第32話 少女と出会う

 二号の影響で俺の劣等感の象徴たる約束がなくなり、涼音は父親と共に暮らすようになったセカイ。

 それは確かに俺たちが望んだもので、実際にそこですごしてみれば幸福と言えるようなものを少なからず感じることができる。


 けれど、仮に俺一人が幸福になったところで、その代償として朱乃が絵を描かなくなるのなら、果たしてその幸福に意味はあるのだろうか。


 誰に対しても居丈高で遠慮することのない涼音が、頻繁に気まずそうな表情を浮かべなければならないセカイが本当に俺たちの望んだものだったのだろうか。


 同じ疑問が頭の中で渦を巻き続け、ふとした拍子に噴出し俺の体を鉛のように重くする。


 俺と涼音が何度手を繋いでも、二号は発生しなかった。

 

 涼音は、それこそが答えなのだと言った。


 あれ程熱心に取り組んでいた二号に関する調査だって、もう一週間以上も手つかずだ。


「あー、クソ」


 モヤモヤとした気持ちを持て余し、思わず声に出してしまう。


 我ながら品がないとは思うけれど、幸いにして俺が今いるのは自分自身の他は誰もいない神社の境内だ。


 多少独り言を漏らしたところで、どうせ誰も聞き咎めはしない。


「結局、二号ってのは何なんだろうな。どうすれば正解なんだ? もし神様あんたがそこにいるなら、教えてくれよ」


 賽銭箱に財布から取り出した五円玉を入れ拝んでみても、当然ながら急に答えが降って湧いてきたりはしない。


 困ったときの神頼みとはよく言うけれど、流石にそうそう都合よくはいかないか。


「ハァ、アホらし」


 現実逃避気味な自分の行動にため息を吐いていると、突如として前方から目を開けていられない程の激しい風が吹きつけてきた。


 咄嗟に腕で顔を覆い風が止むのを待っていると、五秒も経たないうちに風は止み辺りには鳥の鳴き声一つ聞こえない静寂が訪れた。


「あーもう。何だったんだ、今の」


 目を開け辺りを見回してみると境内の中には風に吹かれて落ちたと思しき葉が散乱し、地面を緑に染めている。


 そして、どうやら風の影響で扉が開いてしまったらしく、普段は閉ざされているはずの本殿がその内側を露にし、中の御神体らしき像を晒していた。


「これ、双子の神様とかそんな感じか?」


 御神体は巫女装束を纏った二体の像で、大きさは四十から五十センチ程度。

 二体の像に造形の違いはほとんどないので、たぶん意図的に似せて作られているのだろう。


 また、二体の像は膝を折った状態で向かい合っており、互いに両手を握り合っている。


 俺は散々通っているこの神社の名前すら知らないので、この御神体がどんな神様を祀るものかはわからないけれど。


 この御神体を見ていると、不思議と心が落ち着いていく気がする。


「って、何だ? あれ」


 目を凝らして観察してみると、二体の像が握り合っている手の隙間に何やら金色に光る物がある。


 普通に考えれば、ここを管理している誰かの落とし物だろうし俺が迂闊に触るべきではないだろう。


 けれど、俺にはどうしても二体の像がそれを手に取るよう促してきている気がして、半ば無意識に靴を脱ぎ社の本殿へ上がり込んでから、金色に光る物体を手に取っていた。


「髪の毛?」


 俺が手に取った物、それは金色に輝く一本の髪の毛だった。


 どうして、こんな物がここにあるのだろう。


 俺がその疑問に答えを出すよりも早く、髪を掴んでいる右手に静電気のような刺激が走り、目に映る景色がぐにゃりと歪み始めた。


「……は?」


 目の前でセカイが歪んでいく。


 俺にとって、それはもはや珍しくも何ともない見慣れた光景だ。


 けれど、今この場にいつもこの光景を共に見ていた少女はいない。


 あり得ないことのはずだ。


 二号は俺と涼音、二人が揃わなければ起こらない。


「……う、ここ、どこ?」


 訳がわからないままその場に立ち尽くしていると、近くから人の声が聞こえてきた。


 もしかして、涼音だろうか。


 そんな風に思った俺が木張りの床なのか石畳の上なのかもわからなくなった地面を駆け声がした方へ向かうと、そこには金髪をツインテールにし碧い瞳をせわしなく動かしている少女の姿があった。


「……涼音?」


 目の前の少女には確かに既視感がある。


 けれど、咄嗟に口をついて出た名前の人物と彼女を同一視することは、とてもじゃないができそうにない。


 まず、少女の身長は俺の胸にも届いていない。

 いくら何でも、涼音はここまで小さくなかった。


 顔立ちもパーツ一つ一つに目を向ければ似ているものの、全体の印象としては頼りなく幼い感じがする。


 そして極めつけに、少女は水色のランドセルを背負っていた。


 どこからどう見ても、彼女は小学生だ。


「……誰?」


 俺の漏らした涼音という単語に反応して、少女はびくりと肩を震わせ恐る恐るといった様子でこちらへ顔を向けた。


「俺は藍川真夏」


 傍に屈みこみ、できる範囲で愛想のいい顔になるよう意識しながら名前を答えてやると、少女は小走りで俺から距離を取り、元は鳥居だったと思しき捩じれた物体の陰に身を隠した。


 いや、待て。

 なぜ逃げる。


「心配しなくても、俺は怪しいもんじゃないしお前に危害を加えたりはしないぞ」


 俺が声をかけると、少女は捩じれた物体から顔を出し警戒心の滲む碧い瞳をこちらへ向けた。


「自分は怪しい者じゃないとか言う人間は、大抵変態だから近寄るなってお母さん言ってたもん」


 母親の教えを忠実に守っている少女は俺に事実無根の濡れ衣を着せているらしく、俺が一歩前に踏み出すと、わざわざこちらに見えるようにしながらランドセルにぶら下げられた防犯ブザーへ手を伸ばした。


「ハァ、わかった。じゃあ、無理に近寄ったりはしなから、とりあえず話だけでも聞け」


 俺がその場に腰を下ろし両手を上げてみせると、一応会話には応じてくれるらしく少女は今にも引き抜かれそうになっていた防犯ブザーのピンから手を離した。


 まあ、まともに話ができるなら文句は言わないけれど。


 俺、小学生から見ればそんなに不審者っぽいのか?


 正直、ちょっとショックだ。


「とりあえず、自己紹介から始めるぞ。さっきも言ったが、俺は藍川真夏。飛憶高校の二年生だ。それで、お前は?」


 俺が問いかけると、少女は僅かな躊躇いの後でゆっくりと口を開いた。


「私は、一ノ瀬涼音」

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