元カノとしたことを調べて全部超えようとしてくる彼女

「君、前私以外とも付き合ってたよね。ツインテールで笑顔が可愛くて、きゃぴきゃぴしてるダルそうな女と、付き合ってたよね」

 何やら話がある、ということで僕の家を朝から訪れている彼女は開口一番そう言った。肩口まで伸ばした綺麗な黒髪を、苛立ったように指でくるくると弄っている。表情はなんというか、露骨に機嫌が悪そうだ。

「入るね」

 僕の返答を待たずに玄関の中に入ってくる。ロングブーツを手際よく脱いで並べると、すぐさま僕の胸ぐらを掴んで近くの壁に叩きつけた。

 こんなに、力がある人だっただろうか。まるで壁に縫い留められてしまったかのように身動きが取れない。肺から漏れた空気を求めるように口を開いて呼吸すると、強引に唇を塞がれた。

 体温の籠った吐息が脳の奥まで入ってくる。麻薬みたいに脳がしびれて動けなくなるような、危険な香り。

「な、何かしたかな、僕…」

「別に、君はなんにもしてないよ。ただ昨日の夜、君が昔付き合ってた女がコンビニでアイス買ってたからムカついただけ。『アイツが好きだったな~』とか悲しそうな顔して君の好きなアイス買ってたし、多分まだ未練ありそうだったよ。ほんとやだ。もう他人だってことにも気が付かないでのうのうと生きてるなんて」

 一瞬目を伏せる彼女。次の瞬間、凍るような声音が再び響いた。

「だからさ、もしかしたら君にあの女がもう一度接触してくるかもしれないでしょ。やっぱ諦めきれない~とか言って。そうしたらさ、君は優しいから、相手しちゃうかもしれないでしょ。別に君が浮気するとか思ってないよ。本当そこだけは信じてる、でも、それは相手には関係ない。そこの優しさに付け込んでくる可能性だってある。あるよね?だってあの子はそういう女だもん」

 はぁ、と一つため息をついて。

「だからね、君がさ、あの女と今までやってきたこと全部教えて。怒んないよ。君とあの女がお薬キメながらぐちゃぐちゃセックスしてても怒ったりなんてしないよ。過去は過去だからね。だけどそれ、?もっとおかしくなるやつ。脳味噌がどろって溶けて、そのこと以外考えられなくなるくらいのを、いっぱい一緒にしてほしいなっていうお願い……っていうか、いっぱい一緒にしろっていう脅迫」

 今にして思えば、彼女は元来そういう人だったような気がする。嫉妬深いくせにドライで割り切れる部分はちゃんと割り切ってくる。

 なんとなく、予想していたことだった。

「そういうの、やっぱり気になるんだ。他の人と何をしたか、とか」

「そりゃ、ね。君だって気になるでしょ。私が他の男にどんな抱かれ方してたとか」

「…そういうの、あんまり考えるの好きじゃないから。自分の好きな人に関して他の人間がちらつくの、結構ムカつくし」

「だからって見ないふりするんは難しいよ。ま、私は前の彼氏とかほんと手を繋いですらなかったから、それは運が良かったね、君」

 彼女はきっと、嘘をついているわけではない。

 本当に、そうだったのだろう。前の人とは。

 だからこそ、伝えにくい。僕があの子とどんなことをしていたのか、とか。

 あの子はすごく、こう、端的に言えば性欲が強かった。僕も子供だったし、拒むよりも好奇心が勝ってしまった節があったから、結構いろんなことをしている。

 今の彼女とは、まだしていないこともたくさんある。

 でもあの時の僕と今の僕は全くの別物だ。同一視されると、複雑な気持ちにもなる。

「僕は……」

 かといって嘘をついて誤魔化すのも失礼だというのは分かっている。

 だから、答えに窮している。

「ん、その顔は『言えないようなこともしてきたけど言えないままにしておくのは失礼かな』とか考えてる顔かな。ほんと、君は真面目だね。別にいいじゃん。幼いころに幼い女の子とセックスできてラッキーくらいに思っとけば。昔の君と今の君は全然違うんでしょ?考え方も倫理観も、細胞だって生物学的に見れば全くの別人だよ」

 僕の考えを当たり前のように透かして見せた彼女は、僕の手を取って僕の部屋へと引っ張っていく。真っ暗な部屋。僕と彼女以外には誰もいない世界。

 窓の向こうから聞こえる子供たちの笑い声がやけに遠く感じる。

「ね、いいよね。怒ってなんかないよ。ただあの女に嫉妬してるだけ。羨ましくて、妬ましくて、私もそんな風に近づきたいなって。結局私も一緒。君の優しさに付け込んでる」

 首筋に、唇の柔らかい感触と、次いで湿り気を帯びた痛みが訪れる。噛み付かれたのだと、気づくのに時間がかかった。


「でもそんな私も好きでしょう、君」


 噛み痕に舌を這わせる彼女。

 全身の力が抜ける。僕に跨る彼女を、振り払うほどの力も出ない。

「君が教えてくれなくても大丈夫だよ。これから、長い人生全部の時間をかけて、君の身体に全部訊くから。力抜いて、自然体で、私に君のことを教えてね」

 弾むような声が耳元で囁いた。耳から頭の中全てをダメにされるような声だ。

 過去の全てを忘れ去ってしまえ、とでも言いたげな声。


「性欲と愛情の違い、ちゃんと身体で覚えてね。絶対上書きされたらだめだよ」



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