幼馴染は、眷属を信じたい

 暗闇の中であなたのことを想う。私の眷属こいびと。私の励。私の最愛の人。どれだけ言葉を尽くしても足りないくらいに、あなたのことを恋い慕う。


 けれど、いくら求めても探しても、あなたはどこにもいない。どうしてもっと縛り付けていなかったのかと後悔する。そんなことを悔やんでも仕方ないのに。だって、あなたはもういないのだから。


 「れぃ……れいぃ……」


 当の昔に匂いの消えた彼の服を抱きしめて、私は私の世界に引き籠る。私だって、こうしていても何の解決にもならないのは分かっている。それでも、駄目なのだ。理屈では分かっていても、私の体は動かない。


 彼は見つからない。全てが都合よく、彼を隠してしまった。どうしようもない絶望と、溢れかえる虚無感についぞ私は耐えられなかった。彼がいなければ生きていけない。彼の傍でないと生きる理由を確立できない。彼がいないと死ぬことすら出来ない。


 苦しい、恐ろしい、怖い、助けて。もう泣き過ぎて声は枯れている。そうして疲れ果て、私は今日も気絶するように眠るのだ。そして、悪夢を見る。


 励が私を嫌う夢。励が死ぬ夢。励が消えて無くなる夢。励が苦しみ悶えている夢。励が私に助けを求める夢。励が私に酷いことを言う夢。励が泣いている夢。励が連れ去られる夢。


 決まって最後に、同じ夢を見る。彼が私を、殺す夢だ。お前なんかと出会わなければ良かった。お前のせいで僕の人生はめちゃくちゃだ。お前なんて、死んでしまえばいい。そういう彼に殺されながら、目が覚めるのだ。


 当然、目覚めは最悪だ。汗は滝のように流れ、心臓は爆発するのではないかというくらいに騒ぎ立てる。体は生きることを放棄し、最低限の活動しかしない。


 案外、食わなくても生きていけるものだ。自嘲気味に、そう思った。実際、ここ数日間の間に、私は固形物の類を一切食べていない。ただ、母から強制的に飲まされる水と、ゼリー状のものを言われたまま飲み込むだけだ。


 起きて、苦しくて、逃げるように寝て、逃げた先も地獄で、また起きる。励をこんなにも長期間の間、摂取しなかったのは初めてのことである。彼を欠乏した私は、ただ息をするだけの肉に慣れ果てるのだった。今更ながら、励の優しさがフラッシュバックして、私をまた苦しめる。


 そんな地獄の毎日に、ほんの小さな蜘蛛の糸が垂らされた。微かな、けれど確かに励のものだ。それは、私を瞬く間に突き動かした。もう、一秒だって待っていられない。最低限の着替えと用意だけして、私は家を飛び出していった。


 お母さんとお父さんは幸いにも、私の脱走に気が付かなかった。どんどん暗くなる道を進み、目的の場所に向かう。彼からの連絡に記されたそこは、私と彼の思い出の場所だ。


 「励……どこ……?」


 励との思い出の場所、寂れた廃神社に着いた頃にはもう日は沈んでいて、辺りは真っ暗だった。月も雲に隠れて、その光を隠していた。私は泣き叫ぶように彼の名前を叫び続けた。


 「励! どこなの!? いるなら返事してよ!!!」


 暗示なんてすっかり解けて、顔はもうぐちゃぐちゃだ。励を失った私は、暗示の力を上手く使えなくなっていた。それは、自分すら騙せなくなった証なのだろう。自分を律することの出来ない私にとって、励という柱を失った私は無力だ。


 「励……あなたがいないと、私は生きていけないよ……」


 一度期待した分、それが奪われた時の絶望は筆舌に尽くしがたい。今までだってどん底にいるような精神状態だったのに、底の更に底まで突き落とされた。私の心は完膚なきまでに粉砕された。もう、二度と戻らないのではと感じるほどに。


 その時、雨が降ってきた。ポタポタと私の頬を伝う雫は、いつの間にか土砂降りの雨に変わった。どん底よりもさらに下の私にはお似合いの姿だ。もう、このままどこまでも落ちていきたい。彼がいない世界に、これ以上存在していたくないのだ。


 その時、私の体を誰かが包んだ。暖かくて、優しくて、私の大好きな人。ずっと追い求めていた、その人、私の眷属こいびとである励がそこにいた。


 「れ……い?」


 「遅くなって、ごめん……一瞬でも迷った僕を、許してくれ」


 私が作り上げた妄想の産物ではないかと疑って、励の名前を呼ぶ。だって、彼はおかしなところがいくつもあったのだから。どうして、そんなに苦しそうな顔をしているの? どうして、私を抱くその手は震えているの? どうして、あなたの体から私以外の臭いがまとわりついているの?


 雨の中、私たちはその存在を確かめ合うかのように絡みついていた。彼の声が、彼の匂いが、彼の心臓の音が、全て私を塗り替えていく。まるで、剥げたペンキの上に新しいものを塗るような、不思議な気分。私は、またもう一つ彼で塗り替えられてしまったのだ。


 「白芽、僕を許してくれなんて言わない。一生恨んでくれていい。それでもっ……それでも、僕は僕のエゴを貫き続けるよ」


 「一体、何を言っているの? 何だか変だよ」


 私の体はこんなにも歓喜を溢れ出しているのに、どうして心がざわつくのか分からない。何故、そんな表情を浮かべるのか分からない。励が励で無くなってしまったかのような感覚。私はそれを、心の奥底で感じ取っていた。


 「白芽には、これから酷いことを言う。君は、それに納得できないかもしれない。むしろ、それが正常なんだと思う」


 分からない。励が私に酷いことを言う? そんな訳はない。だって、彼はいつだって優しくて、私を想ってくれて、私を第一に考えてくれていた。


 「僕は、皆を幸せにしたい。そのために、僕は白芽を一番に考えるのを辞めるよ」


 そんな彼が、どうしてそんなことを言うのだ? なんで? どうして? 私を一番に考えてよ。私だけを見てよ。霞やあなたを奪った泥棒女でもなく、私を愛してよ。私をあなたの一番にしてよ。


 「そんなの、認めないっ!!!」


 彼を突き飛ばして、マウントを取る。馬乗りになった状態では、弱った私でもこちらに軍配が上がるはずだ。しかし、予想とは裏腹に彼は抵抗することは無かった。私をただじっと見つめて、されるがままになっていた。


 やめて、そんな眼で私を見ないで。どうして、あなたの瞳は私で一杯になっていないの? どうして? どうして? なんで? なんでなの?


 「僕は……白芽を幸せにしたかった。でも、それだけじゃなかったんだ。僕は、何よりも僕自身が幸福になりたかったんだ」


 やめて、やめてやめてやめて!!! そんなこと、知りたくなかった。知ってしまったら、私は自分の失態を認めなくてはならないから。だから、もうやめて……!


 私は彼に救いを求めた、求めてしまった。彼は私を助けた、助けてしまった。きっと、その時からおかしくなってしまったのだろう。それを、私も励も見ない振りし続けた。蓋をした。もう、どうしようもないことだと諦めたはずだ。


 今更、それを反故にするの? あなたは、私の眷属こいびとなのに、私よりも自分を優先するの? 私はいつだって励を第一に考えているのに、あなたは私を一番に考えてくれないの?


 「白芽を幸せにしたい、霞を幸せにしたい、凛子を幸せにしたい。そこに嘘偽りはないよ。けど、やっぱり僕は他人のために自分を犠牲に出来ない。結局、僕は僕のためだけにしか生きれないんだ」


 「やだ、やだよっ……!」


 そんなの、嫌だ。励は私を一番にしなくてはいけない。あなたがいなくては、私は生きていけないのだから。その代わりに、私も励に尽くし続ける。この身を全て捧げて、永遠にあなたと共にいる。それでいいじゃないか。側室も愛人も要らない、最後には私だけが残ればいい。


 「だから、白芽。僕は、僕の幸せのために君たちを愛する」


 「っ……」


 あぁ、駄目だ。励はおかしくなってしまった。きっと、攫われたせいだろう。私が傍に居なかったせいだ。失敗した、失敗した、失敗した。失敗失敗失敗失敗。


 ならば、もう失敗しない。


 「がっぁ……!」


 「そんなの、許さない……! 私だけを愛してよ! 私だけを見てよ! 私を、励の一番にしてよ!」


 彼の首を絞める。霞の時とは違うのだ。あれは、彼を守るための妥協に過ぎない。メリットが多かったから、霞は許されただけなのだ。しかし、泥棒女から励を守れなかった以上、もう霞に励を渡す必要もない。もしかしたら友達になれるかもと思ったけど、私は励を選ぶよ。


 泥棒女にはもっとくれてやる気などない。こいつのせいで、励は私の優先順位を下げてしまった。もう、誰にも励に触れさせるものか。永久に私と共に過ごすのだ。私と共に、終わりの時まで腐り続けるのだ。


 「このっ……勝手なことばかり、言うな!」


 「なっ!?」


 励が、私に反論した? そんなはずない。いつも、励は私の意見を尊重してくれたのに。どうして、どうしてどうしてどうして!


 「駄目なんだよ……! 白芽だけじゃ、僕は幸せになれないんだよっ……」


 「なに、それ」


 私の眷属こいびとなのに。私が最初に励を好きになったのに。私のことが好きなのに、他の女とも関係を持つの? 自分の幸せのために、私の愛情を利用するの? そんなの、おかしいじゃないか。


 「白芽がいないと駄目で、白芽だけでも駄目なんだ……! 僕は、そういう人でなしなんだよ……!」


 「私だってっ……!  私だって! あなたの一番じゃないと満足できない! あなたの一番じゃなきゃ、幸せになんてなれない!」


 どっちが正しいとか、正しくないとかはあまり関係なかった。私たちは、結局自分の幸せのためにしか行動できない。誰かに優しくするのも、誰かを愛するのも、巡り巡って自分のためにするから行うのだ。一見、損得勘定無しで行動していると思われても、そこには必ず意図がある。自分のため、お金のため、未来のため。人はどこまでも強欲だ。


 人じゃない私たちも、そこは同じだった。励は人でなしで、私は人外。言葉だけで通じ合うことなど不可能だったのだ。論理も説得力もない我の通し合い。それこそが、私と励には相応しい。


 「白芽を愛してるっ! けど、それと同じくらい霞も凛子も愛しているんだ!」


 「うるさいっ! そんなの信じられない! 私だけを愛してくれないと信じることなんて、出来ない!」


 雨がびちゃびちゃと大地を濡らす中、私たちは取っ組み合いの喧嘩をしていた。励と喧嘩するのは、これが初めてだ。互いに罵倒を浴びせ合い、獣のようにぶつかり合う。貧弱な励がボロボロになるばかりで、私は全くの無傷だ。お互いに不満をぶつけあいながら、数十分が経った。


 だが、励は諦めない。何度転がしても、突き飛ばしても、その眼を私に向け続ける。感情が揺れ動くのが分かった。私は、自分勝手に励を振り回しているだけなのか? 励の幸せは、私の幸せでは無かったのか?


 もう、分からない。どんどん力が抜けて行って、私は励の胸の中に飛び込んでいった。冷たくなっても、やはり命を感じる励の胸の中。自分でもどうしたいのか分からないのだ、一体どうすればいい。


 「白芽……必ず君を幸せにして見せる。これが間違ってても、不誠実でも、僕はきちんと責任を持ち続ける。どうか、僕を信じてくれない?」


 「分からないの……励を信じたいのに、愛されていないと信じられないの。なのに、本当に励が私を愛してくれているのかも、分からない」


 矛盾だらけだ。励が好きなのに、信じられない。励から愛されていないと信じられないのに、愛されていると信じることに確信が持てないのだ。本当にどうしようもない。


 「じゃあ、白芽。今はまだ僕を信じなくてもいい」


 「え……?」


 励から抱きしめられる。お互い、雨に打たれて体温は下がり切っている。だと言うのに、その温もりはこれまでの抱擁のどれよりも暖かくて、安心できるものだった。


 「いつか白芽が、僕を信じられるように君を愛し続ける。もう二度と、白芽が信じられないなんてことが無いくらいに、幸せにして見せる」


 「本当……? 本当に、約束してくれるの?」


 弱く弱くて、励がいないと生きていけない私。どこまでも矛盾していて、わがままで自分本位な非人間。そんな私を、本当に愛してくれるの? こんな醜い私を、幸せにしてくれるの? 励の一番じゃなくちゃ信じることの一つも出来ない私なのに、共に歩んでくれるの?


 「白芽が幸せになってくれないと、僕が幸せになれないからね。白芽の幸せは僕の幸せなんだから、当たり前だよ」


 「ぁ……う、ん」


 頭を撫でてくれる励、本当に大好きだ。この気持ちだけは、疑うことは無い。ならば、いつかは信じられる日が来るかもしれない。私以外も見る励を、いつかは。


 「……じゃあ、指切りしよ?」


 「うん、良いよ」


 昔、まだ私が励のことが好きだと自覚していなかった頃、あの時も励はこうやって約束してくれたよね。例え吸血鬼だろうと友達だって、言ってくれたよね。励は、それを守り切ってくれた。身を挺して私を守って、証明してくれた。


 きっと来る。私以外を愛するあなたを信じられる日が。今はまだ、嫉妬もするし暴走もしてしまうかもしれない。それでも、いつかはきっと。


 雨はもう、すっかり止んでいた。真っ暗闇に綺麗な月が浮かんでいて、その柔らかな光は私たちを祝福するかのように、輝き続けている。


 二人の声が重なる。それは約束の合図。どうしようもない私と彼を結ぶ、赤い糸のようだ。私と励は、ようやく分かり合うことが出来たのかも知れない。それはまだ、誰にも分からないことではあるが、しかし確かに一歩踏み出した証だった。

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