第10話 傍から見れば

 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、教室の中に弛緩した空気が流れ始める。


 いつもなら、俺も他の生徒と同じように伸びでもしてから弁当を取り出すのだけれど。


 生憎と、今日はそう呑気に構えてもいられない。


 なにせ、俺には昼休みの間にこなさなければならない予定が二つもある。


 一つは、朱乃の機嫌を直すこと。

 あいつは現在進行形で露骨に不機嫌オーラを放っているのだが、これを放置すると間違いなく朱乃は本気で怒る。


 昨日も朱乃の機嫌はあまり良くなかったし、いい加減戸滝に対する悪印象を何とかしなければならないだろう。


 そして、二つ目は戸滝が授業中に教師の話を全て無視しながらノートにまとめていた今朝の実験結果について、誤りや補足すべき点がないか確認することだ。

 戸滝曰く、自分の視点だけでは何か見落としがあるかもしれないので、俺にも一通り目を通しておいて欲しいらしい。


 確認作業は記憶が鮮明なうちに行わいと意味がないので最低でも昼休み中には終わらせろと言われているし、時間を確保するためには朱乃に割ける時間は限られている。


「朱乃、今朝のことお前に隠してるみたいになったのは悪かった」


 俺が意を決して隣に座る朱乃に話しかけると、彼女はこちらを見てからスッと目を細めた。


「確かに朝のことも気に入らないけど、それはもういいわ。それより、本当に悪いと思ってるなら教えて。昨日から、一体何やってるの? 今日の授業中なんかずっと戸滝さんの方見てるし、真夏、ちょっとおかしいわよ」

「おかしいって、大げさだな。詳しくは言えないが、俺はただ戸滝から個人的な相談を受けて……いや、何でもない」


 朱乃の問をてきとうにはぐらかそうとして、やめる。


 俺が言い訳をしている際中、朱乃の目は細められたままで表情はぴくりとも動かない。

 いつもなら、俺が嘘の言い訳をしてもその後できちんと埋め合わせをすれば朱乃は何だかんだで許してくれるのだけど。


 今は、後でアイスを奢ったくらいじゃ許してくれそうにない雰囲気だ。


「別に、戸滝さんと仲良くしたいならすればいいし、忙しくて私といる時間が減るならそれも仕方ない。でも、理由も言わず一方的に距離を取るのはやめて」


 別に、距離を取っているつもりはないけれど。


 二号のことを戸滝以外に話すわけにもいかないし、二号関連であれこれ動いていれば結果としてそう見えるかもしれないなとは思う。


「何をしてるかは言えない。けど、俺がお前から距離を取ることは絶対ない」


 朱乃は暫し俺の顔を無言で見つめてから、不意に息を吐き出し微かに口の端を歪めた。


「それ、聞きようによってはストーカー宣言ね」


 言われてみれば、我ながら粘着質なことを言ってしまった気がするけれど。


 朱乃の様子を見るに、俺がその場しのぎの嘘を言っているわけじゃないことは伝わったらしい。


「正直、真夏のくせに私に隠し事しようってのは気に食わないけど、そんなに私が好きなら特別に許してあげるわ」


 朱乃からお許しも貰えたことだしこれで万事解決、と言いたい所ではあるけれど。


 俺が朱乃のことを好きだという発言に関しては看過できない。


「待て。何で俺がお前のことを好きなんて話になってるんだ。さっきのは、あくまで幼馴染としての話だ」


 経験則から言って、俺が朱乃のことを好きなんて話を教室ですれば、大抵はロクなことにならない。


 たとえば小五の頃、日直として黒板に書かれた俺と朱乃の名前をハートマーク付きの傘で覆うイタズラをした馬鹿のせいで、俺はしばらくの間同学年の男子から朱乃と付き合っているとかなんとか言って散々にからかわれるハメになった。


 また、中二のバレンタインには俺が朱乃からチョコを受け取っただけでクラスの一部女子が色めき立ち、経験なんてないのにやたらと恋愛トークを振られるようになった。


 総じて、この手の話を人前でしても得がないことは朱乃だってわかっているだろうに、いきなりこんなことを言いだすのはやめて欲しいものだ。


「あら、私は幼馴染として友愛的な意味で好きって言ったんだけど。何? 真夏ってば、どういう意味の好きだと思ったの?」


 問うてくる朱乃の顔はにやついていて、明らかにからかう気満々なのがわかる。


 朱乃のやつ、ちょっと真面目な話をしたと思ったらすぐにこれか。


 まあ、変に引きずらないでいてくれるのはありがたいけれど、こんなこと言ってたらまた誤解されるぞ。


「さあな。忘れた」


 朱乃の話をてきとうに切り上げてから視線を前に向けると、前の席の女子生徒が椅子を後ろに向け俺たちの会話に聞き耳を立てているのが目に入った。

 彼女は楽しそうに俺と朱乃を眺めていて、俺が前を向いたのに気づくとその顔にはにこりと笑みが浮かぶ。


「長瀬、一応言っておくが今のは朱乃の冗談だからな」


 俺たちを眺めていた女子生徒、長瀬は学級委員を務めており、クラス内で仲間外れができることを嫌う性格故に未だ戸滝に話しかけようとする数少ない人間だ。


「わかってる、わかってる。こういうのって人に聞かれるの恥ずかしいもんね。で、そんなことより、藍川君ってばどうやって戸滝さんと仲良くなったの? 戸滝さんが誰かと一緒に登校してくるところなんて初めて見たんだけど」


 長瀬は完全に勘違いしているようで、俺が告げた真実へどうでもよさそうに相槌を打ってから教室中央に座る戸滝の方へ視線を向けた。


「どうって言われても、そもそもそんなに仲良くないんだが。まあ、敢えて言うなら成り行きだ」

「ふーん、成り行きねえ。じゃあ、私も藍川君と同じことしたら、成り行きで戸滝さんと仲良くなれる?」

「いや、無理だろうな」


 ここで言う成り行きとは即ち二号のことであり、当然ながら俺と戸滝以外の人間に再現することはできない。

 なので、率直に長瀬の考えが実行不可能であることを告げると、彼女はつまらなそうに唇を尖らせた。


「そっかー。ま、そうだよねー。私が藍川君の真似したら折笠さんを口説き落とせるってものでもないだろうし、やっぱこういうのは自分の力で頑張らなきゃか」


 成り行きについて深く突っ込まれなかったのは助かるけれど、やっぱり長瀬は俺と朱乃のことを勘違いしたままだな。


 まあ、長瀬の場合これをネタに悪ふざけするようなことはないだろうし、放っておいても害はないと言えなくもないけれど。


 周りから朱乃との関係をこういう風に見られるのは、どうにも昔から落ち着かない。

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