第10話 良いこと教えてあげるよ

 怪獣が、その頭を俺らのクラスの窓目がけてぶつけた。もうガラスはないので割れる音はしないが、ゴツッという鈍い音がガラス越しにここまで聞こえてきた。そして、それを何度も続けている。


「なんでウチらのクラスばっかり……!」


 流介がうめくように呟いた。


 屋上にスタンバってた野球部が、奴目がけて水風船を投げつけたのが見えた。次々と水風船が巨体に命中する。ほぼ百発百中だ。的がデカいというのもあるが、さすが野球部というべきか。水風船を投げつけられた巨体はヌラヌラと黒い液体に濡れていく。水風船の中身は灯油だ。ウチの学校は冬はストーブを使うから灯油がある。さすが田舎のローテク高校である。ちなみに水風船は文化祭で風船すくいの出し物をするクラスに提供させた。


 次に、弓道部が野球部に変わって前に出てくる。矢の先端には火が着いている。火の着いた矢が、巨体目がけて一斉に降り注ぐ。瞬時に、奴の体が炎に包まれる。これが、七瀬の父ちゃんが考案した作戦だ。


 火を放たれた怪獣は苦しそうに体を大きくくねらせた。その動きは、おぞましいと表現するのがぴったりだった。


 再びフォーメーションが変わり、野球部が前に来た。火の着いた巨体目がけて、尚も灯油入り水風船を投げつける。更に奴の体の炎が燃え上がる。


 火は主に頭から肩にかけて回っている。だからまるで、赤いトサカか、極楽鳥などが持つ羽飾りのようだ。奴は火を消そうと、地面を転がる。野球部は容赦せず、尚も水風船を投げつける。野球部にしてみれば奴は近藤の仇だ。


 そして、更に追い打ちをかけようと、弓道部が火のついた矢を……撃たない。おい、どうした? すると、攻撃が止んだ隙に奴は校庭横の、正門前の川から湖に流れ込んでいる支流へと飛び込んだ。


「何……、やってんだよ!」


 あのまま攻撃を続けていれば、とどめを刺せたかもしれないのに。


「ちょっと、後頼む」

「あ、太一!」


 俺は我慢できず、放送室を飛び出していた。




 屋上に着くと、怒声が入り乱れている。見ると、七瀬だった。弓道部員の女子と掴み合いのケンカをしている。


「ちょっ! 七瀬!」


 慌てて止めに入る。七瀬の指から弓道部女子の髪の毛を離させる。少し抜けてしまったかもしれない。


 周囲を見ると、ホースが投げ出されたまま転がって、まだ水が出ている。弓道部の女子の何人かはずぶ濡れである。そして、野球部も何人か濡れ鼠である。


 怒りを露わにしている弓道部(主に女子)、反対に一定の成果を上げたことに対して高揚している野球部(直接近藤の仇を討つことができたためだろう)の他、困ったような顔で怒っている連中をなだめる弓道部顧問、泣き出さんばかりに部員を労う野球部顧問など、今や屋上は感情のカオスになっている。なんだか俺の怒りが削がれてしまった。


 とりあえず、七瀬を屋上から引っ張り出す。弓道部女子はまだ怒り狂って七瀬を罵倒しているが、無視して昇降口へ入った。




「何やってんだよ!」


 七瀬の肩をつかみ、廊下を進む。校内はまだビカビカ作戦が続けられている。曲はYOASOBIに変わっていた。曲名は知らないが、流介らしい選曲だ。


 七瀬から大体のあらましを聞いた。弓道部が攻撃をやめたのは、やはり七瀬のせいだった。野球部と弓道部の連携攻撃の最中、七瀬は屋上に現れると、やおら備え付けてある水道にホースを付け、矢の火を次々消してしまったそうである。それで弓道部の連中、主に女子部員と乱闘騒ぎになったとか。相手は体育会系の女子、一方七瀬も気が強い。強すぎると言っていい。女子でも殴り合いになったそうだ。しかも部員である。学校中の女子は普段から七瀬を快く思っていない。その鬱憤も爆発して、ここぞとばかりに殴りかかったのだろう。


 七瀬は俺の幼馴染だ。他の女子たちよりも、正直思い入れみたいなものはある。しかし、今回ばかりはハッキリ弓道部女子に肩入れする。


「もうちょっとで誠の仇がとれたのに! お前だって、仇とりたいだろ!」

「誠は死んでないよ」

「なんなんだよもう! からかうのもいい加減にしろ! 俺だって、信じたくねぇけど、実際、あいつはもう一年も帰ってきてねぇじゃねえか! あのデケエ奴が誠を食ったんだよ!」

「……誰がそんなこと言ったの?」

「おまえの親父だよ」


 七瀬は、フッ、と笑いを漏らした。堪え切れず、といった感じ。


「……何がおかしいんだよ?」


 俺が気色ばんでも、意に介さない。それどころか、あっさり言い放った。


「嘘だよ、それ」

「……え?」

「誠はね、強くなったよ。だって、あいつがそう望んだんだから」

「……何言ってんの?おまえ」

「太一……、あの危険生物、あれ、ウチのお父さんが作った、って言ったら、信じる?」

「え?」


 唐突にそんなことを言いやがった。今日はみんな、唐突すぎる。ただ、そういえば、七瀬の父ちゃんは、以前は遺伝子を専門に研究していた。


「……そんなことって、できるの?」

「できるわけないじゃん」

「なんだコノヤロー! 真面目に話してんだよ俺は!」


 全くわからん。今日の七瀬は、わからない。桐谷以上に、わからない。


「……おまえ、誠のこと、好きだったんじゃねーのかよ? なんで、仇討ちの邪魔したんだ!」


 七瀬は不思議な生物でも見るかのように、しばし俺を見た。


「……男って、わかってないなぁ」

「え?」


 突然、電気が消えた。ブツンッ、と機械が止まる音が余韻を引いた。


「あ……!」


 音楽も消えた。静寂に包まれた。明滅がなくなり、闇に包まれた。ここは山の中なので、一切の光がない、本当の闇だ。一瞬、感覚がなくなったように思われた。距離感や高低感がわからない。さっきまで見えていた七瀬の顔どころか、体も闇に溶けてしまった。よく耳を澄ますと、だんだんと、七瀬の規則正しい息づかいが聞こえてきた。そして、遠くの方から不安や恐怖の声が聞こえ始めてきた。


「なんで、こんな時に停電……!」


 スマホを出して明かりを点ける。黒い世界に青白い光が灯る。時間を見る。


「あと五分しかねぇ……」

「何が?」

「近藤を迎えにくる船の到着時刻だよ!」


 このまま船が来れば、またあの怪獣に壊されるかもしれない。そしたら、万事休すだ。


「ふーん……。太一、」

「え?」

「近藤、助けたい?」

「当たり前だろ!」


 正直、近藤とは全然話なんかしたことないし、大した思い入れもない。だが、心の底から、そう思ってしまうのだ。


「じゃあ、良いこと教えてあげるよ」

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