第26話 楽しいことは

 少しばかりの肌寒さを感じさせる夜風に当たりながら、街灯の光を反射して金色の輝きを放つツインテールを目で追い続ける。


 先程の様子から察するに散歩をすればそれで満足というわけでもなさそうだけど、涼音は特に何を言うわけでもなく何の変哲もない住宅街をゆっくりと歩き続けていた。


 やがて、小さな公園の前までやって来ると涼音はおもむろに足を止め、滑り台の方を見ながら小さく息を吐いた。


「へえ、ここまだあったんだ。というか、滑り台ってこんなに小さかったけ」


 懐かしそうに目を細めながらも涼音は迷いのない足取りで公園の中へと入っていき、滑り台の頂上へハイタッチでもするかのように伸ばした右手を打ち付けた。


「まあ、でも、そうだよね。背はあれから結構伸びたし、今だとこんなものか」


 察するに、昔の涼音はよくこの公園で遊んでいたのだろうし、久しぶりに来て郷愁の念にでも駆られているのかもしれないけれど。


 生憎、俺にとっては何の思い入れもない場所だし、何より先程の一幕について幾つか涼音に聞いておきたいことがある。


「涼音、お前さっき俺の手を握ってたよな? ……意識してなのか反射的になのかまでは知らんが、あれ二号を発生させるためだろ」


 未だ滑り台の方を向いたままの涼音へ声をかけると、彼女はこちらへ向き直ってから困ったように肩をすくめた。


「そう見えた?」

「そりゃ、そうとしか見えないからな。お前が俺の手を握る行為に、他の意味があるわけない」

「そう? 子供が迷子にならないようにだったり、恋人同士がいちゃつくためだったり、世の中にはいろんな理由で手を繋ぐ人がいるんだしさ。私も、何か別の理由で藍川の手を握ったのかもよ?」


 本気でごまかしたいわけではないのだろうけど、涼音はわざとらしい笑みを浮かべてから混ぜっ返すように口を開いた。


「で、お前は俺の親か? 恋人か?」

「もちろん、どれも違うよ。あ、それとも、藍川って私に彼女になって欲しいとか思ってる? でもごめんね。私、今は二号が一番大事だから。誰かと付き合うとかそういうのはちょっと」

「ハァ、勝手に俺が告ったことにするな」

「え、じゃあもしかして、私にお母さんになって欲しいの? ちょっと、藍川ってば倒錯的じゃない?」


 らしくもない悪ふざけを続ける涼音はいい加減な台詞を垂れ流しながらブランコに腰かけ、地を蹴ってほんの少しだけを両手の中にある鎖を揺らし始めた。


 仕方がないので、俺はブランコの正面にある手すりに腰かけ彼女と向かい合う。


「涼音、俺とお前はこのセカイで唯一二号を共有できる……仲間と言ってもいい存在だ。そりゃ、俺はお前の事情なんて大して知らんが、それでもお前が俺の手を取る意味くらいはわかる」


 涼音がブランコをこぐのをやめ、空に浮かぶ欠けのない月を眺めながら邪気のない顔でくすりと笑う。


「仲間かー。藍川、そういうこと言うの似合わないね」

「知ってる。けど、他にいい呼び方も思い浮かばないんだよ」

「そっか。じゃあ、まあ、仲間ってことにしとこうか。正直、私も他の呼び方なんて思いつかないし」


 ようやく、真面目に話す気になったらしい。


 涼音の視線は月から俺へと移り、表情からは笑みが消えた。


「さっき、藍川が間違ってこの間って言っちゃったとき、お母さんみたいに何か反応したわけじゃないけど、お父さんも藍川の言ったこと聞いてたでしょ?」


 言われて、先程の食卓での一幕を思い出す。


 確かに、大した反応を示してはいなかったものの、涼音の父親も俺が初対面ということになっている那由さんに向かってこの間と発言したのは聞いていただろう。

 

 これに関しては俺のミスだし涼音には申し訳なく思うけれど、さりとてただ怪訝そうにしていただけの涼音の父親がこれに関して大きなアクションを起こすとは思えない。


 俺としては、放っておいても問題はないと判断しているのだけれど。


「別に、私だってわからないわけじゃないよ。あれだけでお父さんが何かに気づくってことはないだろうし、放っておいてもきっと問題ない」


 当然と言えば当然だけれど、俺ができる程度の状況判断が涼音にできないはずはなく、彼女の語る考えは概ね俺と同じものだ。


 もしここで話が終わるなら、何の問題もないのだと安心して食事に戻れるのだけれど。


 ほんの少しだけ陰りを帯び始めた涼音の顔を見るに、そういうわけにはいかないのだろう。


「でも、お父さんに普通じゃない言葉を聞かれた……そう思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃって。気づいたら、藍川の発言をなかったことにするために二号を発生させようとしてた」


 かつて、涼音が自身の体験した超常現象について正直に語ったが故に父親との関係は破綻し、彼女の両親は離婚するに至った。


 正直、俺には共感できない感覚ではあるけれど。

 そんな経験を持つ彼女からすれば、父親に二号を連想させる発言を聞かれたという事実は耐え難いことだったのだろう。


 それこそ、実害の有無に関係なく即座になかったことにしてしまいたいと望む程に。


 わかるとは言わないが、涼音本人がそうだと言うなら、彼女にとってはそういうものなのだろうと納得はできる。


「じゃあ、今からでもさっきのなかったことにするか?」


 俺が歩み寄り手を差し出しても、涼音は自らの手を重ねようとはせず力なく首を横に振った。

 

「いいよ。本当は意味がないって、わかってるから」


 本人が必要ないと言うなら、俺も無理にとは言わないけれど。


 涼音は今もなお立ち上がることなくブランコに座り続けている。

 彼女の父親が待つ家に、帰ろうとはしていない。


「もう一度やり直すチャンスさえあれば、全部上手くいくと思ってた。私はあの頃と違って自分の見ているセカイを必ずしも他人が理解してくれるわけじゃないと知っている。だから、何を見て何を経験しても、それを口に出したりせず普通に振る舞っていればお父さんだってきっと私を否定しない」


 涼音の言うことが間違っているとは思わない。


 俺の個人的な好悪はさておいて、客観的に評価するなら涼音の父親は完璧とは言わないにせよそれ程酷い父親でもない。


 涼音自身がそう望んだように、普通の親子として接すればまあそれなりに幸福な家族にはなれるだろう。


「でもさ、贅沢な悩みかもしれないけど、家で温かいご飯を食べてるより、ここで冷たい風に吹かれながら藍川と喋ってる方が楽しいなって思っちゃうの」


 確かに、贅沢な悩みではあるだろう。


 普通なら、既に過ぎ去った昔日のできごとを変える選択肢など存在しない。


 俺たちにその選択肢が与えられているのはこの上なく幸運なことであり、他人が聞けば涼音の悩みなど贅沢を言うなと一蹴されて終わりかもしれないけれど。


 少なくとも俺は、涼音と似たり寄ったりのことを考えている。


 涼音の家にいるよりも、そして俺が朱乃から絵を奪ってしまった事実に思い悩むよりも、ここで涼音と話している方がずっと気楽で、無責任なことを言ってしまえば楽しいと感じる。


 自分でセカイを変えた人間の言い草としては決して褒められたものではないだろうし、本当なら叱咤激励でもするべきなのかもしれないけれど。

 どうせ、ここには俺しかいないのだ。


 なら、まあ、ほんの一時彼女がセカイから目を逸らすのに付き合っても、別に構いはしないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る