最近友達が情緒不安定になりがちな僕の後輩

 先輩はお人好し。私は喫茶店のカウンターで、冷めていく珈琲の水面を眺めながらため息を吐いた。

「でね、聞いてよ!今日もまた酷いメッセージがたくさん来てて……消しても消してもいろんなアカウントから悪口言われてて……」

「うんうん、そっか、大変だね……」

 背後のテーブル席から聞こえてくるのは愛しくて優しくて大好きな先輩の困ったような声。あぁ、可哀想に。本当は私と一緒に帰り路を歩いているか、寄り道をしているかの時間なのに。あんな女に付きまとわれて可哀想。

 女の方は似合っていないバカみたいな茶髪。しかも香水臭い。せっかくの珈琲が台無し。薄汚く顔面塗装でもしなきゃ生きていけないアンタなんかに先輩の時間は勿体ないのに。

 私はスカートのポケットから携帯を取り出して今日の予定を確かめる。あの女が先輩のことを気にしているのは見ているだけで分かる。一応先輩にも忠告したけれど「まぁ僕が話聞けば落ち着くならそれでいいよ」と言われてしまった。うんざりするほどのお人好しだ。将来悪い女に騙されたりしないように、私が誰よりも先に先輩と結婚しないと。……じゃなくて、今は予定の確認。

 今まであの女にやっていた複数のアカウントでの誹謗中傷は今日も続けるとして……今日はあの女の家にいくつか荷物を送ってるから、その反応の確認が最優先かな。

 あれ、私何発送したんだっけ……あぁ、ロープと、包丁と、自殺方法大全と……あといろいろか。睡眠薬も箱で送り付けたんだった。好き嫌いがあるといけないから私がこんなにサポートしてあげてるのに、なんでまだ生きてるんだろう。猿でも「早く消えろ」って言われてることに気が付くと思うのに。余裕がなくて必死に縋るしかできない生き物は足手まといだってなんで分からないかな。優しい先輩ですら困った顔してる。全部計画通りではあるけど。

 じゃあ次はマシュマロに人格否定でも入れちゃおうかな。まぁ自分じゃ気づいてない不快さを教えてあげてるわけだから感謝してほしいくらいだけど。フィルターに引っかからないような具体的で陰湿な焼きマロを…っと。

「あと先輩には……『だいすきです♡』とか送っちゃおうかな……」

 これは別口。できるなら先輩には毎秒愛情を囁きたいんだけど、先輩を陰ながら悪から守る後輩は多忙なんです。許してくださいね。

 私からの通知に気づいた先輩は……お、慌ててる。可愛いなぁ。照れてるのかな、ほっぺがちょっとにやにやしてますよ。えへへ、好きだなぁ。

「それ……誰?」

 とか言ってこっちも気分が良くなってたら馬鹿女がイライラし始めた。わ、好きな人なのはわかるけど、交際相手じゃない人の通知とか気にして目の前で態度悪くするんだ。気持ち悪。早く自殺しないかなぁ。

「誰って?」

「今の通知……」

「それ、君に関係ある……?」

「ない……けど、でもほら、今私大事な話してるし……こんなに困ってるって話をしてるんだよ!?」

 あ~、ヒステリックになっちゃってまぁ。周りのお客さんもドン引き。気持ちは分かる。毎日朝から晩までありとあらゆるSNSでブロックしてもブロックしても誹謗中傷が飛んでくるんだもんね。他人の通知も気になってしょうがないよね。LINEの通知音一つで発狂してる馬鹿女ってほんと無様で健康にいい。最高。

「そりゃ君が大変なのは分かるけど……僕の携帯に連絡がきたくらいで怒らないでよ。話には付き合ってあげたい気持ちは本当だよ。でも僕にだって予定が……」

「私よりその人たちの方が大事だって言いたいんでしょ?!私のこと支える振りして裏では馬鹿にしてるんでしょ?!もういいよ!」

「そんなことないよ。君が困っているから話を聞いてって言うから、こうやって時間とってるんだよ」

 努めて優しく声をかける先輩も、若干困惑を通り越した苛立ちが見て取れる。当たり前ですよね。先輩は必死に優しくしようとしてるのに、話も聞かないヒステリー女が勝手に喚いてキレてるんだから。まぁこうなってるのも私があの女に吹き込んだからですけどね。『お前の相談相手が裏で酷い悪口叩いてるの見た』って。

「どうせ私が泣いてるの、あとで仲間内で馬鹿にして笑うんでしょ!?もう知らないっ!!」

「っ!冷たっ……」

 叫びながら立ち上がった馬鹿女は、コップに入っていた水を先輩に向かって叩き付けるように浴びせる。これには流石に店員さんも止めに入った。主に女の方に強く注意をしているみたい。これも当たり前。女が急に騒ぎ出したのはみんな分かってるし、話の内容も一方的な言いがかりだというのははっきりしてる。先輩への視線は同情的なものが多い。

 こうなってくるともう、この女にとって、世界中から否定されているという幻覚は幻覚ではなくなる。質量のある真実にすり替わる。そうやってどんどん体を蝕んでいく。

 自分が暴走していることを正しいと思い込み、窘められると否定されたと信じ込む。自暴自棄になってそのうち死ぬだろう。あ~ほんと長かった。お疲れ様、私。今日は先輩とカス女との縁切りにお酒でも飲んじゃおっかな~。未成年だけど。

「先輩、災難でしたね」

「あ……お見苦しいとこ、見せちゃったね」

 先輩は力なく笑う。本当だったら一発あの女を殴ってもいいくらいなのに。先輩は優しいなぁ。ますます好きになってしまう。

「……あれ、どう考えても先輩悪くないですよ。近くのカウンターで若干話聴こえてましたけど、急に大声出して難癖付けて、なんなんですかあの人」

「そう、だよね……僕が悪いのかと思ったけど、やっぱりなんか変だったよね」

「はい。私はあの人がどう困ってるかとかは分かりませんが……気を遣っている先輩に対してなんなんですか?あの態度」

「あ、あはは……怒ってくれるんだ」

「当たり前ですよ!先輩は真摯に相談聞いてあげてるのに。もうあの女とは関わらない方がいいと思います」

 先輩は肩を竦めて「僕も同感。やっぱ君は優しいね。そういうところ好きだな」と乾いた笑いを漏らす。そうそう、先輩はそれでいい。不快な香りなんていらない。先輩からするのは私の匂いだけでいいんです。

「先輩先輩、今から先輩のお家お邪魔してもいいですか!ほら、そのままだと風邪ひいちゃいますし……」

「うん、大丈夫だと思うよ。姉さんも今年はもう帰ってこれないって言ってたし。両親はそもそも海外だし……」

「え、じゃあお泊りも…とかだめですか?お母さんはいつでも行っておいで、って言ってくれてるんですけど」

「いいよ……君がいいなら。僕も淋しいし、今日は特にちょっと誰かに話聞いてもらいたい気分だからさ」

 先輩に今週末の予定なんてないってことは調べてあるけど、それでも直接許可がもらえると安心する。今日はたくさん愛してもらっちゃおうかな。先輩にぎゅ~ってしながら、いっぱいえっちして、いっぱい眠って、それから――


『本日未明、都内のマンションの一室にて、女子生徒が首を吊った状態で亡くなっているのが発見されました。遺書などは残されておりませんでしたが、警察は状況から自殺と判断し、捜査を進めていく方針です』


 ――最高のニュースを聞きながら焼き立てのトーストを頬張る。

 今日のニュースはブルーレイにして保存しとかないと。何回でも見たい。

 いらいらしたとき、ふあんになったとき、おちつかなくなったとき。

 馬鹿な女が死んだニュースを見て、ご機嫌になろう。


 あぁ。こんなに幸せで、いいんでしょうか。

 愚問だと分かっていながら、それでも私自身に問いかけた。

 そんなの、いいに決まっています。


 だって私はこんなに先輩に、一生懸命尽くしているのですから。

 ですよね、先輩?


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