第27話 また明日


 吹きっさらしの公園で取り留めもない話を続けていた涼音はちょうど会話が途切れたタイミングで伸びをしてから立ち上がり、迷いのない足取りで来た道を逆に戻り始めた。


「もういいのか?」

「うん。もう、大丈夫」


 俺の問いかけへ答える声に取り繕った様子はなく、少なくともこうして話している分にはいつも通りの彼女に戻っているように思える。


 もちろん、内心ではまだ割り切れていない部分もあるのだろうけど、それに関しては俺が何か言ったところで解決するような問題でもない。


 余計なお節介が必要な状況だとも思えないし、ここは彼女の大丈夫という言葉を信じてもいいだろう。


「そういや、俺たちが公園で話し始めてからどれくらい経ったんだろうな? スマホ、鞄に入れたまま置いてきたせいで時間が全然わからん」

「どうしたの? 急に時間なんか気にしだして」

「いや、この前実験が長引いて終電逃しそうになったことあったろ? あのときは家に帰ってから母さんにめちゃくちゃ怒られたんでな。今日もあんまり遅くなったら母さんがキレそうだと思って」


 鬼の形相でこちらを睨む母さんを思い出して身震いすると、涼音は心配し過ぎだと言うかのように楽観的な笑みを浮かべてみせた。


「そこは大丈夫じゃない? たぶん、公園で私たちが話してた時間なんて十分くらいだろうし」


 当然ながらスマホを持たない俺には正確な時間などわからないので、根拠と呼べるものは何もないけれど。

 実験が白熱した結果遅くなったあのときとは違い、今回はだらだらと大して意味のない会話を続けていただけだ。


 公園での時間はあっという間に過ぎ去ったような気がするし、改めて考えてみると涼音の言う通り時間は大して経っていないような気がしてきた。


「そうだな。言われてみれば、俺たちが話してた時間なんて精々そのくらいか」



 ◇



 俺と涼音は何だかんだで彼女の父親が待つ家へ戻ることに気後れし腰が重くなっていたし、無駄に話が弾んだおかげで僅かに子供用の遊具があるだけの公園にいても退屈を感じてはいなかった。


 だからだろうか。


 時計という文明の利器に頼ることなく己の体感時間のみで全てを語っていた俺たちは、どうやら盛大に経過時間を読み違えていたらしい。


 一ノ瀬家のリビングに置かれた時計が無慈悲に現在時刻である午後八時四十分を示すのを見て、俺はようやく自分たちが公園で一時間以上もだらだらしていた事実を悟ることになった。


「涼音が少しはマシな顔になって戻ってきたと思ったら、今度は君の顔色が悪くなっているように見えるのだが」

「……いえ、これに関してはマジで気にしないでください」


 とっくに晩飯を食べ終えリビングで寛いでいた那由さんが俺の顔を見て困惑気味に声をかけてきたので、とりあえず気にする必要がないことだけを伝えてからそっと息を吐く。


 まあ、このまま順調にいけば電車の心配をする必要がないであろう分、相対的にマシではあるけれど。


 俺が我が家に帰る時間は思っていたよりも遅くなりそうだ。


 これ、また母さんに小言を言われるんだろうな。


 俺を出迎える母さんの怒り顔を想像すると、些か気が重くなってきた。


 少しばかり憂鬱になりながらも俺は残っていた夕食を食べ終え、流しを借りて皿を洗う。


「はい、藍川。私の分もお願いね」

「ん」


 涼音から食器を受け取り洗い物に戻ると、彼女はリビングに用意された自分の席へ戻ろうとはせず俺の隣に立って既に泡を洗い流すだけの状態になっていた食器を水ですすぎ始めた。


 手伝ってくれるのはありがたいが、後でまとめてすすぐから気を使わなくてもいい。


 そう伝えようとしてから、リビングのテレビに顔を向けつつも横目にこちらを窺っている涼音の父親に気づいて口を閉じる。


 自覚があるのか、はたまた本人は純粋に俺の手伝いをしているつもりなのかまではわからないけれど。


 幾ら向き合うと決めたのだとしても、七年に渡る父親との確執は一朝一夕でどうにかなるものではないらしい。



 ◇



 俺が洗い物を終えた頃には既に時刻は九時を回っており、流石にこれ以上この家に残り続けるのは無理がある。

 そのため、二号に関わる諸々の懸念事項については明日以降の課題ということにして、俺は一ノ瀬家を辞すことになった。


「藍川、今日はありがと。正直、来てくれてちょっと安心した」


 門の前まで俺を見送りにきた涼音がいつになく殊勝な言葉を口にしてから、控え目に笑みを浮かべる。

 

 別に感謝されるのが嫌というわけではないけれど、俺の顔を見ながらこんなことを言う涼音の姿を見るのは何となく落ち着かない。


「俺は俺で朱乃との約束を元に戻したかったからな。別に礼を言われるようなことじゃない」

 

 これ以上話し込んでいるとまた公園のときのようにだらだらと余計なことを喋り続けてしまいそうなので、遅くなって母さんの怒りを買わないためにも手短に会話を締めにかかる。


「だいたい、俺たちは二号を調べなきゃいけないんだ。お前がどう思おうと、俺はお前に会いに来るっての」

「そっか。うん、そうだよね。……じゃあ、藍川。また明日」


 別れの挨拶と共に、涼音が小さく手を振ってくる。


 思えば、別れ際に涼音とこうやって普通の友達みたいな挨拶を交わすのは初めてな気がするけれど。

 まあ、敢えて拒む理由も特にない。


「ああ。涼音、また明日」


 軽く手を上げて応えてから、涼音に背を向け街灯が照らす暗い路地へと歩き出す。


 結局、朱乃の絵に関する問題は何一つ解決していないし、涼音と父親の間にある問題も解決したとは言い難い。


 現状、課題は山積している。


 できることなら、全部まとめて一手で解決してしまうのが理想だけれど。

 中々、そう上手くもいかないだろう。


 とりあえずは、涼音が父親とどうにか上手くやれるようにするところからだろうか。


「……って、何考えてんだ。馬鹿か、俺は」


 朱乃の……いや、俺自身が抱える絵を描かない彼女を許容するわけにはいかないという問題よりも優先して、涼音の家族に首を突っ込む。


 そんな発想が自然と自分の中から出てきていたことに気づいて、思わず悪態をつく。


 本当に、嫌になる。


 朱乃に絵を取り戻させることは他のどんな事柄よりも重要な最優先事項のはずだ。


 それなのに、余裕のないこの状況で他人の心配とは我ながら間抜け過ぎるだろ。

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