第16話 二人の後悔


 戸滝の家を訪れた後の十日間、俺と戸滝は学校にいる間はもちろん放課後も実験に精を出し、二号を解明するために力を注いできた。


 その結果として、自分の都合のいいようにセカイを変えるための道具としてなら、もう二号の使用に支障はないと言ってもいい。


 もちろん、なぜ俺たちだけが二号を認識できるのかなど未だわからない部分は多いものの、それらの疑問に目を瞑り道具として使うだけなら俺たちはその使用法について十分理解している。


 言ってしまえば、詳細な構造など知らなくても操作法さえわかっていればスマホを使うことができるのと同じようなものだ。


 そして、こうなってくると自分の中で一つの欲求が膨れ上がってくるのを自覚せずにはいられない。


 俺に後悔ばかりを抱かせる過去を……あの夏の日に、朱乃と交わした約束をなかったことにする。


 どうせ、愚かな子供が考えなしに提案した戯言だ。


 あれをなかったことにしたところで、誰も困らない。


 朱乃は俺と本を作るために絵で頑張ることにした、なんて言っていたけれど。

 俺が知らなかっただけで、元々彼女は従妹に教わって絵を描いていた。

 

 約束がなくたって、彼女の絵の美しさは変わらない。


 変わるものがあるとすれば、分を弁えない約束をした挙句に何もしないまま逃げだした馬鹿が、分を弁えて最初から何もしない馬鹿になるだけだ。


 ほんの些細な変化だろう。


 他人から見れば、どちらもロクでもない人間に違いない。


 けれど、俺にとっては大切なことだ。


 あの約束さえなければ、俺はもっと、ちゃんと……。


「藍川、ちょっと、藍川ってば!」


 戸滝が俺を呼ぶ声を聞いて、余計な考え事に没頭していた頭を振り目の前にいる彼女へ視線を合わせる。


「まだ実験の途中なんだから、気は抜かないでよ」


 少しばかり不満そうにしている戸滝の言う通り、今日も今日とて俺たちは放課後の時間を費やし彼女の部屋で二号の実験を行っている。


 なので、失敗しないよう気を張っている必要があるというのはその通りなのだけれど。


「悪い。ちょっと休んでいいか?」

「別にいいけど。何? 体調悪いの?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ、少し疲れただけだ」


 戸滝に断ってから壁に背を預けながら腰を下ろし、ゆっくりと目を閉じる。


 別に、肉体的な疲労なんてほとんどないのだけれど。


 朱乃との約束を思い出して延々と余計なことを考えていたせいか、どうにも目の前の実験に集中できなくなってきた。


「……なあ、戸滝ってあれだけは絶対になかったことにしたいと思うようなもの、あるか?」


 共感し肯定して欲しいのか、はたまた馬鹿なことを考えるなと否定して欲しいのか。

 自分でもよくわからないまま俺が疑問の言葉を口にすると室内には沈黙が満ち、ときおり戸滝が身じろぎする気配だけが伝わってくるようになった。


 俺は目を瞑ったままだから、今の戸滝がどんな顔をしているかはわからないけれど。

 きっと、困らせてしまったのだろう。


 誰だって、後悔の一つ二つあるに決まっている。

 そして、そういうものは得てして他人には言いたくないものだろう。


 我ながら、下らないことを聞いてしまった。


「悪い、変なこと聞いたな。忘れてくれ」

「……お父さんが、怒ってたの」


 俺がてきとうに自分の発言を流そうとしたタイミングで、ぽつりと戸滝の口から問に対する答えらしきものが聞こえてきた。


 俺が驚いて目を開けると、戸滝は俺の左手にあるベッドへ背を預けた状態でじっと自分の足元を見つめていた。


「神隠しなんてあるわけない。だから本当のことを言えって、ずっと怒ってた」


 戸滝が言っているのは、彼女が行方不明になったときの話だろう。


 彼女は俺と違って行方不明の際中にあった出来事もある程度は覚えているようだから、それを周囲に話せば、まあ大抵の人間は嘘だと感じるはずだ。

 戸滝の話に対し、よりにもよって父親が攻撃的な反応を示したというのは聞いていて楽しい話ではないけれど、別に驚きはしない。


「答えたくなかったら無視してくれていいんだが……那由さんとお前の父親って、離婚してるのか?」

「……うん」


 この十日間、戸滝の家にはほぼ毎日足を運んでいるけれど。


 その間、俺が彼女の父親に出会ったことは一度もない。

 玄関では自分のものを除けば男物の靴は見かけなかったし、今思えば俺以前に彼女のスマホへ登録されていた連絡先が那由さんのものだけというのもそういうことだったのだろう。


 理由の程は、何となく察しがつく。


 本人の言葉を借りるなら、那由さんは戸滝のことを評価している。

 だから、たとえ神隠しそのものは信じていなくとも、戸滝のことは信じていたのだろうし、そういう信頼があったから戸滝との関係もぎりぎり破綻せずに済んだ。


 けれど、話を聞く限りでは戸滝の父親は違ったのだろう。


 もちろん、彼だって戸滝のことを心配していたからこそ厳しいことを言ったという側面はあるのかもしれないし、或いは彼女もそれは理解しているのかもしれないけれど。


 あの戸滝がこんな風に弱々しい姿を見せている時点で、彼女と父親の関係が破綻したことは容易に想像がつく。


 そして、あの那由さんが破綻した二人を同じ場所に留めおくことを良しとするとも思えない。


 正直、戸滝はもっとドライなやつかと思っていたけれど。

 彼女でも、既に家族でなくなった誰かに対して複雑な想いを抱いてはいるらしい。


「藍川は? こんなこと聞いてくるってことは、何かあるんでしょ?」

「まあな」


 こんなこと、今まで口が裂けても他人に話す気なんてなかったのに。

 不思議と、戸滝の前では何の抵抗もなく言葉が紡がれていく。


「これ、朱乃には絶対秘密なんだがな。俺とあいつは、昔一緒に本を作ろうと約束したことがある。けど、俺は何もできず一方的に約束を破った。……俺は、あの約束をなかったことにしたい」

「……そっか」


 こんな説明で約束にまつわる俺の劣等感が伝わったとは思わないし、戸滝からすれば意味がわからないだろうけど。

 それでも、俺の話を聞いた彼女は寂し気な表情を浮かべながら一言だけ相槌を打った。


「なあ、もしも――」

「ねえ、もしも――」


 奇しくも、俺と戸滝は同時に口を開き、同じ言葉を口にした。


 いつもなら、ここで一端口を噤んで相手の言うことを聞くのだろうけど。

 たぶん、戸滝の言おうとしていることは俺と同じだから。

 気にせず、そのまま最後まで言葉を紡ぐ。


「戸滝の後悔をなかったことにしようと言ったら、どうする?」

「藍川の後悔をなかったことにしてあげるって言ったら、どうする?」


 予想はしていたものの、本当に二人して似たような疑問を口にした現状が何だか少しおかしくて、少しだけ気が軽くなる。


 戸滝の方を見れば彼女も似たような心情なのか、苦笑いとも言えない程微かに口元が緩められていた。


「もし俺の後悔をなかったことにしたら、直接的なものはともかく間接的な影響はどこまで出るかわからないぞ。なにせ、小学生の頃の話だ。実験でも、ここまで昔の対象を改変したことは一度もない」

「それを言うなら、私の後悔をなかったことにしたときなんて直接的な影響だけでも無視できないよ。離婚の原因になった神隠しの件を私が誰にも話さなかったことにしたら、きっと今も前の家に住んだままだろうし、苗字だって今とは違う」


 改変の対象が古ければ古いほど、二号が影響する範囲は広くなりバタフライエフェクトによる事故的な失敗の可能性は上昇する。


 だから、理性的に判断すれば俺も戸滝も自分の後悔をなかったことにするべきではないだろう。

 流石の俺でもそのくらいの分別はつく。


 けれど、それと同時に実験を重ね二号の力を目の当たりにすればする程、自分の後悔をなかったことにしたいという欲求が強くなっていくのも確かだ。


 結局、自分では答えを出せなくて戸滝に解を求めてしまったけれど、向こうは向こうで俺と似たような心境だったらしい。


 さて、こうなると自分で答えを見つけるしかないわけだけれど。


 今すぐに、というのは俺には少々荷が重そうだ。


「戸滝、今日はもう帰る。この件はまた今度な」


 俺が問題の先延ばしを提案をすると、戸滝は少しだけほっとした様子で頷きを返してきた。

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