第28話 友達?


 朝の実験がなかったおかげで久しぶりに惰眠を貪った俺が寝ぼけ眼を擦りながら学校へ続く道を歩いていると、小さな十字路の脇に設置された自動販売機の前で見知った顔を見つけた。


「おはよ。昨日は変なこと言って悪かったな、朱乃」


 俺が声をかけると朱乃は手元のスマホに落としていた視線を上げ、こちらへ小走りに近寄ってきた。


「真夏、おはよう」


 俺と朱乃は小学生の頃からずっと、学校へ行くときはこの場所で待ち合わせをしているのだけど。

 どうやら、このセカイでもそこは変わっていないらしい。


 長年の習慣に変わりがないことに対し俺が密かに安堵していると、俺の隣に立った朱乃は自然な動作で俺に向かって手を伸ばしそのまま互いの指を絡め始めた。


「朱乃? 何で急に手なんか繋いでるんだ?」


 これから学校へ行くというのに突然手を握りいわゆる恋人繋ぎを始めた朱乃の意図がわからず問いかけると、朱乃の顔に浮かぶ表情が途端に不満気なものへ変わった。


「真夏、今日もそんな調子なわけ? 急にも何も、付き合い始めたときから毎日こうやってるでしょうが」

「……まい、にち?」


 朱乃の発言が衝撃的過ぎて、思わず絶句してしまう。


 仲良く手を繋いで登校なんて、付き合い立てのバカップルでもそうそうしないだろうに。

 このセカイだと、俺と朱乃はこれを毎日やってることになってるのか?


 いや、まあ、朱乃と手を繋ぐのが嫌ってわけじゃないし、二人きりのときなら恋人繋ぎでも何でもしてくれて構わないのだけれど。

 この状態で歩いてたら間違いなく近所の人に見られるし、学校に近づけば当然ながら他の生徒たちの知る所になるだろう。


 いくら俺が朱乃と付き合っていると噂されるのに慣れているといっても、流石にそれはちょっと恥ずかしいんだが。


 俺がどうにかして手を繋ぐのをやめるよう朱乃を説得できないか考えていると、彼女はそんな俺の懊悩などお構いなしに堂々とした足取りで歩き始めた。

 そして、こうなると右手で彼女と繋がったままの俺も必然的に学校への道のりを手を繋いだまま歩くことになる。


「……お前、こうやって手を繋いでるの見られて恥ずかしいとか思わないのか?」

「思わないわ。だいたい、自分で思ってる程、他人は私たちのこと気にしたりしないわよ」

「いや、まあ、そりゃそうかもだが」

「それに、もし見たいやつがいるなら見せつけてやればいいじゃない。私たちはれっきとした恋人同士なんだから、堂々としてればいいのよ」


 結局、変な所で思い切りのいい朱乃の勢いに押され、俺は学校へ続く道をできるだけ周囲の人間を視界に入れないようにしながら右手に感じる熱を頼りにどこか上の空で歩き続けた。



 ◇



「おはよう」


 校門の前でかけられた声に反応して振り返ると、そこには俺と違って気だるげな様子を見せることなく朝から爽やかな空気を纏った男子生徒、悠の姿があった。


「おはよ」

「おはよう。それにしても、久永は相変わらず朝から元気ね。真夏も、少しは見習ったら?」


 悠に挨拶を返すついで余計なことを言い始めた朱乃からそっと視線を逸らすと、悠はそんな俺たちを見て苦笑した。


「まあまあ。俺は単に朝型ってだけだし、こういうのは人それぞれだから」


 悠は特に気負った様子もなく俺のフォローをしてから、そのまま共に昇降口へ向かって歩き始めた。


 薄々、そんな気はしていたけれど。


 俺と朱乃が手を繋いでいることに何の突っ込みも入らない辺り、既に俺と朱乃の関係は周知の事実となっているらしい。


 変にからかわれなくてほっとしたような、明らかにいつもと違うこの状況に突っ込みがないことが不安なような、何とも複雑な気分だ。



 ◇



 いくらこのセカイでは周知の事実だといっても、流石に知り合いばかりの教室に手を繋いだまま入るのは気恥ずかしい。


 俺がそんなことを考えながら二年六組の教室に足を踏み入れここ最近の習慣に則って無意識に涼音の姿を探すと、彼女の座る席で信じられないような光景が繰り広げられているのが目に入った。


「今度の日曜日、二人で映画観に行かない?」

「……もしかしてだけど、それ私に向かって言ってる?」


 学級委員長を務める女子生徒、長瀬は気心の知れた友人を相手にするかのような気さくな調子で涼音に声をかけ、何やらスマホの画面を得意気に涼音へ見せつけている。


「もちろん。ほら、涼音こういうの好きでしょ」

「確かに、そういう超常的な要素のある作品は嫌いじゃないけど。根本的に、私が誘われてるのが理解できないんだけど。映画が観たいなら、一人で行けば?」


 涼音は困惑した様子ながらもいつも通りの対応で長瀬をあしらおうとしており、傍目には長瀬に残された選択肢は戦略的撤退しかないように思えるのだけれど。


 どういうわけか、長瀬は涼音の冷ややかな対応を意にも介していない。


「もう、涼音はすぐそういうこと言う。一人じゃ寂しいから、こうして涼音を誘ってるの」


 長瀬は些かお節介な部分はあるし、比較的クラスメイト全員に距離の近い人物ではあるけれど。


 それでも、明確に拒絶の意思を示してきた相手に対し馴れ馴れしく話しかけ続けるようなことはしない。


 同じクラスにいるだけあって涼音もそのことくらいは知っているのか、彼女の顔に浮かぶ困惑の色はより一層深まっていく。


「それなら、友達でも誘えばいいでしょ」

「だから、涼音を誘ってるんだけど?」

「……何を勘違いしてるのか知らないけど、私はあんたの友達じゃ――」

「友達でしょ。私は慣れてるからいいけど、いくら恥ずかしくてもそういうことあんまり言っちゃダメだよ」


 涼音と対する長瀬は自然体そのもので、少なくとも見ている範囲では涼音をからかっているようには思えない。


 本気で、彼女のことを友達だと思っているように見える。


 涼音も俺と同じ考えなのか、これ以上長瀬の言うことを否定しようとはせず誰かを探すかのように周囲を見回し始めた。


 涼音はまず俺の席に目を向け、そこに誰もいないのがわかると次いで教室の出入り口へと視線を移した。

 そして、俺と朱乃の姿を捉えたらしい彼女はそこから僅かに視線を下に向け、不機嫌と言うほど苦々しくはなく、さりとて上機嫌とはとても言えない微妙な表情を浮かべた。

 

 俺は涼音ではないので、彼女が何を見てそんな顔を浮かべたのかまではわからないけれど。


 何となく気まずくなった俺は、そっと朱乃から手を離した。

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