第38話 着替え
「それで、ここはどこなの? あんたはいろいろ慣れてる感じだったし、今度は知ってる場所なんでしょ?」
俺の懐事情を一切慮ることなく注文したステーキを頬張りながら、金髪碧眼の少女が当然といえば当然の疑問を口にする。
俺にとっては特筆すべき点など何もないいつもの光景だが、少女から見たこの場所は七年後の未来であり、今いるファミレスだって確か七年前にはまだなかったはずだ。
先程と違って空間の歪みがない分、あまり異常性を感じてはいないようだけれど。
彼女からすれば気にならないはずがない。
「まあ、簡単に言えば未来だな」
「……一応聞くけど、それって本当のこと? あんたの考えた空想とかじゃなくて?」
「違うに決まってんだろ。ほら」
俺がスマホのカレンダーを見せてやると、少女は西暦の数字を暫し呆然とした表情で眺めてから深々とため息を吐きだした。
「意味わかんない。何で、私がこんな所にいるの」
少女は納得いかないとばかりに声を上げたが、その顔に浮かんでいる表情はそう機嫌が悪いようには見えない。
というか、俺に先導されてのこととはいえファミレスで呑気にステーキを食べている時点で、少女にはある程度余裕が戻っているのだろう。
それが自分のおかげである、なんて己惚れる気はないけれど。
財布に残ったなけなしの財産を使って注文したステーキが多少なりとも彼女の心の安定に寄与しているというのなら、まあ出費のかいはあったということにしておこう。
◇
明日が休日の土曜日であるというのも少なからず影響しているのだろうけれど。
何とも都合のいいことに、俺の両親は父親が趣味の写真撮影のため朝日が綺麗だという山の麓にある宿へ、そして母親は従妹と温泉旅行に出かけている。
つまり、今の我が家に残る住人は俺一人であり、たとえ誰を連れ込んだとしてもバレることはないわけだ。
「というわけで、遠慮せず寛いでいいぞ」
金髪碧眼の少女を自宅に招き入れ声をかけると、彼女は暫しリビングに置かれた家電を見回してからつまらなそうに息を吐き出した。
「何て言うか、未来とか言ってた割には大して変わり映えしないんだけど」
「未来と言っても七年だからな。スマホの世代とか流行りの音楽とか、変わってるもの自体はそこそこあるけど、SFに出てくるような立体映像だの空飛ぶ車だのはまだまだ先の話だ」
少女は未来へやってきたにも関わらず目に映る景色に大きな違いがないことがつまらないようだけれど。
仮に原型を留めないレベルで様変わりしていた場合、それはそれで混乱して面倒なことになっていただろう。
「まあ、とりあえずゲームでもするか? バーチャルリアリティとはいかないけど、七年前よりはグラフィック綺麗になってるぞ」
俺が七年前にはまだなかったゲームハードを用意しながら尋ねると、少女は興味を引かれた様子で未知のハードを見つめていたが、やがて緩やかに首を横に振った。
「やめとく。今は、ゲームより帰る方法を考えないと」
少女の言うことは至極もっともで、俺としても仮に彼女を元いた場所へ帰す算段がないのであればゲームなんかやっている場合ではないと思うけれど。
正直なところ、俺は少女の帰還についてはかなり楽観視している。
「たぶん、それに関しては心配ないと思うぞ」
「心配ないって、何か心当たりがあるの?」
「まあな。お前が本気で帰りたいと思ったら、そのときは俺と手を繋げばいい。そうしたら、お前は元いた場所に帰れる。……少なくとも、俺はそうだった」
最後に小声で付け足した言葉までは聞こえなかったのか、少女は一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべていたけれど。
すぐに俺の言ったことの意味を吟味し始め、暫し難しい顔で考え込んでいた。
「それって、あの訳わかんないぐにゃぐにゃの場所から出たときみたいに、また二人で私が元いた場所に移動するってこと?」
「いや、戻るのはお前だけだ。俺のいるべき……いたい場所は別にある」
俺の返答を聞いて、少女が微かに表情を固くしながら下を向く。
彼女が何を考えているのか、俺にわかるとは言わない。
元の場所に帰り父親と向き合うことを恐れているのかもしれないし、せっかくやってきた未来をもっと見て回りたいと思っているのかもしれない。
ほんの少し、小指の先くらいであれば、俺との別れを惜しんでくれている可能性だってある。
だが、どういう決着を見るにせよ、彼女にとって父親は決して放り捨てることのできない大切な存在だ。
重さに耐えきれなくなって一時的に逃げ出すことはあっても、永遠に関わらないでいるなんて選択肢は他の誰でもない彼女自身が許さないだろう。
「風呂のお湯入れてくるから、好きなときに入れよ」
余計なお節介かもしれないけれど、一人の方が気が休まるということもあるだろう。
俺がそう思って部屋を出ようとすると、後ろから服の裾を引っ張られるのがわかった。
「……着替え」
気を効かしたつもりだったが、一人では心細さの方が勝るのだろうか。
そんな見当外れの心配をしている俺に向け、少女が完全に予想外の単語を口にした。
「着替えって、風呂入った後のか? それなら、体操服着ればいいだろ」
ランドセルにぶら下げられていた体操服入れと思しき物体を指差す俺に向け、少女が少しだけ顔を赤くしながら首を横に振る。
「替えの下着、ない」
なるほど。
言われてみれば納得ではあるけれど。
それはつまり、俺に買えということか?
女児用の下着を買うため、俺にレジに並べと?
ただでさえ寂しい財布の残りが更に減ることと、男子高校生が女児用の下着を買い求めるという絵面が発生すること。
その二つが織りなす相乗効果によって一気に気が重くなってきたけれど。
冷静に考えれば、世の中には娘の下着を買い求める父親なんて幾らでもいるだろう。
だから、俺がこれから少女の下着を買いに行くことも何らおかしくはない……はずだ。
「仕方ないから買いには行くが。……お前、絶対に俺から離れるなよ」
少女が迷子になることが心配だから、では当然なく俺が女児向けの下着コーナーに一人取り残されるという事案が発生することへの恐怖から少女には離れることがないよう念押ししておく。
というか、いっそ買い物の際中は手でも繋いでおくか。
そうすれば、たぶん兄妹か何かに見えるだろうし、俺が変な目で見られることもないはずだ。
「じゃ、さっさと行くか」
差し出した手を思いの外すんなり握った少女と共に、目的地へ向け歩き出す。
財布は軽く、心は重い。
まったくロクでもない状況ではあるが、元を正せば少女を助けると言ったのは俺なのだし文句を言っても仕方がない。
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