第37話:飛行試験03


◆◆◆◆


 私が駆るエンタープライズはどんどんとスタート地点から遠ざかっていく。それと同時に、周囲に不自然なほど濃い霧がたちこめてきた。かろうじてフェザーの誘導を視認できるけれども、それ以外はまるで分厚い雲の中に飛び込んだかのようだ。距離感はおろか、自分がどこを飛んでいるのかさえ分からなくなりそうだ。


「なんなのよこれ。まるで……」

「――竜嵐のようだ、と思ったかね?」


 声と共に飛んでくる一本の剣を、私はエンタープライズの背に伏せてかわす。


「ファントム!?」

「おやおや、なんとも危なっかしい。お嬢さん、そんなことでは竜を駆ってレースを制しても、竜嵐を制するのは夢のまた夢だよ。嘆かわしいことではないか」


 その名前の通り、亡霊のような不自然さで霧の中からファントムが姿を現した。彼の乗るイラストリアスは、骸骨のようにやせ細っているにもかかわらずまるで疲労した様子がない。異様なスタミナだ。


「私を茶化しに来たのなら帰って。私は本気なの!」

「本気? これが? やれやれ。猪突猛進でランスを振り回すだけでライダーを名乗れるならば、私は今頃大劇場の花形なのだがね」


 私は一気に接近し、ランスを突き出す。その切っ先は、瞬時に盾のように集合した彼の剣によって防がれる。なんなのこのライダーは? まるで魔術師みたいだ。体内の竜因を使って手から離れたアームを操っているのだけど、そんな人間離れした技術をファントムは悠然と使っている。


「……くっ!」

「ああ、なんとも軽い。なんとも身勝手だ。君の竜が泣いているよ。いや、むしろ私が泣きたいくらいだ。ははははっ!」

「笑ってるじゃない!」

「顔で笑って心で泣いているのだがね!」


 ファントムの剣が攻撃に転じる。まるで弱った獣にまとわりつくワタリガラスのように、次々と繰り出される刃。私はそれをエンタープライズを操ってかわし、あるいはランスで受け止める。


「架空の偶像に心を奪われ、空虚な文言を頼りに竜因に怯えながら空を飛ぶ君の姿。実に滑稽だと思わないかね?」

「何を言っているの!? あなたは何者なの!?」


 刃に織り交ぜるかのように、ファントムの弄ぶような言葉が私の耳に届く。竜炎を通じたその声は、まるで耳元で囁かれるように不気味だ。


「グレイゴースト。空の亡霊。知られざる英雄。ああ、エミリア・スターリング。なんとも哀れな子だ。幼少の時にあってはならない者に遭遇したばかりに、張りぼての夢を追う羽目になるとは。いっそ、ここで潰えた方が君のためかもしれないのだよ」


 グレイゴースト。その名前を口にし、仮面のライダーは含み笑いをもらす。なぜその名前を今口に出すのだろう。そして私とグレイゴーストとの出会いをなぜ知っているのだろう。ジャックは試験前に「なぜかほかの奴が知らないようなことを知っている」と言っていた。どうやらそれは本当らしい。私はファントムを知らない。しかし、ファントムは私を知り尽くしている。その不気味なプレッシャーを、私は振り払うかのように加速する。


「私のことをなぜ知っているのかは分からないけど――大きなお世話よ! あなたにはこれっぽっちも関係ないわ!」


 しかし、まるで影が本体から離れないかのように、ファントムの乗るイラストリアスはエンタープライズにぴったりと密着したまま離れない。思い切って渓谷の岩壁にぶつかる寸前まで近づいて急降下しても、怖じることなくファントムは追随する。


「私はね、こう見えて責任を感じているのだよ。君の人生を狂わせてしまったかもしれないと思うと、胸が痛むよ」


 しかも、私に嫌みったらしい言葉をささやくのも忘れない。


「嘘ばっかり! あなたの言葉は何もかも虚言よ!」


 渾身の力で繰り出した私のランスは、ファントムのアームでできた盾を砕いた。とっさにファントムは一本を逆手で持ち、私のランスを受け止める。けれども、私のランスの勢いを殺しきれず、その剣は手から弾け飛ぶ。


「おっと……これは予想外だ」


 大きく体勢を崩しつつ、それでも風に舞う木の葉のようにイラストリアスを操り、ファントムはランスの衝突を見事に耐えてみせた。私と競うようにして全力で受け止めるのではなく、切っ先を絡めとり、それに合わせて流されるかのような動きだ。気味が悪い上に性格も悪そうだけど、ライダーとしては一流だと認めざるを得ない。


「ああ……実は私もうんざりしている。こうやって、いつまで経っても終わることなく空虚な空を飛び続けることにね」


 痛めた片手をさすりながら、ファントムは言う。それまでのふざけたような口調が一変していく。虚飾と華美な言辞で彩られた口調から、空虚であらゆることに倦んだような口調へと。


「ファントム……あなた、何者なの?」

「一つ真面目な話をしよう、エミリア」


 どれだけ離れたくても、ぴたりとファントムとイラストリアスは私たちに横付けしたままだ。


「私たちの乗る竜は、ライダーの魂を食らって竜炎に変える。真偽のほどはともかく、ライダーの間ではそう言われている。では、魂とは何かな?」

「司祭様に聞きなさい。私は知らないわ」

「司祭ごときが知るわけがない。魂などはないという学者もいる。私も魂のなんたるかを知らない。有無も知らない。ただ、あると思って考えた方が分かりやすいだけだ」

「それがなんの関係があるの?」

「竜の食らった魂はどこへ行く? 竜こそが世界の魂が形になったものだという神秘主義者もいる。空で死んだライダーは魂が空に囚われるという言い伝え。世界の魂である竜に死はなく、その真髄は巨大な循環の中を流動している。では――竜の魂と人の魂が混じったものはどうなると思うかね?」


 私の頭の中で、一つの名前が結実した。


「グレイゴースト……!」

「ご名答。ああ、エミリア、これは悲劇だ。君の起源であり君の憧憬となったグレイゴースト。実はそれは、空にこびりついた魂の残火であり、言わばライダーの残りカスのような哀れな影法師だったのだよ!」


 芝居がかった態度でファントムはサドルの上で両手を広げる。まるで、満員の観衆を前にした道化師のように。


「さあ――ご覧に入れよう! どうか刮目と喝采を!」


 イラストリアスの姿が変形していく。もともと気体であり、竜炎で構成された竜は姿形を変えることそれ自体は可能だ。実際、レースにおいても加速する時に変形するタイプの竜もいる。けれども、ここまで大きな変形を見るのは初めてだ。骸骨のようなイラストリアスの体形が変わっていく。スタンダードな一匹の竜の姿に。立派な翼。優美な角。猛々しい顔とあちこちから突き出した結晶のような甲殻。そして何よりも、鱗と甲殻の色が変わっていく。それは灰色一色の竜。月明かりに照らされて私が見た、私のすべての原点となった竜の姿だった。


「あなたが……グレイゴーストだったの!?」


 思わず攻撃も離脱も忘れて、私はファントムに問う。


「私であり、私ではない。私はここにいるし、あちこちにいる。私はファントムであり、グレイゴーストであり、ほかの誰かでもある。ようこそ、エミリア・スターリング。こここそが私の主催する仮面舞踏会なのだよ」


 仮面の奥からファントムは私を見る。あれだけ大仰な仕草で大仰な台詞を吐いていたのに、その目には何の温度もない。レースに対する執着も、自分に酔いしれる鼻持ちならない自己陶酔も、何一つない。まるで骸骨の眼窩をのぞいたような、ぽっかりと空いた空虚な目だ。


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