第14話 母親

 リビングにいた戸滝の母親へ俺と戸滝は単なるクラスメイトであり、俺がこの家へ招かれたのは二人で勉強を教え合うためだ。

 といった感じの事前に用意していた言い訳を懇切丁寧に聞かせたところ、彼女は自らの認識が誤解だったと気づいたのか鷹揚に頷いてみせた。


「お前たちの主張は理解した。別に反対しているわけでもないのにそこまで言うんだ。付き合っていないというのは本当なのだろう」

 

 何が面白いのか、戸滝の母親は一度言葉を区切ってから娘に似た愛想のない顔に初めて笑みを浮かべた。


「まあ、わざわざ取って付けたような言い訳を口にする辺り、何かしら私に言えない事情はあるようだが。親の贔屓目も込みで、私は涼音のことを評価している。その涼音が君を交友を持つに値する人間だと認めたのなら、私も君をそのように扱おう」


 当然のように俺たちが口にした嘘はバレているようだが、戸滝の母親にとってそれは大した問題ではないらしく特にこれ以上追及してくる様子はない。


 寧ろ、言葉通り俺のことを歓迎してくれる雰囲気だ。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。私は涼音の母で名を戸滝那由とだきなゆという。呼び方は那由でもおばさんでも好きにしたまえ」

「どうも。えっと、俺は藍川真夏です」

「藍川? ああ、なるほど。君がそうなのか」


 俺が名乗りを返すと、那由さんは何かに納得したかのように頷きちらと戸滝の方へ視線を向けた。


 戸滝は那由さんの視線に対し鬱陶しそうにしているが、邪険にされた那由さんの方はそんな反応さえ面白いらしく終始上機嫌だ。


「あの、何がなるほどなんですか?」

「ん、ああ、すまない。実は昨晩、涼音が藍川という頭のおかしい人間を見つけたと話していたものでな。ふとした拍子に一言漏れ聞こえてきただけで詳しいことは何も知らないのだが、それでも君が件の藍川ならば涼音と共にいるのも腑に落ちると思っただけだ」


 普通に考えて頭のおかしい人間と好き好んで付き合う人間はいないだろうし、何だか話の前後が繋がっていないような気はするけれど。

 それよりも、これまで常識的な人間として振る舞ってきたこの俺を指して頭のおかしいやつ呼ばわりとは、戸滝のやつ中々にふざけた物言いをしてくれたようだ。


「お前、何自分の親に俺の悪評吹き込んでんだ」


 俺が戸滝へ抗議の声を上げると、彼女はしれっとした態度で顔を逸らし俺の抗議を黙殺した。


「そう責めないでやってくれ。言い方に難はあるが、涼音は君のことを褒めこそすれ貶すつもりなど毛頭ないよ」

 

 那由さんは戸滝をフォローしているが、頭がおかしいという評価はどこからどう聞いても完全に人のことを馬鹿にしている。

 

 まあ、戸滝が他人に対して辛辣なのは平常運転だし、こうして家に上がることを許している辺り二号を解明するための協力者として多少は信頼してくれているのも確かだろう。

 なので、本気で腹が立っているというわけでもないのだけれど。


 それはそれとして、クラス一の変人に頭のおかしいやつ呼ばわりされるのはやはり心外だ。


「その顔、私の言うことを信じてはいないようだな。まあ、それも当然の反応ではあるが。涼音は必要がなければ自分からは学校であったことなど一つも話さんやつだ。その涼音が思わず私相手に君の名を漏らしたということは、それだけ君との間にある繋がりを特別に思っているのだろう」


 他に類がないという意味では、確かに二号という唯一無二の秘密を共有している俺たちの関係は特別と呼べるのだろうけど。


 戸滝にとって大切なのは二号を解明することであって、俺と共にいるのはあくまでそのための手段に過ぎない。


 別に、だからといって俺と戸滝の関係は百パーセントビジネスライクなもので遊び心の入る余地が全くないとは言わないし、リップサービスも込みで友達と言い張ることくらいはできるかもしれないけれど。

 

 那由さんが想像しているように戸滝が二号ではなく俺との繋がりの方に特別な価値を見出しているかと言われれば、それには流石に否と言わざるを得ない。

 

 二号を知らない那由さんにその辺りの事情をわかってくれと言うのも無理な話だろうが、些か反応に困る発言だ。


 自分の母親相手だし上手いこと収めくれないかとさり気なく戸滝へアイコンタクトを送ると、彼女は居心地悪そうに口元をもにょもにょと動かしてから那由さんへ鋭い視線を向けた。

 

「お母さん、てきとうなこと言わないで。昨日藍川のことを話したのは偶然だし、今までだって聞かれたら学校であったこと話してたでしょ」


 いつもの教室でクラスメイトへ向けているような冷たい表情を浮かべ言い募る戸滝に対し、那由さんは相も変わらず余裕綽々といった態度で戸滝が口を開くたびに笑みを深めていく。


「そうだな。お前は自発的に話すことはなかったが、私が聞けば大抵のことには答えていた。つまりは、どうでもいいことばかりで話そうが話すまいがお前にとっては大差なかったのだろう。浮かれて思わず余計なことを口走り、それに対する後悔から必死に本音を隠そうとしている今とはまるで違う」


 戸滝が言葉に詰まり、何か言いたげに口を開いては閉じるという動作を数度繰り返す。


 ……俺の気のせいだとは思うが、まるで図星を突かれたかのような反応だ。

 

「もういい。私と藍川は部屋に戻るから、今度は勝手に入ってこないでよ」

「ああ。言われずとも、お前たちの邪魔をするようなことはしないさ」


 結局、戸滝は反論らしい反論を口にすることなく、俺と那由さんを置き去りにして早足にリビングを出ていってしまった。


 戸滝が不在の状態でその母親と二人きりというのも気まずいし、俺が後を追うべく立ち上がり去り際の挨拶代わりに会釈をすると、那由さんはリビングのソファに座ったまま苦笑を浮かべた。


「見ての通り、涼音は思ったことを素直に口にするようなやつではないし、お世辞にも愛想はよくないがな。あれでも、人並みに寂しいと思う感情は持ち合わせているんだ。……私の言えた義理ではないが、叶うことなら君はあれを突き放さず共にいてやってくれ」


 那由さんが口にした言葉の大半は苦笑交じりの何気ないもので、世間話の延長と言えばそれで納得できるものだったけれど。

 僅かに間を開けてから吐き出された最後の頼み事だけは、それまでとは違う切実な響きを伴っていた。

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