第22話 父親


 俺との約束が朱乃が絵を描く理由になっていた。


 そのことを断言できるだけの確証はない。

 実際は俺が勘違いしているだけという可能性もないとは言えないだろう。


 けれど、一度思い至ってしまったからには無視はできない。


 俺の予想が正しいかどうか検証している時間も惜しいし、今すぐにでも再度二号を発生させ約束に関する改変をなかったことにする。


 そうすれば、朱乃は再び絵を描くようになっているはずだ。


 もちろん、また約束の存在するセカイに戻るのは嫌だ。


 せっかくなかったことにできたのに、また約束のことを思い出し惨めさに苛まれる毎日に戻るのかと思うと気が重くて仕方ない。


 でも、それでも、俺のせいで朱乃が絵を描かなくなるのはもっと嫌だ。


「朱乃、急用ができた。いきなり押しかけといて悪いけど俺はもう行く」


 朱乃に断ってから、涼音と合流するため立ち上がる。


 一応、最初の予定では彼女と合流するのは明日の朝ということになっていたけれど。


 悠長に予定の時間まで待ってなんかいられない。



 ◇



 スマホに登録されていた一ノ瀬という名前を呼びだし電話をかける。


 すると、程なくしてコール音が鳴りやみスマホの向こうから人の息遣いが聞こえてきた。


「涼音、予定と違って悪いんだが今すぐ会いたい。二号の影響を調査中で忙しいとは思うんだが、何とか時間作れないか?」

「……うん、大丈夫。ちょうど私も藍川に頼みたいことがあったから。今から送る住所まで来てくれる」


 スマホから聞こえてくる涼音の声は覇気がなく、どことなく疲れの滲んだものだった。


 どうやら、涼音は涼音でいろいろあるようだけれど。


 何にせよ、俺のやるべきことは変わらない。


 涼音と合流して再び二号を発生させる。

 そのために、俺は涼音から送られてきた住所を目指し早足で歩きだした。



 ◇



 涼音から送られてきた住所を入力した地図アプリの案内に従い俺がたどり着いたのは、彼女の自宅であるマンションから更に二駅学校から遠ざかった場所にある住宅街の一角だった。


 見間違いでなければ、涼音が待ち合わせ場所として指定したのは目の前に立つ一ノ瀬の表札が掲げられた一軒家で間違いないだろう。


 どうやら、二号による改変が起きた後のセカイでは涼音の住まいは俺の知っているあのマンションから目の前の一軒家へと変わっているらしい。


 俺が金属製の門をきしませながら家の敷地に足を踏み入れインターフォンに指をかけると、まだ呼び出してはいないのに玄関の扉が開き中から見知った顔が出てきた。


「藍川、来てくれてありがと。いろいろ話したいことはあるんだけど、説明するより見た方が早いだろうからとりあえず入って」


 電話口から受けた印象と同じくどこかくたびれた様子の涼音は俺の顔を見て安堵したように息を吐き出してから、片手で家の中に入るよう促してきた。


 特に断る理由もないので涼音に案内されるがまま家の中を進んでいくと、キッチンで料理をしている見知らぬ男性と出くわした。


 男性は彫りの深い顔立ちをしており、年のころは四十代前半といったところだろうか。


「いらっしゃい」


 涼音の家に見知らぬ人間がいることに面食らって男性を凝視していると、向こうも俺に気づいたようで男性は顔を上げ愛想よくこちらに笑いかけてきた。


「えっと」


 何か返事をするべきなのだろう。


 そう頭ではわかっていても上手く言葉が出てこない。


 涼音の家にいる中年の男性。

 普通に考えれば、彼は涼音の父親ということになる。


 別におかしなことじゃない。


 そもそも、涼音は彼との関係性を維持するために二号を発生させたのだ。


 ただ、何というか、正直彼にはあまりいい印象を持っていなかったので、こうして普通の父親のように話しかけてこられるとどう対応していいのかわからない。


「涼音、あの人ってやっぱりお前の……」

「うん、お父さん」


 念のため確認を取ると、涼音の口からは予想した通りの単語が聞こえてきた。


「他人の親にこういう言い方をするのもなんだけど、こう、思ったより普通だな。正直、ちょっと驚いた」

 

 涼音は俺の知る限り一番の変人だし、那由さんも涼音より人当たりこそいいものの中々個性的な性格をしている。


 彼女たちに比べると、涼音の父親から受ける印象は至極普通で逆に違和感があるくらいだ。


「だよね。私もだいぶ驚いちゃった。お父さんって、こんな感じだったんだね」

「驚いたって、お前の父親だろ」

 

 どこか他人事のような涼音の台詞を聞いて突っ込みを入れると、彼女は父親に向ける目を細めてから苦笑を浮かべた。


「まあ、そうなんだけどさ。怒ってないお父さんがどんなだったかなんて、もう覚えてなかったから」

 

 言われてみれば、涼音の両親が離婚したのは彼女が小学生だった頃の話だ。


 もちろん、全く記憶にないということはないだろうけど、もし離婚後に父親との交流がほとんどなかったのだとすれば、彼について話すとき他人事のようになるのも当然か。


 俺の両親は特に大きな問題もなく毎日一緒にいるから考えが及ばなかったけれど、涼音にとって父親の存在は決して身近なものではない。


「涼音? お父さんって、そんなに怒ってばっかりのイメージかな?」


 俺が微妙に気まずくなっていると、俺たちの会話が聞こえていたらしい涼音の父親がおずおずと声をかけてきた。


 娘に話しかける彼の様子は娘に嫌われていないか心配する父親そのもので、それが何だかおかしなことのように感じてしまう。


 もちろん、俺がこんな風に感じるのは涼音と父親の関係性が穏当なものではないという改変前のセカイの記憶を有しているからであり、今この場所においては寧ろ彼の態度こそ自然なのだろうけど。


 言葉を選ばずに言うのなら、まるで出来の悪い演劇でも見ているような気分だ。

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