第12話 ちょっとだけ疑わしい

 目に映る景色は戸滝以外の全てが歪み、見慣れたはずの校舎もまるで別世界のようになっている。


 間違いなく、俺と戸滝は二号を発生させることに成功した。

 これで、朱乃の怪我もなかったことにできるはずだ。


「藍川ってもう少し理性的だと思ってたけど、意外と見境ないんだね。そんなに友達のことが心配だった?」


 手を握ったままの戸滝が発した疑問の声を聞いて、つい顔を逸らしてしまう。


 もちろん、朱乃のことは心配している。


 けれど、それ以上に、俺は朱乃が絵を描けず困っているとき、何もせず静観するのが嫌だった。


 ただでさえ俺は八年前に交わした一緒に本を作るという約束を勝手に反故にしているのに、これ以上何もしない役立たずでいるなんてまっぴらごめんだ。


 俺はもう、何もしてない癖に素知らぬ顔で彼女の横に立ったところで余計惨めになるだけだと知っている。


「まあ、そんなところだ」

「ふーん。藍川が言うなら、そういうことにしとこうか」


 俺が戸滝からの問へ曖昧に頷くと、彼女はまるで納得していなさそうな気のない声を漏らした。


「じゃ、手を離すよ」

「ああ」


 戸滝が二号の終わりを告げると同時に、それまで右手に感じていた感触がなくなり、歪んだセカイが本来の姿を取り戻す。


「よし、怪我はないな」


 空間の歪みが消えてからすぐに朱乃の方へ歩み寄り彼女の手を観察してみたが、特に怪我の類は見受けられない。


 どうやら、二号による改変は上手くいったらしい。


「朱乃、お前体育で突き指とかしてないよな?」

「してないけど、急に何なの?」


 二号のことを知る由もない朱乃は俺が念のために口頭で確認を取ると怪訝そうな表情を浮かべたが、彼女の怪我が消えた以外は目立った変化も見受けられないしとりあえず問題はなさそうだ。



 ◇



 ホームルームの終了を告げる号令を合図に、教室内の生徒が続々と歩み出しそれぞれの目的地へと向かっていく。


 本来なら、放課後に俺が目指すべき目的地とは部室であり、間違ってもクラス一の変人のもとではないのだけど。


 何の因果か、今の俺は本来行くべき部活を休み、戸滝と連れ立って二号にまつわる実験に放課後を費やそうとしている。


「戸滝、放課後はどこ行くんだ? また校舎裏か?」

「ううん、体育の後のアレでいろいろ予定を早めることにしたから、今日は私の家に来てくれない?」

「お前の家? まあ確かに、下手に外でやるよりは何かと都合がいいか」


 二号が発生している際中にそれを認識できる人間は俺と戸滝しかいないので、それ程リスクは大きくないけれど。

 やはり、人目に付かず二号の実験をできるなら、それに越したことはない。


 自宅で実験をするのなら気にすべき人目は家族だけになるし、その家族についてもある程度は行動を把握できる。

 余計な人目を排除するという意味では、案外悪くない選択肢だ。


「じゃあ、今からお前の家に――」

「待った!」


 俺が戸滝と共に彼女の自宅へ向かおうとしたところで、背後からそれを制止する朱乃の声が響いた。


「黙って聞いてれば、いきなり何言い出してんのよ! 仮にも高校生になって、気軽に異性の部屋に上がり込んでいいわけないでしょ」


 俺たちを追い抜き、まるで通せんぼうでもするかのように朱乃が目の前に立ち塞がる。


 朱乃のやつ、いい加減仕事に取りかからないと締め切りがヤバいとか愚痴ってた気がするんだが。


 教室に残って俺たちの会話を盗み聞きしてる暇があったら、さっさと家に帰ってイラスト描けよ。


「そもそも、お前に聞かせた覚えはないってのは置いといて。本人が来ていいと言ってるんだから、別に問題ないだろ」

「よくないから言ってるのよ。いい、よく考えてみなさい。今はその気がなくても、真夏だって男なんだから。いざ部屋で二人きりになったら、変な気を起こさないとも限らないでしょ」


 朱乃の明後日の方向に飛んだ発言を聞いて、思わず脱力してしまう。


 俺と戸滝の間にあるものの中心は二号であり間違っても性的な要素が介在する余地などない以上、朱乃の言っていることは全くもって無用の心配だ。


 というか、朱乃は万が一にでも俺が戸滝相手に妙なことをすると思ってるのか?

 もしそうなら、心外と言わざるを得ないんだが。


「いや、変な気なんて起こすわけないだろ。というか、それ言い出したら俺がしょっちゅうお前の部屋に入り浸ってるのもどうなんだって話になるぞ」

「私はいいのよ。幼馴染なんだから」


 幼馴染という単語は万能の免罪符ではないのだが、自信満々に断言する朱乃を見ていると追及するのも馬鹿らしくなってくる。


「というか、戸滝さんは平気なの? 真夏のやつ、そういうことには全然興味ありませんみたいな顔してるけど、本当は結構なむっつりよ。中学のときうちでパパが隠してたやらしいDVD見つけたときなんか興味津々だったし」

「は!? おい、ふざけるな。あれはいきなり変なのが出てきたから驚いただけで、興味なんて全くなかったっての。ちょ、聞け!」


 俺が名誉棄損に対する正当な抗議をしているにも関わらず朱乃はまるで興味がない様子で、視線は俺ではなく戸滝の方へ注がれている。


「別に平気だけど。そもそも、藍川が私相手に変なことするわけないし」


 戸滝が言いたいのは二号を発生させるために俺と戸滝双方の協力が必要な以上、俺が関係を破綻させるような行動を取るはずがないという損得勘定に基づいた結論なのだろうけど。


 二号のことを知らない朱乃は戸滝が俺のことを信頼していると受け取ったようで、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「あっそ。……まあ、そこまで言うんならいいんじゃない。いろいろ言ったけど、真夏はむっつりなだけで実際に手を出す勇気なんてないだろうし」


 朱乃は何やら納得した様子で俺たちの前から去ろうとしているが、その前に何としてもむっつりの部分だけは訂正させなければ俺の沽券に関わる。


「おい、朱乃。マジでむっつりはやめろ。本気にするやつがいたらどうするんだ」

「うるさい。私はもう帰るから、真夏は精々変な気を起こさないよう自制しときなさい」


 言うだけ言って、朱乃は本当に帰ってしまった。


 何というか、結果だけ見ると朱乃は俺に嫌がらせしにきただけだったな。


「一応言っとくけど、家に呼んだのはそういうことをするためじゃないから」

「わかってるっての。というか、お前は俺がそういう行為を迫るような人間に見えるのか?」


 朱乃が去った後で戸滝がぼそりと漏らした呟きへ呆れ気味に疑問を返すと、戸滝は口を噤んだまま胡散臭いものを見るかのような視線でじっと俺のことを見つめてきた。 


 いや、そこは真っ先に否定しろよ。

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