第17話 背中を押して

 朱乃との約束をなかったことにすべきか否か。

 一晩かけてもその答えがわからず悩んでいる際中の俺は、気分転換も兼ねて幼いころから何かと訪れることの多い無人の神社の境内へ足を運んでいた。


「ハァ……」


 切り株を椅子代わりにしながら空を仰ぎ、その澄み渡った青色とは正反対の曇り模様としか言いようのない自分の心境を思いため息を吐き出す。


 最悪、何か問題があればなかったことにできるとはいえ、俺と戸滝の記憶だけはどんなに二号による改変を繰り返そうと都合よく書き換わることはない。


 これは、基本的にはメリットなのだけれど。

 仮に俺と戸滝が二号によって過去の後悔をなかったことにしたことで問題が生じ再び二号を発生させた場合、一度目と二度目の間の記憶に関しては俺たちと周囲では絶対に同じものを共有することができない。


 年単位で過去に遡り改変を行った場合、その影響を探るにはある程度の期間を調査に充てる必要があることを考えると、この記憶の齟齬が問題になる可能性は十分にある。


 当然、戸滝もそれはわかっているのだろうけど。


 わかった上であんな提案をするくらいには、彼女にとって過去の後悔を消すことは大きな意義を持つのだろう。


 ……まあ、そこに関しては俺も人のことは言えないのだが。


 本当に、どうしたものだろうか。


「真夏?」


 俺が一人空を仰いでいると、境内の入口にある石製の鳥居の方から馴染みのある声が聞こえてきた。


 視線を下げ声の主の方を見やれば、ちょうど手ぶらの朱乃が鳥居を潜り抜けて境内に足を踏み入れるのが目に入った。


「朱乃か。その様子だと、気分転換の散歩って感じか?」

「まあ、そんなとこ。で、そう言う真夏の方は? どうせ今日も戸滝さんとこそこそ何かやるつもりなんでしょ。こんなところで油売ってていいわけ?」


 いいか悪いかで言えば、たぶんよくはないだろう。


 たとえ今すぐに答えを出せないのだとしても、ここでぼうっとしているよりは少しでも二号について調べた方が遥かに有意義だ。


 では、なぜそうしないのかと言われると、これは単純に気分が乗らないからとしか言いようがない。


 どうも、答えが宙ぶらりんの状態だと何をするにも身が入らない。


「……まあ、いろいろあってな。今日は休むことにしたんだよ」

「ふーん」


 朱乃は俺の要領を得ない返事に間延びした声を寄こすと、そのままこちらへ歩み寄り左手でぐいぐいと俺の体を押し始めた。


「おい、やめろ。俺のこと地面に落とす気か」

「私も座るから、もっと左側に寄って」


 しれっとした顔で自分も座るなんて言っているけれど、俺が座っている切り株は二人で座るには些か小さすぎると言わざるを得ない。


 無理に座れば、おしくらまんじゅうでもしているかのような間抜けな絵面が出来上がること間違いなしだろう。


 仕方ないので移動するため立ち上がろうとすると、俺の右腕が朱乃によって掴まれ無理やり切り株へと縫い留められた。


「朱乃、流石に狭いんだが」

「何よ、嫌なの?」


 譲るつもりなど毛頭なさそうな朱乃の強気な物言いを聞いて、返答代わりに足に込めていた力を抜き切り株から落ちないよう彼女の方へ肩を寄せる。


 二人して正面にある社の方を向いているから、辛うじて何とかなっているけれど。


 朱乃と密着している二の腕からは微かに温かな体温を感じるし、少し身じろぎするだけで頬を黒髪が撫でこそばゆい感触を伝えてくる。


 相手が朱乃だから嫌ではないものの流石にこれは距離が近すぎるし、何か嫌なことでもあったのだろうか。


「朱乃、大丈夫か?」

「馬鹿ね。私じゃないわよ」


 心配になって声をかけてみても、朱乃の様子に変わりはなく特に無理をしているようにも思えない。


「ここでウジウジしてるってことは、どうせ悩み事か何かあるんでしょ。聞いてあげるから、話しなさい」


 最初は朱乃に何かあったのかと少し身構えてしまったけれど。

 寧ろ……心配されてるのは俺の方か。

 

 朱乃のやつ、相変わらず変なところで察しがいいな。


「確かに、絶賛悩み中の問題はあるっちゃあるが、人に言ってどうこうなるようなものじゃないんだよ。心配しなくても、俺が自分で何とかするからお前は気にしなくていい」


 二号のことを話すわけにはいかないし、何より朱乃相手に弱音というのもあまりに情けなくて嫌だったので端的に心配いらないことを伝えたところ、朱乃の左手がそっと俺の脇腹に添えられた。


「朱乃? 何やって!? ちょ、痛い! やめろ、朱乃」


 朱乃は人差し指と親指で俺の脇腹を挟み込むと、そのまま容赦なく捩じり始めた。


 見た目は地味だが、これが結構痛い。


 一体何が気に入らないんだと思って顔を右に向けると、素知らぬ顔で社を見つめ続ける朱乃の横顔が目に入った。


「朱乃、これマジでやめて欲しいんだが」

「いいわよ。真夏が素直に悩みを聞いてください朱乃様って言うならやめてあげるわ」

「……ハァ。わかった。朱乃、少しだけ相談に乗ってくれ」


 俺が渋々ながら要求に従うと、朱乃はようやく脇腹から手を離し抓るのをやめてくれた。


 正直、あまり気は進まないけれど、こうなったら二号についてはてきとうにぼかしながら話すしかないか。


「仮に、自分が心の底から望んでいることを叶えるチャンスが巡ってきたとして。それを叶えれば周りの人間にたくさん迷惑をかけるかもしれないって言われたら、お前ならどうする?」

「何それ。真夏、そんなことで悩んでたの?」


 二号について隠してはいるものの俺が結構正直に現在の悩みについて打ち明けると、朱乃は悩む素振りもなく馬鹿馬鹿しいと言わんばかりのあっけらかんとした口調で言葉を紡ぎ始めた。


「そんなことって、これでも俺は真面目に――」

「どうせ、何があろうと諦めるつもりなんてないんでしょ」


 俺はきちんとリスクとリターンを秤にかけることができている。

 自分では、そう思っていたのだけれど。


 朱乃の指摘を聞いて、二の句を継ぐことができなくなってしまった。


「本気で諦めるつもりがあるなら、格好つけの真夏が私にこんなこと話すわけないじゃない」


 そんなことはない。

 そう言いたい気持ちも、ないではないけれど。


 事実として、俺はかつて交わした約束を諦めるとき朱乃には何も言わなかった。


 全部一人で決めて、自分のみっともなさを朱乃に告白することすらしなかった。


 だから、まあ、こうして他人に話している時点で結論は既に出ているのかもしれない。


 俺に自分は今から大切なものを諦めますなんて言う勇気はないから、結局のところこうして戸滝や朱乃に話しているのはただ最後に背中を押してくれる誰かが欲しかっただけなのだろう。


「……そう、かもな」


 思わぬ方向から本音に気づかされ改めて自分に辟易していると、不意に朱乃の左腕が俺の頭上へ向かって伸びゆっくりと髪を撫で始めた。


「ま、何をする気かは知らないけど、真夏のやりたいようにやってきなさい。たとえどんなに迷惑をかけられたって、私だけは最後まで味方でいてあげるから」

「……ガキ扱いするのはやめろ」


 ありがとう、なんて素直に言うのも気恥ずかしくて俺が不満の声を上げると、朱乃は全てわかっていると言わんばかりにくすりと笑った。


「あら、嫌なの? 昔、真夏が転んで泣いてるときは、こうやって頭を撫でてあげたら泣き止んでたじゃない」

「いつの話だ」

「さあ? 小一か小二か、そのくらいだったかしら」


 わざとらしく俺をガキ扱いしてくる朱乃に苦笑を漏らしてから、今ごろ俺と同じようなことを考え頭を悩ませているであろう少女について思いを馳せる。


 俺と彼女は通っていた小学校も、髪の色も、性別も、違うものだらけだ。


 けれど、同じものだってないわけじゃない。

 たとえばそれは、二号を認識できること。

 

 そして、きっと、二号を使ってでも諦めたくないものが……他人に迷惑をかけてでもなかったことにしたい過去があるという点だって同じなのだろう。


 だから俺たちは、あのとき彼女の部屋で同じ問を口にした。


 ならば俺は、朱乃がそうしてくれたように、今度は自分で彼女の背中を押してやりたい。

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