第23話 失敗
俺にとっては違和感塗れでも、涼音にとってはずっと求めていた父親だ。
それは間違いないと思うのだけれど。
父親と言葉を交わす涼音はいつもと違って控え目に話し、どこかやり辛そうにしている。
「ごめん。さっきのは、何ていうか冗談だから。気にしないで」
ぎこちない笑みを浮かべた涼音はそこで言葉を区切ると父親から視線を外し、横にいる俺の方へ向き直った。
「藍川、私の部屋に案内するから行こ」
言うだけ言ってから、涼音は俺の返事を待つことなく歩き出す。
涼音の父親は彼女の様子を見て怪訝そうにしているけれど、正直俺はこれ以上この場に残って彼の相手をするのはごめんなので、気づかなかったフリをして涼音の背を追った。
◇
涼音の部屋の内装は少しばかり以前とは異なっており、俺の記憶にある白のカーペットは淡いピンク色に変わり、本棚に詰め込まれた物理学や胡散臭いオカルトの本は少女漫画に置き換わっている。
「ハァ……疲れた」
涼音がベッドの上に身を投げ出し、俺に聞かせるためというよりは独り言のような調子で今の彼女の様子を端的に表す言葉を口にした。
「あー、涼音。見るからにお疲れのところ恐縮だが、できれば今すぐにでも俺と朱乃の約束に関する改変をなかったことにしたい。悪いけど付き合ってくれ」
俺がこの家を訪れた用件について告げると、涼音は上体を起こしこちらへ探るような視線を向けてきた。
そもそも俺自身が望んで行った改変なのだから当然だが、涼音は俺の翻意について計りかねているらしい。
「理由、聞いてもいい?」
「ああ。と言っても、そう複雑な事情があるわけじゃないけどな」
「じゃあ、何で?」
「それは……」
理由を尋ねてくる涼音に対し事の経緯を一から説明しようとして、やめる。
俺と朱乃が付き合うことになっていたとか、その辺りの事情を涼音に伝える必要があるとは思えないし、彼女には長々と語ったりせず結論だけ告げればそれでいいだろう。
「約束がないセカイの朱乃を朱乃として認めるわけにはいかなくなった。それだけだ」
「……そっか」
涼音は朱乃が絵を描いていることすら知らないのだから、詳細な事情などわかるはずもないけれど。
それでも俺がこのセカイの朱乃を許容するわけにはいかないことだけは伝わったのか、涼音はこれ以上訳を尋ねようとはしなかった。
「そういうことなら、いいよ。協力してあげる」
涼音が右手を差し出し、手のひらを上に向ける。
この手を取れば、俺は再び朱乃の絵を見ることができる。
躊躇う理由など、どこにもない。
だから、俺は朱乃との約束が再び交わされることを願いながら涼音の手のひらに自らの右手を重ねた。
絵を描かない、俺が劣等感を抱く必要のない朱乃。
そんな彼女とただ幼馴染として、或いはただ恋人として共にいることに全く未練がないとは言わないけれど。
そんな都合がいいだけの関係性に甘んじ現状を許容することが間違っているのは俺にだってわかる。
これ以上間違いを重ねるわけにはいかないし、これでよかったのだ。
俺はどこか晴々とした気持ちでセカイが歪みを始めるのを待ち、そして違和感に気づく。
「……どういうことだ? 何で二号が発生しない」
視線の先では涼音が目を見開き俺の背後を凝視している。
まあ、それはいい。
彼女が一切の歪みなく瞳に映り続けるのはいつものことだ。
だが、どういう訳か彼女の背後にあるベッドも、足元のカーペットも、それ以外のあらゆる家具や窓の外の景色、セカイそのものが歪まずに常と変わらぬ姿を保っている。
信じられない光景を前に瞬きを繰り返し、そこにちゃんと彼女がいるのか確かめるため右手に力を籠める。
けれど、目に映る景色は変わらず、手のひらの感触は確かに俺たちが繋がっていることを伝えてくる。
あり得ない。
二号を発生させるための条件は確かに整えてあるはずだ。
それなのに、なぜセカイが歪まない。
「これは……失敗した? でも、何で? 理由なんて――」
俺と同じく混乱した様子の朱乃が疑問の言葉を紡いでいる際中にハッとした表情を浮かべ、急に口を噤んだ。
「どうした? 何かわかったのか?」
「え!? あ、ううん。何でもない。ただの勘違いだと思うから」
涼音の態度が気になり声をかけると彼女は慌てた様子で首を横に振り、次いで咳払いを挟んでからいつも通りの落ち着いた表情を浮かべてみせた。
「それより、二号発生のために必要な前提条件を整えた上で失敗するのはこれが初めてだよね?」
「ああ、今までこんなことは一度もなかった」
どこか釈然としないものを感じつつも涼音のペースに乗せられて返事を返すと、彼女は満足そうに頷いた。
「となると、原因を探らないとね」
「まあ、そうだな」
「でしょ。差し当たって考慮すべきなのは私たちから二号を発生させる力が失われた可能性だけど……それについては、この消しゴムをなかったことにできるかどうかで確かめてみようか」
話しながらも涼音は筆箱から取り出した消しゴムをテーブルの上に置き、先程と同じように右手を差し出してきた。
涼音の言うことに一理あるのは確かだし、もしも俺たちから二号が失われたのならそれは決して無視できない重大な問題だ。
ここは、ひとまず涼音の言う通りにしておくべきだろう。
「いくぞ」
涼音に声をかけてから、彼女の手のひらに俺の手を重ねる。
すると、涼音の背後にあるカーテンはぐにゃりと歪み、ベッドは溶けかかったアイスのように崩れ始めた。
これは、もはや見慣れた二号の景色だ。
どうやら二号を喪失するという最悪の可能性は免れたようだけれど。
それなら、一体なぜ俺たちは二号を発生させることに失敗したんだ。
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