深夜の公園で出会う儚げで少し卑屈な女の子

 深夜、コンビニに寄った帰りのことだった。

「こんな夜更けに、どうしたのかな。てっきり、こんな場所私しか来ないと思ったんだけど」

 揺れるブランコ。夜に溶けてしまいそうなくらいに儚げな女の子と目が合った。時間はもう午前一時。女の子が一人で公園にいるには不自然な時間だった。

 彼女は白いサンダルをとんとん、と軽く地面を踏み鳴らすようにして立ち上がった。軽やかな音だった。僕の隣に近寄ってくる。

「どうした…って、僕はコンビニから自分の家に帰るところだけど」

「…そう。引き留めてごめんね。別に貴方を取って食おうとなんて思ってないの。ちょっと人が珍しくて、話しかけてしまっただけ」

 妙な雰囲気のある子だった。透き通るような声が心地よい。

 切なそうに視線を逸らして、僕の隣から一歩、滑るように下がる。

「えっと…君は」

 本当ならこのまま帰って、買ったお酒でも飲もうかと思っていたんだけれど、なんとなく僕は声をかけていた。放っておくと消えてしまいそうだったから。

 少女はぎこちない動作で振り返った。

「……私のことは、どうでもいいでしょう」

 口にした後に、慌てて少女は「ごめんなさい」と付け加えた。

「昔から、こうなんだ。卑屈なのは自分でも分かっているのだけど、それでも、身に着いた習慣はなかなか消えないみたいで。貴方と話したくないわけではないんだ。それは…その、分かってほしい。分かってほしいです」

 慌てたように身振り手振りをする少女の腕は白く、細い。病的と言っていいほどに。

「あれ…その傷、何かあったの。肩のところ、青い痣があるけど」

「…これは、ただ電柱にぶつけ――」

 そこまで言うと、僕に視線を向け、少女は空気を一旦全部吐き出して仕切り直す。

「貴方になら、嘘を吐く必要も無いか。これ、お父さんに殴られたの。あの人、夜はいつもお酒を飲んで酷い酔い方をするから。お母さんは愛想尽かして出て行ってしまったけど、私はお父さんが居ないとご飯も食べられないから」

「大変…だね。警察とか呼んでみる?今ならまだ、もしかしたら」

 慌てて携帯を取り出す僕の手を、少女は軽く触れて制した。

 凍るような冷たい指先だった。

「んーん、多分だめでしょうね。ああいうのって証拠がないと警察も動いてくれないみたいだし、私が証拠なんて集めてたら本当に殺されてしまうと思う」

 あっけらかんと、笑顔さえ浮かべている。その裏にどれだけの苦悩があるのかは、残念ながら普通の大学生である僕には分からないけれど。きっと表に出ている通りの感情ではないのだろう。

「あのさ、僕に出来ることはない?…いや、急にこんなこと言われて困るだろうけどさ。でもなんていうか、見過ごせなくて」

 独り暮らしの大学生に何ができるのか、自分でも分からないけど、それでも放っておいても僕はきっと、心配になって此処に戻って来てしまうと思うから。

「はは、貴方、優しいんだね。急にこんなこと言われて、って言ってるけど、それは貴女の方でしょう。深夜の公園で初対面、生々しい虐待の話なんかされてさ。普通気味悪がって逃げるんじゃないかな」

「少しは面食らったのは事実だけど、それでも心配だ。見なかったふりはできない」

「……お母さんも、そんな人だった。似てるね、貴方」

 懐かしむように、少女は目を細める。

 そして、意を決したように抱き付いてきた。

「……痩せてるでしょ。豊満な身体じゃなくて申し訳ない」

 胴に感じるのは華奢な感覚。瘦せ細った、子どもの感触。

 この痩躯にどれだけの地獄を詰め込んできたのか、僕にはきっと想像することすら烏滸がましい。ひと撫でしただけで壊れてしまいそうな、硝子細工にも似た生き物だ。

「貴方がさ、どういう趣味の人間で、何が好きで、何が嫌いなのかは分からないし、そもそもこんなに優しい貴方を困らせようと考えてしまう私自身が憎いのだけど」

「何、かな」

「うん、聞いてくれるんだ。やっぱり優しいね、貴方。お願いが一つあって。私なんかがこういう変なこと言うのとか多分気持ち悪いし、可愛げも愛嬌もそういうの、ないんだけど」

 何かを求めて発言するのが苦手なのだろうか。先ほどまでは淡々としていた少女は、どこか怯えるように言葉を取り繕う。もしかしたら何かに対する防御なのかもしれない。

「ダメそうだったら、ちゃんと断るから、無理とかしないから」

「それも実は私、嫌なんだ。断られるのも嫌、無理させるのも嫌、だから絶対に聞き入れてもらえるお願い以外したくない」

 ごめんなさい、と細い声が胸元から聞こえた。じんわりと涙が滲んだ声だった。

「自分勝手なのは百も承知だし、そもそもいきなり初対面の知らない人に何言ってるのって話だよね。…ごめんなさい、結局えっと、何が言いたいかってことなんだけど」

 ぎゅっと、服の裾が掴まれる。手の震えを抑えるように、必死に縋りつく姿は本当にただの子どもみたいだった。


「私を、何処かに連れて行ってほしい。本当に何処でもいいから、此処じゃない場所に。一人だと、そんな勇気も出ないけど、優しい貴方とならそんな勇気が出るかもしれないから」




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