エピローグ

 何度繰り返したか分からない起床。今日もまた、同じように目が覚めた。そして思う、あの出来事は夢だったのではないかと。僕という自意識が生み出した、ただの脳内のまやかしなのではと。


 けれど、すぐにそれがただの勘違いだと分かる。僕の体に纏わりつく、三人の体があったからだ。白芽は僕の右腕をがっしりと掴み、霞は僕の胸の上に抱き着いて寝ていて、空いた左腕を凛子が占領していた。


 怠い体とまだ鈍いままの頭が、何故か非常に心地が良い。僕を愛してくれる彼女たちが、就寝から起床まで一緒にいてくれたと言う事実によって、僕を満たすからだ。許されるのなら、何時までもこうしていたいものだ。


 「白芽、霞、凛子、もう朝だよ。そろそろ起きよう」


 しかし、今日はこれからやるべきことがあるのだ。早々に支度を終え、そちらに移行しなければならない。気持ちよさそうに寝息をたてる三人には悪いが、そろそろ起きて貰おう。


 ……起きない。いや、寝たふりをしていると言った方が正しいか。明らかに起きているのだが、動こうとしないのだ。


 「……」


 「く、くー……」


 「うふっ……」


 困った子たちだ。おそらく僕が目覚めるよりも早く、起きていたのだろう。にもかかわらず、こうしていると言うことは、それほど僕と離れたくなかったということだ。凄く嬉しい。彼女たちの愛が、昨夜を経てより大きく重く成長していると言う事実もまた、僕を満たしていく。


 結局、僕たちが布団を出たのはお昼前になってからだった。数時間前の延長戦を始めてしまったのだから、仕方ないだろう。


 簡単なお昼を食べ、さてもう一度三人とイチャイチャ……と行きたいのだが、生憎と僕にはやるべきこと、話すべきことがあるのだ。今日は、僕を探してくれていた友人に対してそれを行う。着替えを行う僕を見て、不思議そうに白芽が僕に聞いた。


 「励、何処に行くの? 今日、学校は休みだよ?」


 「少し、ね。帰ったら続きをしよっか」


 「私も行くよ。励に何かあったら困るし」


 心配そうな顔で僕を見る白芽。それもそうだろう。白芽はつい最近まで、僕を失っていた。その恐怖を払拭出来ないでいるのは、当たり前のことだろう。そんな白芽を安心させるために、優しく彼女の頭を撫でる。


 「大丈夫。すぐに終わるし、これは僕一人で話さないといけない事なんだ。僕はもう、白芽の前からいなくなったりなんてしないよ」


 「……本当? 励のこと、信じていいの?」


 無条件で信じろだなんて言わない。信用なんてものが欠片もない僕を、今すぐ信じてくれなんて言わない。これから先、僕の行動によって白芽が僕を信じてくれることを、僕は願っている。今日はその第一歩だ。


 「もちろん。だって僕は、白芽の眷属だからね」


 「っ……ずるい。そんなこと言われたら、もう何も言えなくなっちゃう」


 薄っすらと微笑を浮かべながら、僕を見る白芽。その一顰一笑が、どれほどの葛藤によって浮かべられているのか、僕には想像することしかできない。けれども、僕はそれに応え続けなければならないのだ。白芽を愛すとは、そう言うことである。


 部屋に戻って、誠一と寛乃亮に連絡を送る。彼らにはこの数日間、申し訳ないことをした。まずは、二人にきちんとした説明と、事の顛末を話すべきだろう。物の数秒で返信が届き、代わりに僕は位置情報を送る。


 そうしていると、扉が小さな音を立てて開いた。振り返ると、霞がいた。どうしたの、と声をかけると彼女は僕に抱き着いてきた。まるで、僕を逃がさないかのように。


 「先輩、二人に会いに行こうとしてるんですよね? だったら、行くのを辞めてください」


 「……霞は、優しいね。いつだって、僕のことを気にかけてくれる」


 実のところ、誠一と寛乃亮はあまり白芽や霞のことを良く思っていない。そして二人は、きちんとした常識を持ち合わせている。ならば、結果は明白だ。僕と三人の関係を、祝福してくれないだろう。それによって生じる、これからの弊害を霞は心配してくれているのだ。


 「分かってるなら、どうして行くんですかっ……! これは四人だけの秘密にして、しかるべき時にお話すればいいだけじゃないですか!」


 「そうだね。きっと、そうすれば一時は安心だよ。でも……」


 でも、それじゃ駄目なんだ。僕は、三人との関係を後ろ暗いものにしたくない。言いふらすつもりもないが、ひた隠しにするつもりもないのだ。どれほど後ろ指を差されようと、友人や迷惑をかけるかもしれない人たちにはきちんと話をしたい。


 「これはただのわがままなんだ。けれど、必要なことだとも思う。僕は僕と君たちを幸せにするために、必要なことをしに行くんだ」


 「……分かり、ました。先輩がどうしても行くって言うなら、私はもう何も言いません」


 「ありがとう、かす――」


 「ですがっ! ちゃんと私たちの元に、帰ってきて下さいね! 約束ですよ?」


 少し屈んで、霞と目線を合わせる。当たり前だ。僕はようやく、スタートラインに立ったのだ。むしろ、これから先が僕にとっての本当の人生なのである。ならば、しっかりと帰ってきて、今日も皆を愛し尽くそう。


 「あぁ、僕は君の眷属であり続けるよ」


 「えへへ……先輩、大好きですよ」


 霞の気遣いは、どんな言葉よりもその人間性を明らかにするものだ。霞は優しくて、思いやりのあるいい子である。そして、それだけに愛情は酷く重い。そんな彼女の献身には、それ以上の愛を持って応えなくはならない。霞を愛するとは、そう言うことである。


 霞の頭を撫でてから、玄関に行く。すると、そこには待ち構えていた凛子がいた。彼女はいつものようににこりと笑って、僕の鞄を差し出した。


 「律儀ですね。少し妬けてしまいます」


 「凛子も嫉妬とかするんだ。ちょっと意外だったよ」


 「当たり前です。私だって、あなたのことが大切ですから」


 そう言って凛子は僕に近づいてきた。後ろで、白芽と霞が自分のことを警戒していることに気付いての行動だろう。凛子は二人に見えないように、その顔を歪めてこう言った。


 「逃げたら、今度こそ殺しちゃうよ? 私、まだまだ励君を味わいつくしてないからぁ」


 「逃げないよ。君が僕に愛情を向けてくれるなら、どれほど歪んでいても僕はそれを受け入れるよ」


 凛子はその返答を聞いて、最後に僕を抱きしめた。後ろの二人には、ただイチャついているように見えるのだろう。これは、そんな生易しいものでは無いと言うのに。


 「励君はもう逃げられない。私からも、後ろの二人からもね。そのことをよく理解しながら、御友人とお話してらっしゃい?」


 僕の首筋をチロチロと舐めて、甘い声でそう凛子は囁いた。僕はこれからも、凛子の期待に応え続けなければ、彼女の愛に圧死させられるだろう。しかしそれでいい。それでこそ、蓬莱凛子なのだ。彼女の狂った愛情こそ、人でなしの僕には相応しいのだ。凛子を愛するとはそう言うことである。


 「君の運命で僕は三人から逃げられないんじゃなくて、僕は自分の意思で君たちから逃げないんだよ。それに、僕は凛子の眷属だしね」


 「うふふっ……素晴らしい。あなたのその瞳、食べちゃいたいくらいに綺麗。そんな励君なら、きっと大丈夫ね。気を付けていってらっしゃい」


 後ろでは、僕を見送るために霞と白芽がいた。僕のことを、三人も待ってくれているのだ。その事実がまた、僕を喜ばせる。また、ここに帰ってきたいとより強固に思うのだ。


 太陽が僕を照らす。そのまぶしさに、思わず焼かれてしまいそうだ。お天道様は、きっと僕のことを許してはくれないだろう。一夫一妻制の世の中に、一人だけでなく三人も愛そうと言うのだから。どれだけの徳を積んでも、僕は地獄行き決定である。


 それでいいのだ。僕にとっては、今までの人生こそ地獄に等しかった。白芽に愛されても、霞に愛されても、凛子に愛されても満たされない。僕は彼女たちが大好きなはずなのに、それを翻すように僕の心は飢えを叫び続けていたのだ。そんな自分の不徳に悶えるのは、とても苦しかった。


 六道の中には、飢えて飢えて飢え続ける地獄があるらしい。僕の状態はそれに加えて、自分の不義と彼女たちに対する申し訳なさで埋め尽くされていた。そのために、一種の義務感で彼女たちを愛し続けるつもりだった。責任という言葉はまさに都合が良かったのだ。


 目的の場所にたどり着く。あの廃神社だ。ここは白芽との思い出の場所でもあり、誠一との思い出の場所でもある。既に、誠一と寛乃亮は来ていた。二人は少しやつれていて、申し訳なさが先行する。しかし、もう大丈夫なのだ。僕はもう、本当の自分に気付いたのだから。


 「久しぶり、二人とも」


 「励……お前……!」


 「っ! なんで、そんな眼してんだよっ……!」


 僕を見るなり早々、二人はその顔を絶望に染めた。眼? 眼ってなんだ? 何を二人は言っている? 良く分からない。どうして、そんなに辛そうな顔をするんだ? 僕は、こんなにも幸せだと言うのに。


 「どうしちゃったんだよっ! また、あいつらなのか? 吸血鬼たちが、お前をそんな風におかしくしたのか!?」


 寛乃亮が僕の肩を揺らして叫ぶ。なんで、そんなことを言うんだ? だって、僕はまだ三人とどんな関係になったかも言ってない。それを、もう既に結果が分かってしまったかのように反応するのは、一体どういうことなんだ?


 「何、言ってるの? 僕はいつも通りで……」


 「そんな訳あるかよ……! 僕の前でそんな顔するなんて、どう考えてもおかしいだろっ……!」


 寛乃亮が崩れ落ちた。いつものヘラヘラとした態度は何処にもなく、ただ苦しそうに僕を見上げるだけだ。何が彼をここまで追いつめてしまったのか。それは多分、僕なのだろう。寛乃亮がここまで狼狽えるのは、僕のせいなのだ。


 「励……お前、倉持や橘、後は蓬莱か。あいつらに何された?」


 「何って、凛子には少し攫われたけど、それ以外は特に」


 「じゃあ、蓬莱に攫われている間、なんで連絡の一つも寄こさなかった?」


 「スマホ没収されてて……迷惑かけてごめんね?」


 「っ……そういうこと、言って欲しいんじゃねぇんだよ……!」


 じゃあ、どうして欲しいと言うのだ。僕はただ、心配をかけた誠一と寛乃亮にもう僕は大丈夫だと、心配しなくてもいいと伝えたかっただけなのだ。そして、反対をされることを承知で白芽や霞、凛子とどのような関係になったのかしっかりと伝えたかっただけだ。


 「二人とも、少し落ち着いて? 僕はこの通り元気だし、何も変わってないよ。むしろ、僕は今幸せなんだ」


 「幸せ……? あり得ない!? 今の励の、何処が幸せなんだ……!」


 「だって、僕は気付いたんだ。本当の幸せに」


 「励……」


 誠一と寛乃亮が僕を見る眼は、何か異質なものを見る眼だった。あぁ、それもそうか。僕は許されない行為をしている。なればこそ、そこに言葉は無くとも、雰囲気で分かってしまうものなのか。しかし、それだけではいけない。言葉にしなければ、嘘になる。有耶無耶になってしまうのだ。


 「僕は三人を……白芽と霞、そして凛子を愛し続けるんだ。それが、僕が幸せになる唯一の方法だったんだ」


 「違うだろっ………そんなの、間違ってる……!」


 「辞めろ、東。もう、辞めろ」


 「でも、こんなのってっ……!」


 誠一は冷静に、しかし悔しそうな顔をしながら寛乃亮を諫めている。彼は、僕のその発言を聞いて幻滅したようではない。むしろ、その逆だ。絶対にその目を覚まさせてやると言わんばかりであった。


 「励、お前が決めたことなら、俺は基本的に文句は言わねぇ。けどなぁ、友達が絶対に間違ってるって分かってる道に進もうとしてるのに、止めねぇのは違うと、俺は思うんだ」


 「良いんだ、誠一。僕は自分が間違ってるのは分かってる」


 「なら、なんでその道に進む? もしかして、吸血鬼どもに脅されてんのか? だったら、俺たちが必ずお前を守ってやる。だから――」


 「違うよ。最初はそれに近かったかもしれないけど、今は違うって言える。だって、こんなにも幸せなんだから!」


 これこそが、僕の根底を支える理由。僕は、ようやく自分が幸福だと思えるようになった。三人の愛を持って、自分が幸せであると自信を持って言えるようになったのだ。幸運で、幸福で、可能性に満ちた現代に生まれながら、その幸せを疑う僕はもういない。


 それは、実に幸せなことだ。


 「お前は間違ってるよ。その先に未来は無い。それでも、進むんだな?」


 「もちろんだよ。間違っても、間違い続ける。それが僕の選んだ道だから」


 静かに、しかし最後通告のような冷徹さを含んだその言葉は、僕と二人を分つ言葉だった。僕たちは変わらず友達のままだ、そこは変わらない。しかし、決定的にただの友達ではなくなった。お互い異なった主義主張を持つ、友でありながら敵のような関係。そういう間柄になったのだ。


 もうここに用は無い。僕は僕の楽園に帰らせてもらおう。二人にじゃあねと言って、彼らに背を向ける。最後に、後ろから宣戦布告ともとれる宣言が聞こえた。


 「俺は、お前とお前をおかしくした吸血鬼たちを認めないっ! 今はまだできなくても、必ずお前をまともにして見せるからな!」


 「僕だってっ! 励をぶん殴ってでもこっちに引き戻す! それが、僕のすべきことだから!」


 僕は本当にいい友達を持った。昔の些細な出来事の恩を忘れず、間違えを正そうとしない僕のため奮闘してくれるなんて。やっぱり、僕は人でなしだ。こんなにいい友達を、人生で出会えたことを喜ぶべき存在を、簡単に捨ててしまうのだから。


 振り返ることはしなかった。進むべき道は、未来はもう決まったからだ。二人が何と言おうと、僕はもう後には引けない。ただ進み続けるしか道は無いんだ。


 家について、扉を開ける。両親がいない今は、何を言っても誰も返事をしないはずだった。けれど今は――


 「お帰りなさい。早速だけど、早く続きをしよ?」


 「そうですそうです! 私達はまだ、満足してません!」


 「うふふっ……明日も休みですし、今日は寝かせませんよぉ?」


 こんなに可愛くて、僕のことを愛してくれる三人の吸血鬼がいる。僕は白芽と、霞と、凛子の眷属になれて本当に良かった。このことを、後悔することなんて絶対に無いと言える。


 「手洗ったら、また始めよっか。今日も期待しててね」


 「~~~! 早く、来て……!」


 「むふふ……先輩もすっかり私たちにハマっちゃいましたね」


 「そうでは無いと困ります。私たちを満たすことが出来るのは、あなたしかいないんですから」


 白芽を助けたあの日から、僕の人生は狂い始めた。幼い彼女を見捨てることは、見殺しにすることと同義なあの場面で、僕の選択肢は一つしかなかったから。


 霞を助けて、彼女の心を奪ってしまった日から、僕の人生は壊れた。自分が、どれほど非人間的か知ってまうことになるから。


 凛子に攫われて愛された時から、僕は自覚してしまった。自分の人間性を、その在り方を見つけてしまった。それが、間違っていると分かったのだ。


 間違えることは、駄目なことだとずっと思っていた。けど、そんなことは無い。間違えることと、してはいけないことはイコールじゃないのだ。選べば損をすると分かっているから、してはならないと思えるだけで、決してやってはいけない訳では無い。


 僕は、間違えることにこそ価値があると思うのだ。絶対に違う、その道は間違っていると分かっていてもなお、進む。そういう道にこそ、僕は自身の幸せを見出した。


 だから、僕はこれからも三人を愛し続けよう。その道にどんな苦難が待っていようと、友の理解を得られなかろうと、僕は彼女たちの眷属であり続ける。


 だって、僕は白芽にとって恋人で、霞にとって神様で、凛子にとって食べ物なのだ。それ以外に、理由は要らないだろ?

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眷属、要りますか? 黒羽椿 @kurobanetubaki

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