場所を選ばず愛情表現を試みるヤンデレ未満の彼女

「はい、消毒」

 がばっ、と。抱き付かれる感触。折れそうなほど強い抱擁は彼女なりの愛情と独占欲の印だ。同じクラスの彼女が、今日も体育終わりに、人目もはばからず廊下で抱きしめている。白く透き通るような腕は、袖をまくり上げられたジャージの隙間から伸びている。触ると外の気温より低いから、触ってて気持ちいい。ちなみに何故か冬シーズンはあったかい。

「消毒とか言わないよ」

「だって、毒だから。私以外の人間と空気を共有した。汚染されていると考えるのが妥当」

 この調子だ。普段は物憂げに本に目を落としている大人しい女の子だけど、僕が他の人間と接触するとすぐこうなる。前髪をヘアピンで留めた可愛い彼女は、口を尖らせたり、頬を膨らませたりすることはしない。ただ静かに、作業みたいに……もっと言えば、儀式みたいに身体を触れさせてくる。

「はい、はいはい。でも汗かいてるから今」

「構わない。丁度塩分が欲しかったところ」

「僕が構うんだよ。ほら、もういい?」

「……もう少し、私の体温と匂いで100秒以上殺菌する必要がある」

 物言いはぶっとんでいるけれど、結局僕のことが好きなだけだ。明らかに理不尽なお願いをされるわけじゃないし、むしろ普段は過剰なまでに世話を焼いてくれる。多少常軌を逸してるくらいは、特に僕的には問題ないとしている。今のところ。

「大体、私以外と関わらないようにと何度も釘を刺している。にもかかわらず、貴方という人は、私は、かなしい」

「そうはいっても授業なんだから仕方ないでしょ」

「そう、仕方ない。だから、貴方に強く文句を言えない、仕方のないことだから。くやしい」

 頬を擦り付けながら悔しそうな声を漏らしている。基本的に独占欲が強く、僕と隣の席の子が少し会話をするだけで慌てて駆け寄ってくるような女の子だけど、決して誰かに危害を与えることはない。ただちょっとむっとして自己主張をしてくるだけだ。

「きっと世界が私と貴方を引き離そうとしている。邪な陰謀が渦巻いているとみるべき」

「こら、あたりかまわず睨むんじゃない」

「嫌。睨む」

 聞き分けの無い彼女は、右に、左に視線を動かす。むっ、と小さく声を出しながら周囲を警戒している様子は小動物のようで愛らしいけれど、今別に周囲を警戒する必要はない。

「てか本当に僕今日汗かいてるから。バレーやってたんだよ男子も」

 僕がため息交じりに説明すると、彼女は「うん。ずっと見てた」と真顔で答えてきた。食い気味に。

「……ずっと?」

「ずっと見ていた。まず授業開始後のストレッチ。女性の先生に手伝わせなかったところは機転が利いていて良かった。高評価」

「そこから見てたの?活躍した場面とかじゃなくて?」

「当たり前。いいところだけ見るのは彼女として、妻として、皮相浅薄な振る舞い。夫のおはようからおやすみまで密着するべき。ストレッチも本当は録画しておく必要があるくらいの代物。侮らないでほしい」

「意識が高いね……もしかして何度か目が合った気がしたのも」

「もちろん、見ていた。靴紐ほどけて転びかけてたのも可愛かった。またやってほしい」

「いやリクエストされてもな。あの時は視線に気づいてびっくりしちゃったんだよ。僕がうっかりしているみたいな言い草はやめてくれ」

 恍惚とした表情で彼女は微笑む。あんなダサい姿をリクエストされるとは思わなかったけど、この子はそういうのが好きなのだろうか。

「貴方はいつもうっかりしている。一人では何もできない」

「言いすぎだろ」

「ごめん言いすぎた。でも私なしでは何もできなくなってはほしい」

「あ……でもそれなら本当にできなくなってるかもしれない。料理とか上手にやってくれるから、僕最近やってないし――」

「まず、朝起きれなくなってほしい。私が居ないと起き上がることすらできない、そんなくたびれきった暮らしを貴方には用意する。待っていて」

 想像以上に何もできなくさせられていた。

 面倒を見るというレベルではない、それではもう介護だと思います。

「……よし、消毒はこれくらいでいい。満足した」

 結局彼女が僕の消毒を完了、もとい、僕との抱擁に満足したのは教室の直前まで来た時だった。汗ばんだ身体で抱き付かれるのは嫌いではないけれど、彼女側としては嫌じゃないのだろうか。

「じゃあ、着替えたら呼びに来るから」

「あ、少し待ってほしい」

 人差し指を立てて提案のポーズを見せる彼女。

「脱いだ体操服は必ず渡してほしい。早く、新鮮なうちに。体温すら逃したくない」

 提案はめちゃくちゃ気持ち悪い内容だった。彼女だから全て許せるけど。逆の立場なら逮捕されていてもおかしくない。現行法では足りないため、何らかの新規法案が必要になる。

「渡したら何に使うのかだけ、一応訊いてもいい?」

「それはもちろん、成分を分析して確かめるため。データとして起こす必要がある」

 大真面目な顔で彼女はつづけた。


「そうやって貴方の匂いの香水を作成する。どこの誰とすれ違っても、昨日は貴方と私が一緒にいたことを匂わせられる。これで他の女にも、自慢できる。勝利したと言い換えてもいい」

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