第11話 やめろ

「ごめん!」


 俺は、深々と桐谷に頭を下げた。殴られるのも覚悟していた。


「いや、いいよ。全然問題ねーよ。むしろ、任せてくれ」


 しかし、桐谷は快く承諾してくれた。


「それに、赤本の方が全然危ねぇじゃねーか」

「ありがとう……」

「おう。こっちは任せろ。おまえこそ、危ないと思ったら、すぐ逃げろ」

「うん……。じゃ、よろしく……」


 俺は行こうとしたが、きびすを返し、桐谷に向き直った。


「それと、ごめん!」

「え? まだなんかあんのか?」

「……桐谷の夢、ブッ壊しちまって!」

「……は?」


 突然、そんなことを言われた桐谷はポカンと口を開けて俺を見た。そりゃそうか。どうやら今日は、俺も変らしい。


「おまえの肩、脱臼させちまって……。しかもこんなタイミングでごめん……。ついで、ってわけじゃないんだ。言わなきゃいけなかったんだけど、怖くて……。今なら、勢いで言えると思って……」

「あ……、あぁー。今更すぎだな、おまえ」


 桐谷は爆笑した。しばらく笑ってた。


「いいって、それはもう。それに、ピッチャーは元々結構限界が見えてて。かえって、バッターに専念できて良かった」

「……本当に?」

「あぁ、それは本当なんだ。それに、実は俺、本当は、あの時誰かに殴って欲しかったんだ」

「え? なんで?」

「えーっと、まぁ、その話は、ことが終わったら話すよ。今はそんなことしてる場合じゃねーだろ。早くしないと、船来ちまう」

「あ……、あぁ、そうだな。じゃ、ごめん、よろしく!」

「おまえ、謝ってばっかりな」


 桐谷はまた、笑った。




 グランドへ向かった。


 あの巨大生物は今どこにいるだろうか。物音一つしない。しかも停電からはまだ復旧しておらず、保護色以前の問題である。奴がどこにいるのかわからない。川か湖へ戻ったのか、まだ校庭にいるのか。或いは敷地内のどこかか、あるいは……すぐそこか。


 星明かりのおかげで校庭にある用具の形くらいはわかった。スマホの電気を点けたら、俺がここにいるって奴に知らせるようなもんだからできない。でも、元々どこに何があるかはわかっているから、キャンプファイヤーはすぐに見つかった。闇の中、黒々とうず高く井桁型に組み上げられたキャンプファイヤーは、ホントに呪術の道具のようだ。俺は組み上げられた木に引っかかっている導火線を手探りで見つけた。それを引っ張って地面に伸ばし、本体からある程度の距離を取る。そして桐谷からもらった灯油入り水風船を三つ、キャンプファイヤー目がけてぶつけた。こうすれば、一気に火が回るだろう。


 川の方から、船が遡上してくる音が聞こえた。すぐに、俺の背後で走る音がする。体育の先生、野球部の有志など、力自慢が近藤を担架で運んでいく。


 担架が移動する時を見計らってキャンプファイヤーに火を点ければ、束の間明るくなり、怪獣が校庭にいたら、その姿を見ることができる。見えないより、見える方が危険度はわずかばかりだが下がる。それに、保険とはいえないような保険もかけてはいる。


「ここだー!」


 校舎屋上から桐谷が両手を振って叫んだ。桐谷は数本の非常用のサーチライトに照らされて、ここからでもその姿がよくわかる。


 七瀬が言うには、この怪獣は桐谷を狙っているらしい。


 思い当たる節はある。怪獣が襲ったのは、俺らのクラスと体育倉庫。両方とも桐谷と関係がある。クラスは桐谷も一緒だし、体育倉庫には桐谷がいた(あと七瀬も)。近藤が襲われたのは、似た体格の桐谷と見誤ったのかもしれない。


 七瀬の父ちゃんが言うには、一年以上もこの近辺にいるのに誰も襲われていない。それなのに、桐谷と関係のあるところばかり、今日は立て続けに襲われている。どういった理由で桐谷を狙っているのかは、わからない。七瀬の話にも根拠はない。しかし、妙な符合はある。


 だから、桐谷を囮に使い、怪獣が桐谷に目を奪われている間に、近藤を船に乗せ、病院へ運ぶという作戦だ。体の良い生贄である。だから、最初桐谷にこの作戦を申し出る時は怖かった。普通に殴られると思った。でも、桐谷は快諾してくれた。恩に着る。


 俺は桐谷に借りたライターで導火線に火をつけた。なぜ高校生がライターを持っていたのかは、不問とする。


 火は赤い点となって導火線を突っ走り、あッという間に本体に到達した。井桁の隙間から炎が舌を出したかと思うと、組み上げられた木を一気に駆け上がり、赤々と校庭を照らした。


 音もなく、巨体が目の前に現れた。すぐそばにいやがった。


 何だ、これ?


 さっき、後ろ姿を見た時は恐竜だと思った。


 二本の脚、角張った肩、そこから伸びる腕、発達したオトガイ、小さいながらも側頭部に生えている耳。


「人間じゃねぇか……」


 そして何よりも目だ。白目がある。だからどこを見ているのかよくわかる。俺を見ている。


 やばいと思った時にはもう、口の中だった。


 七瀬はこうも言っていた。


「でも、太一も油断しない方がいいよ」


 頭から喰われた。腹と背中に激痛が走り、粘膜が顔と言わず手と言わず、まとわりつく。魚が腐ったような生臭さが周囲を満たす。水の中に入ったように音が遮断された。足が地面から勢いよく離れるのを感じた。それと同時に腹と背中の痛みも増した。そしてその勢いのまま、宙へ放り投げられるのがわかった。目を開けると、空中で一回転し、地面が見えた。ヒトのような怪物が火だるまになっているのが見えた。


「やめろ」


 そう言いたかったが、言葉にならなかった。


 何か、やけに世界がゆったりと動いているように感じられる。あぁ、このまま一番高いところまで上がった後、地面に落ちるんだなぁ、と妙に冷静に思った。目をつむった。すると突然、体中に激痛が走った。思ったよりも全然早く地面に叩きつけられた。あれ?と思うと、周りの景色が真っ白になった。

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