人でなしは、三人を愛す決意をする

 冷え切った体を癒すように、熱いお湯がじんわりと染みこむ。一般的な、何処にでもあるバスタブの中で、僕はその体を暖めていた。それだけならば、特筆すべきところの無い普通のことだろう。


 「はぁー……生き返るー」


 僕の上に、白芽がいなければ。しかし、これは合理的な判断によるものだ。僕たちはあの廃神社でそれなりに長い時間雨に打たれていた。それは、吸血鬼であろうとなかろうと体調を崩しかねないほどの体温低下を招いていた。


 だから、避難先としてそこから一番近い僕の家に行くのも納得だし、こうして一緒にお風呂に入るのも当然のことである。いや、分かっている。これはあくまで建前だ。本音を言えば一緒に入りたかっただけである。きちんと意味があるのなら、これは約束の不履行にはならない。そういう言い逃れをして、白芽と裸で抱き合いたかっただけだ。


 「白芽……」


 「ど、どうしたの? 今日はやけに積極的」


 白芽を後ろから抱きしめる。素肌同士でくっつくので、普段よりも密着度が段違いだ。しかし、僕にその感触を楽しむ権利が本当にあるのだろうか。


 僕は、あの瞬間迷った。本当に、白芽を巻き込んでいいのだろうと。あれが、最後の分岐点だったのだ。白芽の未来を決めるための。


 あそこで白芽に僕の望みを言えば、今のような状況になろうとならなかろうと、彼女は永遠に僕無しでは生きられなくなる。僕を失うことを知った白芽がこれから先、僕を長い間喪失することになったらきっとおしまいだ。白芽は、絶望して死んでしまう。


 だから、最後の最後に迷ってしまった。僕のこんな低俗な願望のために、彼女を抜け出せない沼に突き落としてもいいのかと。僕が幸せになるためには、白芽が必要なことは分かっている。けど、だからと言ってそこに彼女を巻き込んでもいい理由にはならないのだ。


 白芽は生きている。その胸に残った僕の残影は、未だ彼女を苦しめつつも、確かに生きている。ならば僕無しで生きて、彼女なりの幸せを見つけられるかもしれない。これは、その可能性を摘む行為だ。本当に意気地のないやつである。一度決めたことに、土壇場で疑問を差し込むのだから。


 しかし、僕は白芽を巻き込んだ。泣いている彼女を、今後のためにならないからと見捨てられなかった。僕は何処までも偽善者で、自らの欲望のために人を巻き込む愚か者だった。


 もう、そこを蔑むことはしない。僕は僕の駄目な所、人の道から外れていると思われることでも、僕と彼女たちの幸せのためにそれを貫くのだ。間違っていても、それを正すことなく間違い続ける。全く、僕は本当にどうしようもない奴だ。


 「いや、白芽とお風呂に入るなんて、考えもしなかったなって。こんなに君を感じられるなら、もっと早くにしておけばよかったよ」


 「っ! な、なんか今日の励は変。いつもなら一緒にお風呂なんて入ってくれないのに……」


 「僕は自分に正直になっただけだよ」


 「ひゃう!?」


 白芽の無防備なうなじに顔を突っ込む。同じボディソープを使ったはずなのに、白芽の方が甘い香りがする。これはきっと、彼女本来の匂いなのだろう。僕の腕で縮こまる彼女も可愛くて、より一層に僕を幸福にする。そうか、僕は変態だったのか。


 「ふにゅう……」


 「あれ……?」


 自らの変態性に気付いた瞬間、白芽が脱力した。裸で抱き合うということが、普段から約束でそう言ったことを禁止している白芽には、色々と刺激が強かったのかもしれない。いや、そんなことより白芽の体調が第一だ。僕は風呂から上がることにした。


 「それで? 白芽さんはキャパオーバーして倒れたと……意外と初心なんですねぇ」


 「そうでもありませんよ。励君に裸で抱き着かれたら、私だって正常でいられません」


 「あなたの場合、全く違う意味に聞こえるんですが……」


 リビングに行くと、霞と凛子が着替えて座っていた。霞はラフに、僕の部屋着の一つであるシャツを着ている。胸部が凄く強調されていて、凄いのだ。それはそれは、もうとんでもなく凄いのだ。


 凛子は何故か、僕の普段着ているワイシャツだけを着ていた。明らかに下は何も履いていないので、ふとした拍子にちらちらと映る太ももが、また素晴らしい。どうしてか一番隠すべき部分は見えないので、そこもまた僕の脳神経を大いに刺激する。


 白芽の着替えは、代わりに霞にやってもらった。僕がやってもいいのだが、色々と我慢できなくなりそうだったのだ。いくら幸せになるため、白芽を僕無しで生きられなくしたとはいえ、約束は守るべきだ。僕は人でなしではあるが、外道にまで落ちたつもりは無い。


 「んぅ? あれ、私なんで寝て……」


 しばらく待っていると、回復した白芽が起きた。僕の家には不思議なことに、白芽の着替えがあるため、彼女は普通の寝間着姿だ。いつも通りの白芽も可愛い。


 「良かった。具合は大丈夫?」


 「うん……ありがと」


 水を一杯手渡して、白芽を目覚めさせる。きちんと、彼女にもう一度説明をしないといけないからだ。そこをぼやかすようでは、いけない。


 「白芽、それと霞と凛子も。僕の望みを改めて聞いてもらえる? 僕はきちんと、それをすべきなんだ」


 「……分かった。もう一回、ちゃんと聞く」


 「良いですよ。他らなぬ先輩からのお願い事ですもん」


 「ふふっ……続けなさい」


 誤魔化しや言い訳はしない。きちんと話して、協力してもらうのだ。どちらかが与えすぎても、貰いすぎてもこの関係は成立しない。これからするのは、一生モノの契りなのだ。


 「僕は、僕が幸せになるために君たちを愛し続ける。白芽も、霞も、凛子も、皆を同等に、分け隔てなく愛し続ける。それが、僕の幸せだから」


 何度聞いても、ろくでもない願いだ。女性の心を誑かし、それだけに留まらず複数人から愛されようとしている。けれど、どれだけ否定しても見ない振りをしても、これが僕なのだ。


 「白芽、こんな僕だけど、一緒に生きて欲しい。君の人生を、僕に託して欲しい」


 「うんっ……! だって、励は私の眷属こいびとだもの。私の全ては、励のものだよ」


 ありがとう、こんな僕を愛してくれて。


 「霞、僕とこれからも、共に生きて欲しい。君とこれからも、歩んでいきたいんだ」


 「はい。先輩は、私の眷属かみさまです。これからもずーーっと、すぐ近くに居させて下さい」


 ありがとう、こんな僕を慕ってくれて。


 「凛子、君と一緒に幸せになりたい。それが僕の、運命だと思うから」


 「良いですよ。あなたは私の眷属たべものであり、私の所有物なんです。私をおかしくしてしまった責任、これから一生かけて取ってもらいますからね」


 ありがとう、こんな僕を許してくれて。


 僕はどこかおかしい。いつだって愛に飢えていて、近くにあるそれに気付きながら、それ以上を求めていた。白芽だけから愛されても、霞だけから愛されても、凛子だけから愛されても、それは収まらない。僕は三人から愛されて、ようやくその心を満たすことが出来るのだ。


 そのために、僕は三人の人生を背負う。これから一生、彼女たちに尽くし続ける覚悟をするのだ。僕のこれからを、全て白芽と、霞と、凛子のために使う。そうして初めて、僕は許されるのである。


 他の誰でもない、三人の誰でもない、僕自身に許されるのだ。そうすればきっと、僕の渇きは潤されるはずだ。僕の空虚な心も、全て埋まるはずだ。


 さて、これからのことを考えよう。現在の状況は、三人の愛する女性が僕の家に、しかも両親も不在の自宅にいるのだ。ここまでお膳立てされて、何もせずに終わるなどあってはならない。僕は、僕の欲望に忠実になると決めたのだ。


 「三人とも、今日は時間ある? 良かったら、僕の家に泊まっていかない?」


 「っ!!! もちろん!」


 「はいっ、お供させていただきます!」


 「えぇ、今日は楽しみましょ?」


 ねっとりとした三人の視線が、僕を貫く。彼女たちの愛は重い、けれどそれが良いのだ。重くて重くて、普通の人なら辟易してしまうかもしれない愛情。そのどろりとした愛の坩堝は、僕にとってはどこまでも甘いものだ。


 僕はにっこりと笑って、三人を空き部屋に招待した。用途も決まっていない、がらんとした部屋。今からそこは、僕たちの愛の巣となる。今日のために、ここは存在していたのだ。僕は今までここを綺麗にしてくれていた母に感謝しながら、ある準備をした。


 それは、違う母に連絡するためだ。霞は僕に了承を出すとともに、親に連絡をして許可をもぎ取っていた。凛子は放任主義の家庭なので、いちいち帰らないくらいでは何も言われないそうだ。


 そうとなると、残るは白芽の家だ。美幸さんに、僕はお願いと決意表明をしなくてはならない。霞と凛子にも、来るべき日が来た時には両親にお話をしに行こう。それが、どれほど理解のされないものだとしても。


 通知が死ぬほど溜まっているスマホから、白芽の家に電話する。数秒で、美幸さんが出た。


 「励君っ!? 今どこにいるの!? 待ってて、今白芽に――」


 「いえ、大丈夫です。白芽は、今僕の所に居ますから」


 「へ? あらっ、いつの間に……良かったわぁー、あの子ったら、励君がいないいないって部屋に閉じ籠っちゃって、大変だったんだから」


 「それはもう、大変ご迷惑をおかけしました」


 白芽をそういう状態にしたのも、追い込んだのも全て僕のせいだ。叱責なら、甘んじて受け入れよう。


 「良いのよ良いのよ。あの子がそうしたいって言うなら、親は応援してあげないとね。それじゃあ、今は励君の家にいるの?」


 「はい、そこでお願いがあるんですけど……」


 一番言い出しにくいことを言おうとすると、美幸さんが間髪入れずに答えた。


 「良いわよ。あの子は今日、部屋にずっと引き籠っているってことにしておくわ。その間は、公序良俗をわきまえたなら、何をしてもいい」


 「それって……」


 「励君。娘のことを、よろしくお願いします」


 僕にそんなことをお願いされる資格はない。どちらかというと、罵倒の方がお似合いなのだ。けれど、美幸さんは僕を信じてくれた。人でなしの僕に、大切な一人娘を預けてくれたのだ。僕は、それに報いなければならない。


 「絶対に、白芽のことを幸せにして見せます。今度、改めてそちらに伺って、色々とお話をさせて頂きます。今日はありがとうございました、お義母さん」


 「っ!え! 励君、今なんて!」


 「僕も覚悟を決めたんです。白芽を幸せにするために」


 「ちょっ、ちょっと待って! 約束はきちんと守ってよ!? そこまで許した覚えはありませんからねっ!」


 「ははっ、はい分かってますよ。まだ、手は出しません」


 焦る美幸さんの声が、遠くに行ってしまった。美幸さんの嬉しそうな、けれど少し困ったような声が微かに聞こえてくる。僕は失礼ではあるが、通話を切った。これから先は、直接会って話さないと駄目だ。だから、今はこれで良いのだ。


 ゆっくりと、階段を上る。ものの数分で、これから僕は彼女たちの愛を一身に受け止めることになる。その事実に、打ち震える。一体、どうなってしまうのだろう。確かに分かることは一つだけだ。それは、僕が今まで体験したことのない幸福だろう。


 「お待たせ、皆」


 僕はゆっくりと扉を開けた。


-----


 「はぁ……本当に大丈夫かしら……」


 つい、外泊の許可なんて出してしまったけれど、励君は自分を抑制できるだろうか。白芽はきっと、その暗示の力で自分からは手を出さないはずだ。しかし、励君から求められた場合は、分からない。とは言っても、割と強情な所があるあの子のことだ、多分一線を越えてしまうだろう。


 「ほんと、変な所ばっかり似ちゃって……」


 あの子の重い愛は、私譲りな所がある。私の時は、それはもう酷かった。一度、旦那のことを拉致監禁したくらいだ。今となっては笑い話に出来るが、当時は洒落にならなかった。あの子も、その素質は十二分にあるのだ。とても、心配になる。


 「しかし……お義母さんかぁ……」


 励君も、いつの間にか大人になっていた。こんなに年数をかけてやっとかと思わないでもないが、それだけ考えていてくれたのだろう。まるで自分のことのように嬉しい。誰もいない白芽の部屋で、一人物思いに耽る。


 「だ、大丈夫よね?」


 あの感じ、覚悟が決まった様子だった。孫が出来るのは大歓迎だが、高校生でというのはいくら何でも早すぎるだろう。するにしても、ちゃんと自制するべきところは自制して欲しいのだ。これなら、白芽にそういう類のものを持たせておくのだった。


 頭の中がピンク色の妄想で一杯になる。ぐるぐると回って、顔が熱くなってきた。ついに、我が娘も大人になるのかぁ。


 ふと、あることに気付いた。今日は白芽がいない。家には私と旦那だけだ。それに、最近は私も白芽に遠慮してあの人を堪能していない。そのせいか、近頃はあの人の近くにいるだけでは物足りなくなっていた。


 「今日は、いや今日こそ! あの人と楽しむべきだわ!」


 そろそろ限界だったのだ。白芽の最愛の人がいなくなった目の前で、私達がラブラブする訳にはいかないとは分かっている。分かっているのだが、理屈と欲望は相反するものなのだ。私も、あの人の血を吸いながらあの人をドロドロに愛したい。


 そうと決まれば、今日は朝まで楽しもう。幸いにも、明日は二人とも休みだ。あの人の足腰がガタガタになるまで、他の女なんか見れないくらいに愛してあげよう。もちろん、私もあの人しか見えないほどに愛してもらおう。当の昔に、私はあの人で一杯ではあるのだが。


 「ふんふーん……ねぇ、ちょっといいかしら?」


 リビングに降りて、不思議そうな顔をするあなたに話しかける。あぁ、なんて良い顔をするのだ。あなたに夢中になってしまった日から、私はあなた無しでは生きられなくなってしまったのだ。もう、我慢できない。その全てを、味合わせて貰おう。


 私は愛しの人に抱き着いて、何日かぶりに彼の血を吸った。そこから先の記憶は、あまりなかった。けれど、ただひたすらに幸せで、もっと彼のことが好きになったのだった。白芽も、きっと幸せになれる。だから、頑張ってね。

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