第29話 知らない自分
涼音に向かい友達と宣言した長瀬を見て、もしかすると彼女は二号の影響で人格さえも大幅に変わってしまっているのではないか。
僅かに、そんな心配をしたりもしたのだけれど。
彼女へ声をかけ少し話してみた限りでは、涼音への扱いを除けば概ねいつも通りの長瀬と言って差し支えなさそうだ。
「神隠しの伝承が残る田舎を舞台にしたボーイミーツガールって感じか。長瀬、こういうの好きだったのか?」
スマホに表示された有名な監督が手掛けるアニメ映画の公式サイトを見つつ問いかけると、長瀬は小さく頷いてから視線を涼音の方へ向けた。
「まあねー。最初は涼音の影響だったんだけど、見てるうちに自分でもハマってきちゃって」
そこで一端台詞を区切ってから、長瀬は名案を思い付いたとばかりに左の手のひらへ右の握りこぶしを打ち付けた。
「あ、そうだ。よければ藍川君と折笠さんも一緒に行かない? ほら、ダブルデートだよ、ダブルデート」
「いや、ダブルデートって。そっちは二人とも女子だろ」
「それに何か問題が? 私と涼音の愛情は性別の壁なんてとっくに突破してるんだよ、藍川君」
「それ、本気で言ってるか?」
「ううん、全然」
全く悪びれた様子のない長瀬を半眼で見ていると、彼女は俺の視線に気づきにこりと笑いかけてきた。
「ま、冗談はさておき。映画に一緒に行かないかってのは本気だよ。どう?」
「いいんじゃない。日曜日は真夏に荷物持ちをさせながら服とか見て回るつもりだったけど、たまにはこういうのも悪くないでしょ」
俺が答えるよりも早く、隣にいた朱乃が乗り気な様子で口を開く。
俺としては、朱乃が行きたいと言うなら無理に断る気もないのだけれど。
二号の実験との兼ね合いもあるし、一応判断を仰いでおいた方がいいだろう。
そう思って涼音の方へ視線を向けると、彼女は諦めの滲んだ表情で全てを受け入れるかのように瞑目した。
これは、長瀬の勢いに押し切られた感じだろうか。
まあ大抵の場合、涼音は初手で話しかけてきた相手を撃退して終わりだからな。
最初から友達であることを前提にしてぐいぐい来る相手には慣れていないのかもしれない。
◇
俺も涼音も二号について話し合うための場所として今までのように彼女の部屋を使う気にはなれなかったので、今日はひとまず学校から一番近いファミレスへとやってきたのだけれど。
「あれ? 一ノ瀬さんと藍川?」
俺たちはそこで談笑していたクラスメイトの女子三人と偶然にも出くわすこととなった。
「あ、ホントだ」
「あれ? 二人だけ? 委員長と朱乃も合わせた四人でいる所はたまに見かけるけど、何気にこの組み合わせは珍しくない?」
いや、冷静に考えると場所の選択的にクラスメイトと出くわす可能性は決して低くはなかったのだけれど。
あからさまに不満気な朱乃を何とか宥めて涼音と二人で話せる状況を作ったと思ったら、こうして知り合いに出くわすとは俺も些か運がない。
「まあ、ちょっと涼音に用があってな。というか、矢崎たちこそ何でこんな所にいるんだ。お前ら、成績下降気味だから三人で勉強会するぞーとか言ってなかったか?」
彼女たちが教室で繰り広げていた会話を思い出しながらてきとうに返事をすると、三人のうち二人は何かをごまかすようにへらへらと笑い始めた。
「やだなー、もちろん勉強はするよ」
「そうそう。ただ、私たちは勉強へ挑む前段階としてドリンクバーで英気を養ってるの」
「とまあ、そういうわけで、私もそれに付き合って雑談中。……けどぶっちゃけ、いつも口だけだから馬鹿なんだよなーこいつら」
矢崎がさらりと友人たちに毒を吐くと、残る二人は指をわちゃわちゃと動かしながら対面に座る矢崎の髪めがけて腕を伸ばし始めた。
「お、言うな加奈」
「ちょっと成績いいからって調子乗るなよー優等生」
髪をぐしゃぐしゃにしようと伸ばされた手は、面倒くさそうに腕を振るう矢崎によってその悉くが叩き落とされる。
「はいはい、わかったから、それ以上暴れるな劣等生共」
ひとしきりじゃれあったところで、矢崎は目の前の友人二人から視線を移し涼音の方を向きながら何気ない調子で口を開いた。
「ホント、こいつらには一ノ瀬さんを見習って欲しいわ」
「私を?」
「うん。だってほら、一ノ瀬さんって自習の課題とかいっつも一番早く終わらせてるでしょ。こいつらの場合、自習の時間は半分遊んでるようなものだし爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらい」
ファミレスで偶然顔を合わせただけの涼音に向かって、クラスメイトの一人として何の気負いもなく声をかけた。
それだけでも、二号による改変前を考えると驚嘆に値するのだけれど。
「……なあ、もしかして涼音って成績いいのか?」
「え、まあ、うん。この間の模試は学年四位だったし、一応いい方なんじゃない」
負けた。
心の中だけでそう呟いてから、ならば俺じゃなく涼音を指して見習って欲しいと発言したのも当然だと納得する。
いや、まあ、別にいいっちゃいいんだけど。
涼音のやつ、思ってたよりだいぶ頭いいんだな。
総合成績では三十位前後をうろうろしていることの多い俺からすると、こと勉強面に関して言えば涼音に勝つのは正直厳しそうだ。
そもそも勝負する必要自体ないだろうというのはさておいて、二号のような普通じゃない分野ならともかく勉強面で涼音のような変人に完敗しているとは思ってなかった。
言っても虚しいだけだから口に出したりはしないけれど。
浮世離れした印象の割に大抵のことをそつなくこなすというか、実は俺が涼音に勝てる部分ってほとんどないんじゃ……。
「うん、まあ、勉強頑張らないとだな。お互いに」
「ねえ、何で藍川がダメージ受けてんの?」
改めて答える気にはなれないので矢崎の問は無視しつつ、クラスメイトの三人に別れを告げ彼女たちからは離れた席を目指して歩き出す。
◇
テーブルの上にドリンクバーで入れてきた俺のコーラと涼音用のジンジャエールを置いてから、そっと息を吐き出す。
今日は朝から予想外のことが連続し少し疲れてしまったけれど、これでようやく二号について涼音と落ち着いて意見を交わせそうだ。
「とりあえず、長瀬を筆頭にしたクラスの連中は明らかにお前に対して気安くなってるな」
俺が今日一日で感じた変化について口にすると、それを聞いた涼音は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
「どうせ、このセカイの私はへらへら周りに話を合わせて、神隠しのことさえロクに調べてないんでしょ」
言い方は些か露悪的に過ぎるような気はするけれど。
長瀬たちと涼音の距離が縮まっている理由は、概ね彼女の言う通りで間違いないだろう。
本人がはっきりとそう言っていたわけではないけれど。
元々、彼女が他人を遠ざけるのは超常現象を共有できず、仮に話したところで反発を受けるだけという諦観からだ。
事実、偶然にも超常現象に関する問題をクリアした俺とは仲良しこよしとは言わないにせよ、そう悪くない関係を築けていた。
だが、神隠しについて誰にも語らなかったことになっているこのセカイにおいて、恐らく涼音は必死に周りに合わせて生きてきたのだろう。
いくら幼少期の失言をなかったことにしても、それ以降に元のセカイと同じように超常現象の解明のため邁進する毎日を送っていれば、どのみちいつかは父親と衝突する。
だから、このセカイにおいて彼女は超常現象を重視しようとはしなかった。
良くも悪くも、超常現象という要素を脇に置けば涼音は決して話せないやつじゃない。
友達百人とは言わないにせよ、たった一人の父親や四十にも満たないクラスメイトと最低限の関係を築くだけなら、やってやれないことはないはずだ。
そのくらいの想像は俺にもできる。
涼音本人ならば言うに及ばずだろう。
しょせん、俺たちにとっては実際に自分で体験した日々ではないし、あくまで集めた情報から予想しただけの想像上の産物だけれど。
このセカイにおける一ノ瀬涼音の在り方は、ほんの少し前までは戸滝涼音と呼ばれていた少女にとってあまり好ましいものではないらしい。
元を正せばこれは涼音自身が望んだことなのだし、矛盾と言えばそれまでだけれど。
流石に、そんなことを俺が指摘するのは自分の事を棚に上げすぎか。
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