第31話 無限回目の月夜
「真夏? 今日はいつにも増して辛気臭い顔してるわね。……何かあったの?」
いつもの自販機で朱乃と落ち合うと、彼女は開口一番に俺の様子を心配する言葉を口にした。
一応、俺なりに普段通りを心がけているつもりではあったのだけれど。
そんなに、変な顔をしているだろうか。
「失礼なことを言うなよ。俺はいつも通りイケメンだろ」
「真夏、私は真面目に……」
話をごまかそうとしているのを察して朱乃は眉を吊り上げかけたけれど、俺が黙って首を横に振ると彼女は納得いかなそうにしながらも一端口を噤んだ。
「何よ、私には言えないこと?」
「ああ、言えない」
朱乃が不満気に唇を尖らせ、早足に歩き出す。
「手、今日は繋がなくていいのか?」
「真夏がそういう態度なら繋いであげない」
予想通りの答えが返ってきたところで置いて行かれないよう、肩を怒らせ歩く彼女の背を少し距離を空けながら追いかける。
「そうか。それは残念だ」
「……嘘ばっかり」
本当に嘘なのかは自分でもよくわからないけれど。
少なくとも、安心したのは確かだ。
もしも二号の発生に失敗した理由が昨日涼音の口にした通りのものなら、俺はどういう顔をして朱乃の隣に立てばいいのかわからない。
◇
涼音がクラスメイトから隔意なく普通に話しかけられている。
そんな異常な状況も二日も見ていれば段々と慣れてくるもので、帰りのホームルームが終わり放課後を迎えた頃には長瀬と談笑する涼音を見てもあまり違和感を抱かなくなってきた。
「涼音、とりあえず昨日と同じファミレスでいいか?」
涼音と長瀬の会話が途切れたタイミングを見計らって声をかけると、涼音は眉尻を下げ困ったような表情を浮かべた。
「行って、どうするの?」
「どういう意味だ。解決策を話し合うなり、実験をしてデータを集めるなり、できることは幾らでもあるだろ」
本来なら涼音が率先して口にするであろう事柄に触れても、彼女の表情はまるで変わらない。
「藍川は、私の言ったことが間違ってると思う?」
「……少なくとも、正しいと断言できる根拠はないだろ」
「確かにね。昨日はあくまで私の想像を話しただけだし、正しいとは限らないけど。でも、今日はいいよ」
涼音はそこで言葉を区切ってから、自分の席に座り機嫌悪そうにこちらを睨んでいる朱乃の方へそっと目をやった。
「私が言ったことを確かめたいなら、なおのこと今日は話すべき相手が違うんじゃない?」
「……さあな」
涼音の言うことを真に受けたというわけではないけれど。
彼女がこの様子なら、無理に実験や話し合いをしたところで益はないだろう。
「まあ、藍川君にそんなつもりがないのはわかってるけど。折笠さん的にも二日連続で彼女の自分じゃなく涼音を優先されるのは嬉しくないだろうしさ。ちゃんと部活に顔を出すって意味でも、今日は文芸部の方に行ってみたら?」
俺と涼音の間に流れる微妙な空気を感じ取ったのか、長瀬がいつも通りの口調で涼音と俺が別行動をするよう促してくる。
既にそのつもりではあったけれど、今日は彼女の言う通りにした方が良さそうだ。
◇
久しぶりに顔を出した部活には京香さん、悠、そして朱乃と見慣れた面子が揃っており、読書をしたり動画サイトを漁ったりと各々が好きに過ごしている。
俺としても昨日の夜に電子で買ったとある本を読みたかったので、都合がいいといえば都合がいいのだけれど。
そこに描かれたイラストのことを思うと、少しばかり気が重くはある。
「……っ」
スマホの画面に表示された月明りを浴びる少女の絵を見て、強い違和感を抱き息を呑む。
星見光作のライトノベル、『無限回目の月夜』。
改変が起こる前はもう何度も読み返したし、表紙に描かれたヒロインの姿も数え切れないくらい目に焼き付けてきたけれど。
今俺のスマホに表示されているそれは、当然ながら俺の知っているものとは違う。
元の絵は月明り照らされたヒロインが全てを諦めるかのように瞑目していたのに、スマホの画面ではヒロインが微かに笑みを浮かべ誰かに向かって手を伸ばしている。
元の絵ではヒロインの着る制服は青いリボンのセーラー服だったのに、今表示されている絵ではリボンの色が赤になっている。
別に、今の表紙が悪いわけじゃない。
これはこれで、いい絵だとは思う。
でも、これが『無限回目の月夜』の表紙だと言われたなら、やっぱり一番に浮かんでくるのは違和感だ。
イラストの欄に朱乃のペンネームであるアキノの名が記されていないなんて、俺の知っている『無限回目の月夜』じゃない。
抑えきれない違和感を抱きつつも『無限回目の月夜』を読み進めていくと、所々でイラストはもちろんのこと文章までもが俺の知っているそれとは異なっているのに気がついた。
例えば、主人公を危険に巻き込まないようにするためヒロインが何も言わずに立ち去るシーンでは、本来の展開とは違って主人公がヒロインからビンタされはっきりと別れを告げられている。
全体的な傾向として、ヒロインが感情を表に出す割合が増えているような印象だ。
話の大筋に極端な変化はないし、相変わらず面白くはあるのだけど。
正直、ここまで変わっているとは思っていなかった。
朱乃から聞いた話によれば星見光は最初からアキノのイラストをイメージして『無限回目の月夜』を書いていたらしいけれど、どうやらそれは単なるリップサービスというわけではなさそうだ。
読み終わってからネットで評判を調べてみれば、概ね好評ではあるものの投稿されている感想の数は減り本来あったはずのアニメ化既定路線といった風潮はなりを潜めている。
「……すごいな、本当」
改めて、朱乃の絵が持つ力を実感する。
俺の幼馴染は絵を描くことでいろんな人に影響を与えて、どんどん前に進んでいく。
嫌になるくらい、俺とは違う。
「な、ちょっと!? どうしたのよ真夏!」
朱乃の驚いたような声に反応してスマホの画面から顔を上げると、いつの間にか他の部員三名は全員が揃って俺の顔を見つめていた。
「えっと、どうしたんだ? みんな揃って」
訳がわからず問いかけると、三人は互いに顔を見合わせてから朱乃が少しばかり言いにくそうに口を開いた。
「どうしたって……真夏、自分が泣いていることに気づいてないわけ?」
朱乃に言われて、目元を人差し指で拭ってみる。
すると、そこには確かに水滴が付着しており指でゆっくりと頬をなぞってみれば涙の跡がはっきりとわかった。
言われるまで気づかなかったけれど、どうやら俺は朱乃の絵がない『無限回目の月夜』を読んで泣いていたらしい。
「いや、これは……ちょっと、読んでる本が泣けただけだ」
半分嘘で半分本当の答えを返してから『無限回目の月夜』の表紙が表示された画面を見せると、朱乃を除いた二人は納得した様子で声を漏らした。
「へえ、これそんなに感動するの?」
「無限回目の月夜か。面白そうだし、俺も読んでみようかな」
朱乃だけは怪訝そうな表情を浮かべ俺のことを見つめているけれど、少なくとも京香さんと悠に関しては何とかごまかせたらしい。
幸いにして朱乃も俺の言うことが嘘かどうか判じかねて追及できずにいるようだし、とりあえずは一安心といった所だろうか。
安堵の息を吐き出してから、もう一度『無限回目の月夜』の表紙へ目を向ける。
今ある『無限回目の月夜』だって間違いなくいい作品だ。
そこに疑いの余地はない。
だが、もしも改変前と後、どちらの方がより好きかと聞かれたなら、きっと俺は一切の迷いなくこう答えるだろう。
俺が好きなのは朱乃の絵によって彩られた『無限回目の月夜』だ。
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