第13話 理解のある親


 戸滝の家は学校から二駅程離れた場所にあるマンションで、その中の一室に通された俺は彼女が飲み物を用意している間、特にすることもなく部屋の中を何とはなしに見回していた。


 床には白色のカーペットが敷かれ、中央には背の低い丸テーブルが置かれている。

 本棚に詰め込まれた本のジャンルは相対性理論やブラックホールといった単語の躍る物理学の本から魔術や超能力について記したオカルトチックなものまで様々だけれど。


 思ったよりは普通の部屋だ。


「はい、お待たせ」


 部屋に戻ってきた戸滝が丸テーブルの上に麦茶の入ったグラスを二つ置き、片方を俺に向かって差し出してくる。


「ありがと」


 戸滝からグラスを受け取り、そのまま麦茶で口を潤す。


 戸滝は俺がグラスを受け取ったのを確認すると押し入れに向かって歩いていき、中にある収納ケースから一冊のノートを取り出した。


「それは?」


 俺がノートについて尋ねると、戸滝は少しだけ顔を強張らせてから大きく深呼吸をした。


「これは、私が経験した超常的な現象についてまとめた最初の資料。今日は、まず藍川にこれを見て欲しいの」


 最初の資料、戸滝はいつになく固い声でそう言ったけれど。

 俺の前に差し出されているそれは、俺と戸滝が初めて二号を発生させたときに情報をまとめていたノートとは明らかに異なっている。


 そもそも、俺たちが経験した現象に二号という名前が付けられている時点で察するべきではあったのだろうけど。


 つまり、戸滝は俺と共に二号を発生させるよりも前に、何らかの超常的な現象を経験しているということか。


 表紙に何も描かれていないノートを捲り最初のページを確認してみれば、そこには今の戸滝より幾らか拙い文字で超常現象第一号に関する考察と記されている。


「それを全部読むのは手間だろうから、最初に要点だけ説明するとね。私は小学四年生のとき、神隠しにあったことがあるの。結局、世間的には原因不明の行方不明事件として処理されちゃったんだけど。あのとき私が経験した神隠しの真実は、そこに書いてある通り」

「……待て」


 待て、何だこれ。


 戸滝から手渡されたノートには、彼女が小学四年生のとき四月二十三日の午前七時三十分から翌二十四日の午後五時まで行方不明扱いになっていたと記されている。


 ここから先も文章は続いているが、正直なところ驚きすぎて頭に入ってこない。


 戸滝が行方不明扱いになっていたという期間は、子供のころ俺が行方不明になっていた日時と全く同じだ。


「戸滝、これ本当なのか?」


 思わず確認のため声をかけると、戸滝は一瞬だけ悲し気に顔を歪めてからそっと目を伏せた。


「……やっぱり、信じられない?」

「いや、信じる」


 顔を上げた戸滝が驚いた様子で口を半開きにし、何度も瞬きを繰り返す。


「えっと、それ本気で言ってる? 嘘とか冗談じゃないよね?」


 俺が戸滝の言うことを信じたのは余程意外だったのか、彼女にしては珍しく念押しする口調はどこか不安気だ。

 

「お前、嘘や冗談を言ってるのか?」

「……違うけど」

「じゃあ、この期に及んで疑う意味ないだろ」


 俺と戸滝は既に二号というとびきりの超常現象を何度も共に経験している。

 

 あれだって常識的に考えれば絶対にあり得ない現象だし、今さら二号だけじゃなく一号もありましたと言われたところで、驚きこそすれ頭ごなしに否定しようとは思わない。


「というか、そもそも俺だって似たような現象に遭遇した経験あるしな。案外、二号を発生させる条件には行方不明……いや、この場合一号って呼んだ方がいいか? まあ、とにかく、あれが関係してた可能性もあるんじゃないか?」


 俺が戸滝の言うことを信じる根拠の一つでもある過去の経験について語ると、戸滝は段々と表情を明るくしながら膝立ちになって俺の方へにじり寄ってきた。


「俺だって? ということは、もしかして、藍川も神隠しにあったことがあるの?」


 戸滝からの問に頷きながら、彼女が詰め寄ってきた分の距離を離すため座ったままゆっくりと後退する。


 戸滝が俺と同じように行方不明になっていたという事実には驚いたし、超常現象の解明に強い意欲をみせる彼女がそれに反応するのも当然といえば当然だけれど。


 それにしたって、少し距離を詰めすぎではないだろうか。


 戸滝は俺が彼女に触れないよう開いている両足の間に自身の膝を割り込ませ、上半身を必死に反らしていなければ口を開くたびに互いの吐息が頬にかかりそうな距離まで近寄っている。


「そっか。藍川もなんだ。……もしかして、私たちってちょっとだけ似てるのかな? ねえ、藍川はどうだった? やっぱり、辛かった?」

「ちょ、戸滝!? 何でもいいから、少し離れろ」


 何やら感じ入った様子で更に距離を詰めようとする戸滝から焦って離れようとしたところ、背中が固いものにぶつかりこれ以上後退することができなくなってしまう。


 背後に視線をやって確認してみれば、そこには俺の退路を妨げるかのようにベッドが鎮座している。

 どうやら、俺はいつの間にか部屋の中央に置かれた丸テーブルから窓際のベッドまで後退していたらしい。


 流石にこのまま後退を続けてベッドに上がるのは自分でもどうかと思うし、仕方ない。

 多少強引にでも、一度戸滝を引き剥がして落ち着かせるしかないか。


 俺が決意を固め戸滝を引き剥がすため肩に手をかけたところで、玄関の方から扉を開く音が響き次いでどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。


「涼音! 無事か!」


 足音の主と思しき黒のパンツスーツに身を包んだ女性が部屋の扉を開け放ち、開口一番に戸滝の安否を心配する言葉を口にする。


「あれ? お母さん?」


 声に反応した戸滝は首を横に向け女性の姿を認めると、きょとんとした様子で女性が何者なのかを端的に表してくれる単語を口にした。


 女性は戸滝と違って黒髪だし瞳の色も日本人によくあるブラウンなのでぱっと見ではわからなかったが、言われてみれば気の強そうな表情なんかはどことなく似ている気がする。


 そもそも、ここがどこなのかを考えればいて当然なのかもしれないけれど。

 彼女は、戸滝の母親か。


「あー、一応聞くが、そこの彼は涼音が呼んだのか?」

「そうだけど」


 どこか気まずそうな様子の戸滝の母親が俺の方を見ながら発した問に戸滝が肯定の返事を口にすると、戸滝の母親は目に見えて脱力してから軽くため息を吐きだした。


「そうか。いや、家に帰ってきたら玄関に知らない靴があったものでな。涼音に家へ呼ぶような友人がいるはずはないし、もしや泥棒かと警戒していたんだが。まさか、男とはな」


 戸滝に友達がいないのは母親の目から見ても明らかなのかと彼女の孤高ぶりに半ば関心していると、戸滝の母親は途中から妙なことを言い始めた。


「まあ、年頃だからな。これはこれで自然なのかもしれんが、節度はきちんと弁えろよ」


 言うだけ言って、戸滝の母親はそっと部屋の扉を閉じどこかへ行ってしまった。


 部屋の中に残されたのは、母親の口にした言葉の意味を咀嚼するため黙り込んだ戸滝と、そんな彼女の肩に手を置き至近距離で向かい合っている俺だけだ。


 うん、いや、これは客観的に見ると何というかこう、カップルのように見えなくもない気がしなくもないな。


 もちろん、実際には見当外れもいいところなのだけど。

 いきなりこの光景を見せられれば、誤解する人間がいてもおかしくはない。


 つまり、戸滝の母親は娘が彼氏らしき男とくっついているのを見て気を利かしたと、そういうわけか。


 どうやら戸滝の方もほとんど同じタイミングで俺と同じ結論に至ったらしく、俺たちは顔を見合わせて頷いた後、誤解を解くため駆け出した。

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