第15話 かつて見た景色は同じでも

 自室に戻ってきた戸滝は暫し母親の物言いを引きずっていつもより覇気のない表情を浮かべていたが、次第に調子を取り戻し俺が戸滝の経験した行方不明事件について記したノートを読み終えるころにはすっかりいつも通りになっていた。


「どう? 藍川が経験した神隠しと、どこか違う部分はあった?」


 戸滝に問われて、改めて過去の経験とノートに書かれていたできごとについて比較する。


 俺と戸滝は全く同じ日に行方不明となり、これまた全く同じ日時に発見されたわけだけれど。

 根本的に、俺と戸滝には大きな違いがある。


 あのときのできごとをほとんど覚えていない俺と違って、どうやら戸滝はある程度行方不明になっていた間のことを覚えているらしい。


 ノートの記述によれば、戸滝は小学校へ登校している途中で強烈な眩暈に襲われ、気がついたときには見知らぬ神社の境内にいたらしい。

 そして、彼女はそこで現在俺たちが通っている飛憶高校の制服を着た男子生徒に話しかけられ、翌日の夕方に再び眩暈に襲われるまでの間、彼と行動を共にしたのだそうだ。


 どう考えてもこの男子生徒は怪しいし、行方不明の原因が彼にあるということも十分にあり得そうだけれど。

 残念ながら、当時のことを鮮明に覚えている戸滝でも彼の顔だけは霞がかかったような曖昧な状態でしか思い出せないらしく、見つけ出して話を聞くというのはできそうにない。


 実際、二度目の眩暈に襲われいつの間にか母方の実家にある神棚の前で大人たちに保護されていた当時の戸滝は件の男子生徒を見つけようと飛憶高校を訪れたらしいが、結果は伴わなかったようだ。


「どこか、というかそもそも俺は行方不明になってる間のことをほとんど覚えてないからな。正直、あのときのことは寝てる間に見た夢みたいな感じだ」

「夢……」


 当時の詳細な記憶を求めているであろう戸滝の期待に沿えないことを若干申し訳なく思いつつ俺が過去の経験について語ると、戸滝は訝し気に首を捻ってから何事かを考えこみ始めた。


「それってつまり、何かがあったのは覚えてるけど、それが具体的にどんなものだったかまではわからないってこと?」

「ああ。まあ一応、誰かに会ってたような気はするんだが、それが男だったのか女だったのかさえあやふやだ」


 俺の話は我ながら要領を得ないしあまり参考にはならないかと思っていたのだけれど、戸滝は何かしら思うところがあったらしく俺が話し終えると納得した様子で小さく頷いた。


「……そっか。あの人の顔を思い出せないのは単に私が忘れてるだけかとも思ったけど。藍川まで不自然に記憶が欠けてるとなると、神隠しには何かしら記憶を欠損させる要因があったのかもね」


 戸滝が口にした推論は突拍子もないもので、普通ならあり得ないと笑い飛ばして終わりなのだろうけど。


 最近のあれこれを思えば、ないとは言えない。


「まあでも、一号を再現する方法は現状見つけられてないし、私だけじゃなく藍川も心当たりがないとなると真相を確かめるのは当分先の話かな」


 原因究明を諦めるのではなく、あくまで将来的な目標として据え置くところは戸滝らしいけれど。


 実際問題、試そうと思えばいつでも実験を行える二号と違って、行方不明の件に関しては今のところ手詰まりという他ない。


「ま、そうだな。もし二号と関係あるなら調査を進めてるうちに何かわかるかもだし、とりあえず行方不明の件は頭の片隅に入れとく程度でいいんじゃないか」


 戸滝の話に乗っかる形で俺が行方不明の件をまとめにかかると、戸滝はそれに頷きを返しつつも未だ何か言いたそうにしている。


「どうした?」

「えっと、お母さんが帰ってくる前は勢い余って聞いちゃったけど、言いたくないなら言わなくていいし、私も無理に聞く気は全然ないんだけど。……行方不明の後、藍川はどうだった?」


 遠慮がちに戸滝が口にした問は抽象的で、いまいち要領を得ない。


 大抵の物事は無神経に推し進める戸滝がこういう殊勝な態度を見せている以上、それなりにデリケートな話題ではあるのだろうけど正直俺には彼女が何をそこまで気にしているのか判じかねる。


「どうと言われても、俺は何も覚えてなかったしな。病院で検査受けた後は散々質問責めにされて、最終的に心因性の記憶喪失がどうとか言ってカウンセリングを受けさせられて終わりだ」


 問の意図が読めないのでひとまず行方不明後の顛末を簡潔に伝えてみたのだが、それを聞いた戸滝の反応は芳しくない。


「その、そういうことじゃなくってね。何というか……辛くなかった? 藍川が何を言っても、誰も何も信じてくれなかったでしょ? 口にした言葉は全て嘘や妄想扱いされて、周りの人間は上から目線で憐れむか、本当のことを言えと怒るだけ。……うんざりしなかった?」


 最後にやたらと情念の籠った言葉を口にしてから、戸滝が俺の返事を待つためじっとこちらを見つめてくる。


 先程までは戸滝が本当に言いたいことが何なのかよくわかっていなかったけれど、ここまで言われれば流石に理解できた。


 恐らく、幼い戸滝は行方不明……いや、二号と同じように現実として確かに存在する超常現象、一号について今とは違って隠し立てすることなく正直に語ったのだろう。

 そして、それを聞いた周囲の人間は誰も彼女のことを信じなかった。


 俺も行方不明になった後は身に覚えのないことを根掘り葉掘り聞かれてだいぶストレスが溜まっていたし、覚えてないと言ったらそれはそれで見当違いな診断を下され辟易した。

 母さんなんて、当時のことを大仰に捉えて未だに蒸し返してくる始末だ。


 だからまあ、戸滝の気持ちもほんの一欠けらくらいは理解できる。


 けれど、俺と戸滝は違う。


 彼女と違って俺は当時のことをほとんど覚えていないから、そもそも一号について大した思い入れがない。

 周囲から否定されたことだって、多少不愉快に思いはしても俺自身詳しいことは何も覚えていないのだから反論しようという気力さえ湧かなかった。


 きっと、戸滝はこんな答えを求めてはいないのだろうけれど。

 俺には他に言い様がない。


「全く辛くなかったとは言わない。けど、正直に言えば俺は自分でも覚えてない一号について何を言われようが大して気にならなかった。当時の俺にとっては、周りが自分を信じてくれないことよりも、自分の中ではとっくに終わってる一号関連の話で延々時間を取らされる方がよっぽど嫌だった」


 俺の返答を聞いた戸滝は驚いたように目を瞬かせてから、何かを諦めるかのように小さく息を吐き出した。


「そっか。そうだよね。……変なこと聞いてごめんね」


 結局、俺と戸滝のその後のやり取りはどこか精彩を欠き、二号の解明に関しては大した進展もないまま俺は戸滝の家を後にした。

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