの話だとも。それより少し運転に疲れてしまったようでね。少しさせてもらってもいいだろうか」

「それはもちろん。夜も遅いですし、眠くなってしまうといけませんから」

「ありがとう。後輩君ならそう言ってくれると思っていたよ」

 先輩は国道を左折。少し道幅の狭い道路を走ることしばらく。

 右手に大きな建物が見えてきた。マンションのようで、でも妙にライトアップされていて、それでいて何やら広告のようなものが壁一面には描かれていて。

「ちょっと待ってください、先輩」

「まぁじっとしてなよ、後輩君」

 まさかとは思い、先輩に視線を向ける僕。先輩は歯を見せて楽しそうに笑いながら左手で僕を制する。右手だけで軽々と駐車を終わらせた先輩は、僕に向かって笑いかけてきた。

 暗い中でも、少し肌が上気しているのが見て取れる。

「後輩君、ここ、どこか分かるかい」

「どこって……その、ホテルじゃないんですか」

「そ、ホテル。調べた感じだと、此処結構いいらしいんだよね。値段の割に設備が充実してるとかなんとか。詳しいことは分かんないけどね。私も使ったことないし」

「あの……こういうのって、その、僕も勘違いしてしまうというか」

「勘違いって?なんだい、言ってごらん?……場合によっては、私も都合よく勘違いしてあげないこともないけれど」

 悪戯っぽい笑み。暗い車内に浮かび上がるその表情は、今まで見たことが無いくらい妖艶で。

 心臓が暴れる。

 都合のいい妄想が頭の中を駆け巡る。

「こういうのって、その、えっちなことに使ったり、するじゃないですか……」

 言ってしまった。

 恐る恐る表情を伺う。

 先輩は、満足そうに微笑んでいた。

「……お、よく言えたね後輩君。それじゃ私も覚悟を決めようかなぁ」

「あ、それ……」

 僕の頭を一瞬柔らかく撫でてから、先輩は後ろの席に手を伸ばして、コンビニの袋を掴む。僕にファンタを奢ってくれたときに、何か別のものを買っていたようだったのを思い出した。中から取り出したのは、どうやら缶チューハイのようで。

 缶を開ける子気味いい音。微かにアルコールの匂いが舞う。

 先輩は駐車場に止めた車の運転席で、それを盛大に呷った。


「……後輩君。これでもう後戻りはできないね?」

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