第9話 逃げちゃダメかな?
「え……!」
桐谷は固まった。そりゃ固まるか。
「七瀬じゃなくてさ、誠にさ。そしたら、七瀬、怒った怒った。なんで私じゃないの?って。マコちゃんは……、誠のこと、その時俺らそう呼んでてさ、マコちゃん男なのに!って。俺も今はなんでそんなことしたのか、もうよくわかんないんだけど、誠ってその時は女子よりも可愛かったりしたからさ、そんで、一番可愛い子、ってことでプロポーズ……。どした?」
「え? あ、あぁ……」
桐谷は、俺を食い入るように見つめていた。なんだか怖かった。
「そうか、おまえ、誠にプロポーズか……。誠は、なんて?」
「え? あいつは、笑ってたよ。爆笑してたな」
「へぇ……。そうか……。うん、いいんじゃないか。うん。笑えるよ」
桐谷は全然笑ってなかった。
校内放送が流れた。一時間後、近藤を病院へ運ぶため、臨時で船が来るらしい。俺も乗っけてってくれないかなぁ、と不謹慎にも思ってしまった。
辺りはすっかり暗くなった。正門前の川もよく見えない。残照もほぼなくなり、空と山の境目もあやふやになってきた。そんな中、学校だけがぽっかりと光に包まれ、また闇に戻る。その繰り返し。放送室のミキサーには俺のスマホが繋がれている。校内には「移民の歌」が流れている。曲は何でも良かったが、どうせなら好きな曲がいい。そのリズムに合わせて光が明滅する。
俺と流介は放送室で、窓越しに校庭を眺めていた。一種異様な光景だが、どことなく壮観でもあり、何か、音フェスのようですらある。皮肉にも、文化祭が一足早くやってきたような感じだ。
予定通り、ビカビカ作戦(俺は勝手にそう呼んでいる)は実行された。各クラス、廊下、トイレなどなど学校中のあらゆる照明が明滅を繰り返す。その際、明滅が揃うように、音楽を流して二拍毎に点けたり消したりを統一することになった。その音楽を流す係を七瀬の父ちゃんに頼まれた。一人じゃアレなので、流介に一緒に来てもらった。
校舎が明滅するのを眺めながら、俺たちは「配給」された購買部のおむすびとお茶のペットボトルで、ちょっと早めの夕食をとった。
放送室はL字型になった校舎の付け根部分にある。だからちょうど学校の真ん中ら辺になるので、校庭も含めて学校の表側全体が見渡せる。ウチの学校は三階建てで、学年が上がる毎に使う教室も階を上がる。一クラス大体二十人ちょっとで、それが各学年三クラス。全校生徒は二百人にちょっと足りないくらいの小さな高校だ。
明滅係の中には、リズム感が悪い奴もいて、そいつの担当のところだけズレるのが、ここからだとよくわかる。「あそこ誰が担当してんだ?」って、流介と笑ったりしてた。逆に、無駄に絶妙にリズム感の良い奴がいたりして、「あいつファンキーだな」とか言って、そこは逆に笑えたりした。
そんなことしている間に船が来るまであと十分ほどとなった。今のところは特にこれといった動きはない。このまま怪獣が来なければ、無事に近藤を船まで運べる。来たとしても、姿が見えれば、なんとか対処できるかもしれない。でももちろん、このまま現れてくれないといいと思う。しかしその一方で、退治したいという気持ちも、正直ある。
「可哀想じゃない?」
「可哀想じゃない。おまえ、誠の仇討ちたくねーのかよ」
巨大生物を殺すことについて、流介と議論になった。
「殺さなくちゃダメなの?」
「誠の仇だからな……。かもしれないからな」
「太一にとって、誠はそんなに大事なんだ」
「当たり前だろバカヤロー」
「でも、誠はどう思ってるかな」
「……どういう意味だよ?」
「誠は結構、太一の悪口言ってたよ」
俺は、言葉が出なかった。
「例えばさ、ほら、太一が桐谷の腕、折っちゃったことあったでしょ?」
「脱臼だ」
「あの時、手柄を取られたって、怒ってた」
「手柄……?」
「太一が来る前に誠と桐谷が喧嘩してたんでしょ? あの原因って、桐谷が葉月さんの気に入ってた筆箱壊しちゃって、泣かせたからなんだって」
「へぇ……」
そうだったのか。誠が一方的にやられていたのは覚えていたが、七瀬が泣いてたのは覚えてなかった。
「誠にしてみれば、それこそ仇をとるつもりだったんだろうね。でも逆にボコボコにされちゃって。そしたら後から来た太一が桐谷の腕折っちゃったもんだから、」
「脱臼な」
「手柄取られた、って」
「俺、誠を助けに行ったのに……」
「でも、誠言ってたよ。太一みたいになりたい、強くなりたいって」
「俺、別に全然強くねーけどなぁ。実際あの時も途中まではボコボコにされてたし」
「誠にはそう見えたんじゃない? 誠、体小さくて、喧嘩も弱かったから」
「そうかぁ、誠、そんなこと言ってたかぁ……」
「誠は、太一が誠を大事に思ってるほどは、太一のこと大事に思ってなかったと思うよ」
「それでも……、俺は仇を討つ」
「仇なんか討ったら、余計に忘れられなくなるんじゃない?」
「願ったり叶ったりだ」
「……忘れるのは、そんなに悪いことかな」
「さっきもそんなこと言ったな。……俺は、忘れるのは、逃げることだと思う」
「逃げちゃダメかな?」
「そりゃダメだろ」
「なんで?」
「それは……、俺が忘れたら、もう誠は存在しなくなっちゃうような気がするんだ」
「太一が覚えていたところで、誠はもういないよ。それに、太一が忘れたところで、誠がいたという事実も変えられないよ」
「……言ってる意味がわからねぇ」
「それに、忘れようとしても忘れられるもんかね?」
「そういう小難しいことは、どうでもいいんだよ」
「うあああぁぁー!」
突然、流介がデカい声を出したのでびっくりした。俺をここまでびびらせるとは、流介のくせに生意気だ。その流介が指をさした方を見た。
奴がいた。
あそこは、俺らのクラスのところだ。
明かりが明滅している中、奴は初めて全身を校舎中に晒した。学校中から悲鳴が聞こえる。こっちには背中を向けているので、よくはわからないが、俺らのクラスを覗いているように見える。つまり、クラスの連中は、まともにあの怪獣と面と向かっていることになる。いや、逃げてるかもしれない。逃げていて欲しい。
「なんだよ、アレ……」
流介が泣きそうにそう呟くのも無理はない。俺が泣きそうだったからだ。怖くて。
頭の高さは校舎の二階を少し越えるくらい。こうして見ると、恐竜だ。
二本足で立ち、前傾の姿勢なので、真っ直ぐ立ったら三階を越え、屋上に届くかもしれない。そういった意味で、屋上の連中が心配だ。足は太く、形としては鳥の足に似ている。
その足に比べると、腕は大きくはない。しかし、肩が発達していて、それが異様に目立つ。両腕はぴったりと脇に付けている。
背中には湖で見た時と同じ大きな背びれがある。やはりバショウカジキの背びれに似ている。
そして目が行くのが尻尾だ。極めて長い。胴体部分と同じか、下手すりゃそれ以上あるかもしれない。四角く、太く、先に行くに従って、縦長になっている。背びれからの延長のように突起物が連なっていて、先端に行くほど小さくなっている。ワニの尻尾に似ているかもしれない。尻尾の先端は基本的には地面に着けているが、時折上に上げたりして、体のバランスを保つのに使っているようだ。
その尻尾まで合わせると、全長は教室二つ分くらいは優にある。全体のフォルムの印象としては、デカくて太いカンガルーといったところか。体表はイルカやクジラのようにツルリとしている。水から出てきたばかりなのか、明かりに照らされ、光沢がある。
あんなものがこの一年、俺たちのそばにいたのか? それを思うと、今更ながら震えが止まらない。
その巨体を明滅する光に合わせようとして、徐々に変わっていくのが分かる。これも七瀬の父ちゃんが言った通りだ。しかし、明滅の速度に体表の変化の速度が追いつかない。作戦は、大成功と言っていい。
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