新しい求人を出そうとしたら静かにキレてくる幼馴染メイドさん
「ご主人様。ただ今お時間よろしいでしょうか」
僕の自室のドアを叩く、控えめなノックの音。入室を促すと、音を立てずにドアノブが下がり、滑り込むようにメイド服に身を包んだ女の子が入ってくる。夜を塗り固めたようなタッセルカットの黒髪と、凛と澄んだ黒い瞳。その端正な顔立ちと瀟洒な佇まいが、表情の乏しさすら従者としての風格へと昇華させている。
身を包むのはコスチュームとしてのメイド服ではなく、実務に際した利便性を追求した、様式美すら感じさせる装い。
それを完璧に着こなす彼女の振る舞いはある種の完成系だと言えるだろう。
「おはようございます。本日のご予定は確認されましたでしょうか」
「いやまだ……あと、いっつも思ってるけど、僕たち同い年なんだからそんなにかしこまらなくていいよ。ってか誕生日的には君の方がお姉さんでしょ」
彼女は首を横に振って答えた。
「そう仰っていただけるのはありがたいことですが、これも職務ですので。ご主人様のお気持ちだけ頂戴したく存じます。本日のご予定ですが……昨晩確認した段階ではお休み、ということになっております」
「久しぶりの休みか。最近土日も会合やら接待やらで大変だったね……いつもお疲れ様」
「滅相もございません。ご主人様の方こそ大変でいらしたでしょう。
「ん、どうかした?」
彼女は懐から一枚の紙を取り出す。コピー用紙に印刷されたインターネットのページ、だろうか。
「こちら、どういったおつもりでしょうか。私以外のメイドを雇おうとなさっているようですが」
「……あぁ、それか」
よく見るとそれは先日僕が求人サイトに掲載した新しいメイドさんの募集要項だった。其れなりの待遇と福利厚生を用意したおかげもあって、いくつか応募も来ている。
「失礼を承知で、提言させていただきますが」
くしゃり。白手袋に包まれた彼女の手によって用紙が
珍しく感情を露わにする彼女に、僕は驚いてその顔へと視線を向けた。
涼しい表情だけれど、目元は幾分か普段よりも冷たい気がする。
「私以外に、ご主人様のお世話を担当できるとは思えません。ここのお屋敷はご主人様の御父上が遺された、いわば形見と呼んで差し支えない大切なもの。私は身も心もご主人様に捧げておりますので、当然そうした事情を汲んでの敬意を持った業務が可能です。ですが、他のメイドではどうでしょうか」
「他の、メイド」
「左様でございます。他のメイドは単なる職業としてご主人様の募集に応じたまで。幼き頃よりご主人様と共に育ち、長らくその姿を見守ってきたこの私とは熱意も理解も雲泥の差がございます。そんな何処の馬の骨とも知れぬメイドに、私の大切なご主人様のお世話をさせるわけには参りません」
言いながら、椅子に腰かけた僕に視線を合わせてくる。冗談みたいに綺麗な顔立ちには露骨に怒りが滲んでいる。
「だと言うのに。あろうことか求人ですか。そんなに私の職務に不満があるのでしたら仰ってください。必ずや満足させて差し上げます。お食事の塩加減がお気に召しませんでしたか。お風呂のお湯加減が熱すぎましたでしょうか。夜伽の頻度が足りませんでしたでしょうか。私に何なりとお申し付けください」
声を決して荒げているわけではないのに、燃えるような冷たさが宿った声音。
気圧されながらも僕は口を開いた。
「えっと……違うんだ。君のお仕事にはすごく満足してる。ケチなんてつけようもないよ。君のご飯を毎日食べられる幸せ者が僕で良かったなって思うし」
「別に、私は一生ご主人様に作って差し上げても構わないのですが」
「うん、お願いするつもりだよ。君がいない未来なんて考えられない」
「……っ、左様ですか……そこまで言われると私としてもその……
なんだかちょっと機嫌が直ったようだ。でもまだ怒っている。
「では、尚のこと私一人で身の回りのお世話をさせていただくわけには参りませんでしょうか。……ご主人様は、お
「妾とか……そういうのは考えてないよ。っていうかそもそも僕はまだ好きな子の一人も幸せにできない甲斐性なしだ。法律的にもまだ結婚はできない」
「……可能であれば、その“好きな子”についてもお聞かせ願いたいところですけれど」
「き、聞いてどうするのさ」
「ご主人様に相応しい人物かどうか、個人的に調べさせていただきます。ご主人様と添い遂げる方は、品行方正で自分よりもご主人様のことを大切に想うような方であるべきだと考えておりますので」
「じゃあ……うん。それは問題ないと思うよ。僕が知ってる人たちの中でも、群を抜いて僕のことを考えてくれている子だから。世界で一番、といっても過言じゃないと思うよ」
「私より、ですか」
「……え」
見れば彼女は目に涙を浮かべている。
「私よりも、その子はご主人様を想っていると、そう仰るのですか…っ!」
「……えっと、困ったな」
まさかここまで食い下がられるとは思っていなかったので答えに窮してしまう。
それがいけなかったのだろう。彼女は掴みかかるくらいの勢いで詰め寄ってくる。
「ご主人様から仰っていただくまで我慢するつもりでしたが言わせていただきます!私が、世界で一番ご主人様のことをお慕いしております!誰よりも、絶対!」
「うん、知ってる……」
知っている。彼女が僕のために夜遅くまで栄養学や秘書検定の勉強をしてくれてるのも知っている。忙しい傍ら、寝る間も惜しんで。少しは休むように伝えているのだけど、涼しい顔で誤魔化されるから強くは出られない。
「知ってるって……だったら!」
「……こういうのさ、もっと雰囲気とかロケーションとか、選んで言うべきだとは思ったし、そもそも僕なんかがって卑屈になってしまうところは正直あるんだけれど」
「……?」
「僕が好きなのは、君だよ。僕のこと毎日考えてくれてるでしょ。シャンプーどころか、ボールペンのインクだって切れる前に代えてくれる。僕に重たい荷物は絶対持たせないし、食事の栄養バランスとかもすごく気を遣ってくれているでしょう。僕の苦手なナッツや干し葡萄は避けてくれているし……いつも迷惑かけてごめんね」
息を吞み、硬直する彼女に向かって僕は、もうこの際だからと全部伝えてしまう。
「僕が大人になって、それなりに安定した地位を手に入れられたら言おうとは思っていたんだ。高校生の身分じゃ格好付かないし」
「そ、それは身に余るお言葉を有難うございます。それほど想っていただけているとはつゆ知らず……思い込みでご主人様に詰め寄ってしまうご無礼、汗顔の至りでございます。ですが私一人でも構わないのでしたら、どうして他のメイドを……」
「それは、単純に君に楽をしてほしくて……最近、目元のメイク変えたでしょ」
「っ、どうして……」
「分かるよ、それくらい。僕だって君のことを昔から一番近くで真剣に見てきたんだ。多分隈を隠すためだと思うんだけど、君がそんな風に無理してるの見てられなくて。でもごめんね、要らぬ気を回してしまったかな」
ハンカチを差し出すと、彼女は目元を拭って……そのまま僕の上に飛び乗ってくる。軽くて柔らかい温もりを受け止めて撫でることしばらく。赤い目をした彼女は、鼻を啜って、小さく笑う。
その笑顔は、普段見せる大人びた端正なものではなく、普通の女の子が見せる年相応の可愛らしいもので…思わず心臓が跳ねてしまった。
昔一緒に遊んでいた時に良く見せてくれたあの笑顔と何ら変わらない。
「ではご主人様、本日の予定は……私とのデートに致しましょう。プランはご主人様にお任せしますが……普通の高校生がお出かけするような場所がいいです。水族館とか」
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