第39話 最後にジュースを


 世のお母さん方に囲まれながらもなんとか少女の着替えを買い風呂にも無事入り終わった今、時刻は午後十時を迎えた。

 

 俺の感覚で言えば眠るには些か早いが、少女は小学生だ。

 今日はいろいろあって疲れているだろうし、そろそろ就寝した方がいいかもしれない。


「そろそろ寝るか」


 少女に告げてから、俺の部屋に来客用の布団を持っていきそれをベッドの横に敷く。


 寝る部屋を別々にすべきかどうかは少し悩んだけれど。

 少女の置かれている状況は何だかんだでかなり特殊なものだし万が一、二号やそれに類似した現象が発生した場合のことを考えるとなるべく彼女からは離れない方がいいだろう。


 それに、恐らく明日には少女は俺の前から去り本来あるべき場所に帰っていく。


 だから、その前にもう少しだけ話がしたい。


「涼音、今から言うのは独り言みたいなもんだし、眠かったら無視して寝てもいいからな」


 布団に転がり天井を見つめながら、ベッドで横になり寝ているんだか起きているんだかもわからない少女へ声をかける。


 俺が独り言と前置きしたからか返事はこないけれど、まあちょうどいい。


 今からするのは真面目に聞くような話でもないし、寧ろ夢現で聞き流すくらいが似合いだろう。


「俺は自分の下らない見栄のために一番仲のいい友達から大切なものを奪っておいて、それでも懲りずに逃げ回ってるようなロクでもないやつだ。だから、頼りにしろなんて言っても説得力ないだろうけどさ」


 話しながら、何だか少しおかしくなってくる。


 小学生の彼女は二号のことさえほとんど把握していない。

 それなのに、俺の懺悔染みた台詞を聞かされたところで意味がわからないだろう。


 それがわかっていてこんなことを話している辺り、俺は自分で思っていたよりも彼女に甘えているらしい。


 我ながら情けないことこの上ないが、涼音相手ならまあいいかと思えてくるのだから全くどうしようもない。


「それでも、俺はお前と一緒ならセカイを変えられると思うから。いつかまた会ったら、そのときは俺が逃げないように捕まえといてくれ。代わりに、俺もお前が逃げないようちゃんと手を握っとく」


 少女は既に寝てしまっているのか、先程から身じろぎの音一つ聞こえてこないけれど。


 とりあえず、言いたいことは言えた。


「涼音、おやすみ」

「……おやすみ」


 独り言のつもりで発した言葉に返事が返ってきたのに驚いて、思わずベッドの方へ視線を移す。


 少しだけ、彼女が今どんな顔をしているのか確かめたい気もするけれど。


 少女はこちらに背を向けており、その表情は伺うことができない。


 きっと、少女と俺は同じ場所にいてもまるで違う方向を向いているのだろう。


 もし互いの道が交わるときが来るとすれば、それは少女にとっては何年も先の話で、それまでは俺が何をどうしたところで少女の日々が変わることはない。


 たぶん、少女にとっては思い悩むことの多い日々なのだろうけど。

 今は、それでもいいのだと思う。


 その果てに藍川真夏と戸滝涼音の出会いがあるのなら、今はそれをなかったことにしたいとは思わない。

 


 ◇

 


 少女の起床時間は俺より幾らか早かったらしく、俺が起きたときには既に着替え終わっていた。


「ん、まだ六時か。今日は休みだしこんな早く起きなくていいんだが」


 別に早起きする理由もないのだけれど、少女が起きているのに俺だけ惰眠を貪るというのも気が進まないので欠伸を噛み殺してから体を起こす。


「おはよう」

「おはよ」


 ベッドを椅子代わりにしている少女の声に片手を上げて応えながら、洗面所を目指して歩き出す。


 さて、昨日はまるで考えていなかったけれど朝食はどうしたものだろうか。


 別にコンビニで買ってきてもいいのだが、いい加減に財布の中身が危機的状況に陥っているのも確かだし何かあり合わせで作ってみるのもいいかもしれない。


 もちろん、俺に凝った料理などできるはずもないけれど。

 流石にトーストと目玉焼き、後はサラダくらいの簡単な朝食なら俺にも用意できるだろう。



 ◇



「黄身が固い。私、目玉焼きは半熟が好きなんだけど。それから、きゅうりは厚く切り過ぎ。もっと薄くしないと――」

「うるさい。黙って食え」


 不出来な朝食に対する意見は強引に遮ってから、端っこの方が幾らか焦げている目玉焼きを口に運ぶ。


 正直、自分でも美味しいとは思えないけれど。

 俺の残り僅かな財産を守るためと思えば、これも致し方のない犠牲だ。


「ところでさ。私、昨日の神社にまた行ってみたいんだけど、いい?」

「いいぞ。どうせ、他にやることもないしな」


 朝食のクオリティについては諦めたらしい少女が、今度は食後の予定について口にする。


 自分の身に起きた超常現象を解明するための手がかりでも探しているのか、はたまた単純に暇なだけのか。

 少女の胸の内については知る由もないけれど、俺としてもあの場所にいる時間は嫌いじゃないので特に断る理由はない。



 ◇



 神社へ向かう途中にある自動販売機の前で少女が立ち止まり、じっとペットボトル入りのコーラを見つめている。

 

「買わないぞ」


 俺が機先を制して告げると、少女は不満そうに頬を膨らませた。


「いいでしょ、これくらい。たった百四十円じゃん」

「俺の財力を舐めるなよ。そのコーラは俺の財布に残された全財産の約五十パーセントに匹敵する高級品だ」


 懐事情を暴露する俺に向け、少女が白けた目を向ける。


 正直、ATMで金を下ろしてくればコーラ代くらいはどうとでもなるのだけれど。

 ここ最近は外食をすることが多く何かと散財気味だったので、極力余計なことに金を使いたくはない。


「……本当に全然お金ないんだ。まあ、でも、五十パーセントってことは買えるってことでしょ」

「ふざけんな。買えると買うがイコールなわけないだろ」


 俺の言葉もどこ吹く風といった様子で、少女はなおも自動販売機の前から動こうとしない。


「いいでしょ、最後にジュースくらい」


 どうにかして少女を自動販売機から引き剥がさなければ。

 俺がそんな風に考えている最中、何気ない調子で少女が口にした言葉を聞いて少しだけ面食らってしまう。


「最後なのか?」

「うん、最後」

「……ハァ。わかった」


 自動販売機に小銭を入れてからコーラのボタンを押し、出てきたペットボトルを少女に渡す。


「ありがとう」


 俺からコーラを受け取った少女はキャップを開くと口元で豪快にペットボトルを傾け、白い喉を忙しなく動かし始めた。


 どうでもいいけど、あんまり勢いよく飲んでいるとむせそうだ。


 俺がそんなことを思っていると、案の定というか四分の一程ペットボトルの中身が減ったところで少女はペットボトルを傾けるのをやめ激しくせき込み始める。


「動くなよ」


 落ち着いたタイミングを見計らって俺がハンカチで口元を拭ってやると、少女はばつが悪そうに目を逸らした。

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