第38話:飛行試験04


◆◆◆◆


「踊りたまえ。たった一人でパートナーもなく」


 再びファントムのアームが私に襲いかかる。けれども、最初の時のように翻弄されてばかりでは終われない。私は蜘蛛の巣のように張り巡らされた攻撃の線をかいくぐり、ランスを横なぎに振るう。エンタープライズは私のめちゃくちゃな操縦に応えてくれた。竜ごとぶつかるような一撃を、ファントムは竜を直前で落ちるように降下させてかわす。


「これは驚いた。かわすだけでなく反撃を試みるかね」

「私が目指すのは競争ライダーじゃなくて冒険家の先導者よ。竜嵐にだって立ち向かわなくちゃいけない。ならば、たった一人のライダーに怖気づくわけにはいかないの!」


 苛立ったようにファントムは首を振る。その仕草さえもわざとらしい。


「その憧れこそが間違っているのだよ。エミリア、君がしているのは人形遊びだ。あってはならない幻想に勝手に形を与え、その妄想を憧れと取り違えているだけではないか。いい加減認めたまえ!」


 頭では分かっている。ファントムは私に心理戦をしかけているだけだ。あることないことを囁き、私を動揺させようとしているだけだと。あんな妄言、全部無視してしまえばいいと。


「あなたこそ分かっていない! あなたのフライトがどれだけ素敵だったか! 月夜に一人であなたが飛ぶ姿に、私がどれだけ心を奪われたか! あの時のあなたは確かに自由だった! それさえも否定するの!?」


 けれども私はランスを振るいながら叫ぶ。彼が本物のグレイゴーストであろうとも、グレイゴーストを詐称する誰かであってもどうでもいい。いや、本物だったらなおさらだ。彼の口から、彼のフライトが幻想であると言わせたくはない。私の憧れを否定するのは仕方がない。でも、グレイゴースト本人であっても、彼のフライトそのものを否定することは許せなかった。


「私は否定も肯定もしない。事実を言っているだけだ」


 私が食い下がると、卑怯なことにファントムは急にこちらを煙に巻こうとする。


「さっき私の憧れを間違ってるって否定したわ!」


 そんなことはさせない。私は断定する。


「言ったかな?」

「言った!」

「……本当に言ったか?」

「言った!」

「言ったような気もするが……」

「言った!」


 ……なんだか子供同士の口げんかっぽくなってきたけど、気のせいにしておこう。あのグレイゴーストと競い合うというとんでもなく貴重な体験が、声の大きさだけで相手を論破しようという低レベルな舌戦になってしまっている。あれ……? 私の望んでいた飛行試験って、こんないい加減なものだったっけ……?


「ええい! とにかく!」


 声の大きさと主張の強引さで私に負けたらしいファントムが、とうとう論戦を一方的に放棄した。私の勝ち……と言えるほど私は子供じゃないけど。


「ならばこのグレイゴーストを振り切ってみたまえ、オールドレディの孫娘よ! 別に言い負かされて悔しいわけではないが、本当に悔しくないが――ライダーならば己の正しさを翼で語りたまえ! それこそが君の竜を呼び覚ます炎熱となる!」


 嘘ばっかり。どう控えめに見てもファントムは悔しくて仕方がないみたいだ。空っぽの目のくせに振る舞いは不自然なほど大げさなせいで、彼の思いがよく分かる。もっとも、それさえも演技なのかもしれないけれど。一抹の不気味さが、彼の一挙一動から離れない。まるで――死人がそこにいるかのような。


「言われなくてもそうするわ、ファントム!」


 私は再び背を低くし、エンタープライズを加速させる。自由自在にファントムのアームが私の周囲を飛び交い、死角を狙って突進してくる。

 周囲に気を配らざるを得ない、集中力を削られるこの状況。私の一番苦手な状況だ。あれもこれもしなければならない、思考の分割の強制。私は何度この状況で最下位に落ちたり、失格となったりしただろうか。だから私はギャロッピングレディだった。

 でも、もう私は、空を好き放題に跳ねまわっているお嬢様ではいられない。

 苦手な状況を苦手で済ませてはいられない。私はこれを越えないと、飛行試験を合格できない。そんなことは嫌だ。ファントムに不意打ちされたヘレン教官のことを思う。あの人に私は試してほしかった。あの人に教えてもらった技術で、あの人を越えたかった。ファントムがそれをすべて壊してしまった。だから私は、絶対にファントムに負けたくない。

 私のしてきた努力が、悔恨が、苦痛が――泡沫に消えるなんて認められない。だってそれは、私と共に苦しんでくれたジャックの思いさえも無意味とする裏切りなのだから。

 だから私は――――託すしかない。


「エンタープライズ、お願い」


 私はエンタープライズに顔を密着させて囁く。


「私がファントムと戦うから、あなたはただひたすら前へ進んで。あなたの翼に、私のすべてを任せるわ」


 私は竜炎が燃え上がるのを感じた。私の魂が薪としてくべられていく。エンタープライズが喉の奥から唸り声をあげる。その声は歓喜の声だった。翼をぎりぎりにまで畳み、エンタープライズはさらなる加速の体勢に入る。


 ――私はその時、本当の意味で竜に魂を捧げていた。


◆◆◆◆


「そうだ――それだ! 見事だエミリア! 私はそれが見たかったのだ! 喝采しよう! 快哉を叫ぼう!」


 舞台の上の道化師のような大仰な動作で、ファントムはイラストリアスの背の上で拍手する。滑稽なほど気取っているが、同時に目をそらしたくなるような不気味な仕草だった。


「君は今や竜を信じ、竜と共に飛ぶ真の意味を知った!」


 ファントムの仮面の奥。その空虚な目は、彼のアームを振り払うべくランスを振るうエミリアにだけ向けられている。あたかも恋人を見つめるかのような情熱をからっぽの目に宿し、ファントムはなおも叫ぶ。

 たった一人の空で。たった一人の舞台で。喝采する観客も怒号する観客もいない、果てしなく孤独な空で。


「これでようやく私の無価値な芝居は終わる! これでようやく君はギャロッピングレディではなく、片方の翼だけで空を飛ぶ隻翼のドおごぉッッ!?」


 完全に自分の世界に没入していたファントムの横っ面を、彼の芝居に付き合う気などさらさらないエミリアのランスが吹っ飛ばした。


◆◆◆◆


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