毒舌だけどちゃんと好きでいてくれている彼女

「…………」

 光の届かない、仄暗い深海のような瞳だった。何処までも続く闇を見ているみたいに不思議な感覚。

「何いつまでも人の顔じろじろ見てるんですか。もう下校時刻になってるんですから帰りますよ」

 素っ気なく言って僕の隣をすり抜けた彼女は、教室の前方の扉から出ていく。僕は慌ててその背中を追いかけた。

 暗い廊下。運動部もぼちぼち解散する時間帯だ。ナイターの照明も落ちているから足元は心もとない。けれど彼女は普段通りの様子で歩いていく。

「……歩くの、遅すぎませんか」

 見かねた彼女は踵を返して僕のところに戻ってくると、オニキスみたいな瞳をじとっとこちらへ向ける。彼女はそのまま、僕の左手を取った。少し僕より低い体温。肌の感触は滑らかで触れていて心地がいい。

「大好きな彼女の感触を楽しむのは歩きながらでもできますよね。そのままぼーっと突っ立てるならそのまま置いていきますよ。……はい、歩けるじゃないですか。えらいです。あんよが上手」

 手を引かれるまま歩くと、少しだけ満足げな表情を作る。皮肉っぽい言い回しをしているけど、トーンは優しく柔らかい。

 校舎を出ると一段と気温が下がった気がする。空気は刺すように冷たい。

「寒いですね。先輩が呑気にお昼寝なんかしてるからですよ」

 僕と繋いでいない左手に「はーっ……」と息を吐いて温めた彼女は、首に掛けたヘッドフォンのコードを揺らして悪態をつく。

「放課後なんですから家帰って寝たらいいのに。そういうとこ、ほんと変わってます。定時で仕事終わっても会社に泊まってそうで……面白いですね」

 これは揶揄われているのか……と微妙な顔をしていると、彼女は舌をちろりと出して「分かりにくかったでしょうか。馬鹿にしてます。先輩のこと。でも好きでしょ、こういうの」とわざわざ補足してくれた。僕は更に微妙な顔つきになった。好きだけど、素直に認めるのは癪な気分だった。好きだけど。

「拗ねたんですか。お子様ですね。私よりも年上なのに、プライドとかないんですか」

 歩きながら僕の顔を覗き込むようにして僕を揶揄う彼女。僅かに眉を上げたシニカルな表情は今日も可愛い。やっぱ一生この子に揶揄われる人生でいい。好きだ。

 帰り道の途中でコンビニが現れる。駅前の空き地に最近できたやつだ。肉まん100円の文字が躍っている。

「……先輩。ここにおなかをすかせた可愛い彼女と、肉まんセールやってるコンビニがちょうど揃っていますけど」

 食べたいの、と訊いてみると「……いえ、冗談です。自分で買います。先輩のも買ってあげましょうか」とそっぽを向かれてしまった。食べたいけど自分からは強く強請ねだれなかったらしい。人を揶揄う癖に、少しでも立場が弱くなると拗ねてしまう卑怯な後輩。でも可愛いので結局買ってしまう。笑顔の為なら安いものだ。

「わ、ありがとうございます。気が利くんですね。先輩自身の分を買い忘れるくらい必死に買っていただいて。彼女冥利に尽きます。……幸せです」

 捻くれたような言い方と表情だけど、最後の“幸せ”は嘘じゃなさそうだ。この子は毒舌だけれど。決して僕のことが好きじゃない、なんてことはなくて。むしろ幸せそうにいつも笑ってくれる。

 普段の毒舌も彼女なりの照れ隠しだと気づけば可愛いだけだった。

 あと僕は自分の分を買い忘れたんじゃなくて、彼女が食べているのを見ていたいだけ。リスみたいに両手で抱えて何でもおいしそうに食べるからとっても見ていて楽しい。餌付けのし甲斐がある。

「隠さなくてもいいですよ。先輩が普段抜けているのはよく知っていますので。一口食べますか。よかったですね、大好きな彼女と間接キスです、ょ……」

 自分で言ってて恥ずかしくなったのか、最後の声は萎むように消えていく。手をつなぐのには慣れていても、こういうのには慣れていないらしい。顔を真っ赤にして震える彼女の手から一口僕は肉まんを貰った。

「……慣れてる方は違いますね。なんだか私だけ馬鹿みたいです」

 口を尖らせて僕を睨む彼女は悔しそうだ。最初はクールでドライで表情に乏しい子だと思っていたのに、一緒にいると毎日新しい顔を見せてくれる。

「先輩はどうせ他の女の人とも付き合ってきたんですよね。はぁ、呆れます。私も数ある女の一人にすぎないと思うと、寂しいですね。気にしても仕方がないことなのでこれ以上は言いませんが」

 めんどくさい拗ね方だけど、これもこれで可愛いものがある。本人も自覚があるようでバツが悪そうにしている。

 あと、僕は何度も言うけど君が初めての彼女なんだ。童貞だから。

「……ふふっ、知ってますよ。私がこの拗ね方すると毎回馬鹿みたいにそれ教えてくれますよね。彼氏が童貞だって聞かされて彼女が喜ぶと思うんですか。……ま、嬉しいですけど」

 唇をぺろりと舌で舐めた彼女は一転、嬉しそうなステップを踏む。当然、手を繋いでいるから僕までその足取りに付き合わされる。危ないとは思うけど、楽しそうだから結局付き合ってしまうのは悪い癖かもしれない。

 恥ずかしがりな彼女にこうして振り回されるのは僕にとっての幸せだ。

 願わくば、一生このままでいてほしい。

「何寝ぼけたこと言ってるんですか。一生とか、重いです」

 彼女は笑う。仕方ない、とでも言いたげな苦笑いだけど。

 それでも笑顔は笑顔だ。

「でも、いいですよ。先輩が私のこと好きなら。私も先輩のことが好きですので。ちゃんと私一筋で頑張ってください。先輩なら心配いらないとは思いますけど……浮気とか、ダメですからね。」

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