第11話 一足飛びで

 何とか朱乃の機嫌が直ったので、戸滝から今朝の実験結果がまとめられたノートを受け取り目を通す。


 ノートには様々な情報が戸滝の推論を交えて記されており、結構な文量があるけれど。

 

 ひとまずは、特に重要そうな部分について順に頭に入れていく。


 第一に、二号の発生には俺と戸滝の双方が同一の対象について意識的であれ無意識であれ、改変されることを望んでいなければならない。


 第二に、二号を発生させる際に必要な身体的接触は一定以上の面積があれば体のどの部位であっても問題なく、実験では手の他に額や肘などでも二号を発生させることに成功した。

 ただし、この接触は直に肌が触れている必要があるらしく、制服越しに背中を合わせた際には二号の発生を確認することはできなかった。


 第三に、二号によってなかったことにした対象は、もう一度二号を発生させ対象を改変したという事実をなかったことにすれば元に戻すことができる。

 実験では一度は消えたはずの木の葉について、二号を再度発生させることで元に戻ることを確認した。


 第四に、二号による改変はあくまで何かをなかったことにするという形で行われており、直接的に無から有を生み出すことはできない。

 実験では校舎裏にミネラルウォーターやボールペンを出現させようと試みたが、いずれも失敗に終わった。


 第五に、二号が終了した時点で俺と戸滝の意識を除いたあらゆる事物は、改変の影響を受けていない限り全て二号発生前と同一の状態になる。

 実験では空間の歪みが発生した状態で俺と戸滝が時間を数え、体感時間で三分経過した後に二号を終了。二号発生から終了までの時間経過をスマホのストップウォッチで確認したが、二号が発生している際中ストップウォッチのカウントは全く進んでいなかった。

 また、空間の歪みが発生している際中に俺と戸滝はそれぞれ制服の袖を捲ってみたが、二号が終了した時点で制服は元の状態に戻り皺一つついていなかった。


 そして、この結果について戸滝は俺たちの意識を三分前の自分自身に付与した一種のタイムリープだと考えており、或いは二号をタイムトラベルに利用することも可能なのではないかと記している。


 まあ、これに関しては本人自ら妄想の類であり読み飛ばしても構わないと注意書きを添えてあるので、戸滝自身もあまり現実的な考えだとは思っていないようだけれど。


 何にせよ、時間が十分にあったとは言い難い中でこれだけの成果を得られたのなら結果は上々と言っていいだろう。


 最後の方には明確に人に影響を与える形での二号発生についてそこへ至るまでの道筋も示されているし、戸滝は今後のスケジューリングについても如才ない。


「読み終わったけど、特に問題ないと思うぞ」


 俺が読み終わったノートを差し出すと、戸滝は小さく頷いてからそれを受け取り食べかけの弁当に再び手を付け始めた。


 ミニトマトにだし巻き卵、ハンバーグと戸滝の弁当は彩り豊かで美味しそうなのだけれど。

 おかずの中にタコ足ウインナーがあったり、おむすびにのりで目と口が描かれていたりと、何というか高校生の弁当というよりは小学校低学年の弁当といった風情だ。


 もちろん、それが悪いとは言わないが、普段の戸滝の様子から考えると少し意外ではある。


「言っとくけど、今日はたまたまお母さんが仕事出るの遅くて変にやる気だしたからこういう弁当になっただけで、普段自分で作るときはもっと普通のやつだから」


 俺が見ているのに気づいたのか、戸滝は箸を動かす手を止め口早に自身の弁当について説明し始めた。


 そもそも、その辺が気になるなら最初から弁当の内容について母親に注文しておけばいいだけな気はするのだけれど。

 戸滝の説明から察するに、彼女の母親は人の話を聞かずに突っ走るタイプだったりするのだろうか?

 

 ……うん、するんだろうな。

 なにせ、娘の戸滝がそんな感じだし。


「普段作るときってことは、お前料理できるのか?」


 戸滝親子に対する失礼な想像は置いておき、普段全く料理をしない俺からすれば驚きの発言について尋ねると、戸滝は毒気を抜かれた様子で頷いた。

 

「まあ、それなりには」


 特に気負いなく答えている辺り、戸滝は本当に料理が上手そうだ。


 戸滝にはどことなく浮世離れした印象があったので普通に料理をしている姿なんていまいち想像できないが、冷静に考えれば彼女にだって日々の生活があるのだし料理くらいするか。


 寧ろ、あの戸滝でさえ料理しているのだし、俺も自分の食事くらいは作れるようになっておくべきかもしれない。


 思わぬところで自分の家事スキルの低さを顧みることになった俺は、とりあえず母さんが家にいない日の食事はコンビニで済ませるのではなく自分で何か作ってみようと心に決めた。



 ◇



 うちの学校では体育の授業で更衣室を使うのは女子だけで、男子は皆教室で着替えをする。


 これは部活と関係ない更衣室が一学年につき一つしかなく実質女子専用となっているが故の習慣であり、何ともケチ臭い話だとは思うけれど。

 更衣室は微妙に教室から離れており移動面を考えれば何かと不便であるため、更衣室を使えない男子側に不満があるかと言われると別にそんなことはない。


 寧ろ、この習慣に関しては体育の授業が先に終わり早く教室に戻ってきても男子が着替え終わるまでは中に入れない女子側の方が不便そうにしているくらいだ。


 そんなわけで、五限目の体育が終わってから男子が着替え終わるまでの間、いつもの如く中に入れなかった女子たちが教室の外に溜まってきているようで、壁ごしに聞こえてくる女子の声が次第に大きくなってきた。


 幸い、教室を見回してみれば男子の大半は着替え終わっているし、まだ途中の面子も後はシャツのボタンを留めるだけのところまできているので、そろそろ外の女子に声をかけてもいいだろう。


「着替え終わったから、もう入っても――」


 トイレへ行くついでに着替えが終わったことを知らせようと女子たちへ声をかけたところで、思いがけない光景が目に入り何を言おうとしていたのか一瞬わからなくなってしまった。


「朱乃、指どうしたんだ?」


 視線の先、右手の人差し指にテーピングを施された朱乃へ声をかけると、彼女はしかめっ面を浮かべて苛立たし気に口を開いた。


「突き指よ。本当に、失敗したわ」


 どうやら、朱乃は体育の授業で突き指をしたらしい。


 確か、女子の体育はバスケをやっていたはずだし、運が悪ければこういうこともあるのだろうけど。


 朱乃の場合、これを仕方ないで済ませるわけにはいかない。


 なぜなら、彼女は絵を描かなければならないからだ。


 あの指で普段通りに絵を描くのは恐らく無理だろうし、今すぐにでも朱乃の怪我を何とかする必要がある。


「戸滝!」


 女子の集団から外れた場所で一人佇んでいた戸滝へ声をかけると、彼女は俺が接触してくることが予想外だったのか訝し気な様子でこちらへ近寄ってきた。


「大きな声出して、急にどうしたの?」

「今すぐ、朱乃の怪我をなかったことにするぞ」


 俺は一秒でも早く二号を発生させたいのに、戸滝は俺が差し出した手を取ろうとはせずただ微かに目を細めた。


「そういう人に直接影響する使い方は当分しないんじゃなかったの? お昼休みに渡したノートにだって、そこまで行くにはまだ実験が必要だって書いといたはずなんだけど」

「わかってる。けど、今はそんなのどうでもいい」

「どうでもいいって……確かに、怪我したのは大変だし適切な処置は必要だよ。でも、私には藍川の言ってるやり方は過剰な気がするんだけど」


 渋る戸滝との問答がもどかしくて、強引に彼女の手を取り朱乃の怪我がなかったことになるよう心の中で願い続ける。


 俺は間違いなく朱乃の怪我がなかったことになるよう望んでいるし、戸滝の手だってちゃんと握っているのだけど。

 やはり、俺一人が望むだけではだめなのか、いつまで経っても二号が発生したとき特有の空間の歪みは現れない。


「戸滝、頼む」


 俺が頭を下げ協力を乞うと、戸滝は何かを諦めるように深いため息を吐いた。


「ハァ……わかった。元々、いつかはこういう使い方も試すつもりだったし、そこまで言うならちょっとだけ予定を早めてあげる」


 戸滝が了承の言葉を口にし終えると同時に、辺りの景色はぐにゃりと歪み始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る